汚染

……………………


 ──汚染



 王蘭玲が準備を整えてから東雲たちは新しくできた寿司屋に向かった。


「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」


 案内ボットにそう言われて、東雲たちはカウンター席に座る。


 回転寿司だが、常に寿司が回っているわけではなく、頼んだ商品だけが回ってくるタイプのものだ。TMCセクター13/6の大抵の寿司屋はこのタイプだ。


 東雲たちはめいめい寿司を注文していく。


「なんつーか、誘っておいてなんだけど新しくできた寿司屋でも味は変わらないな」


 東雲はサーモンを食べながらそう言う。


「それは当然。だって、どこの寿司屋もメティスの合成食品使っているんだもん。大豆とオキアミと化学薬品で合成された食品。マグロも、サーモンも、卵も原材料は一緒」


 そう言ってベリアが卵を口に運ぶ。


「確かに東京湾は見るからに汚染されていたけどさ。魚が全部取れなくなったってことはないんだろう?」


「いいや。商業漁業は壊滅したよ。今や海で魚が取れることはない」


 東雲の言葉に王蘭玲がそう言う。


「プラスチックゴミの生体濃縮。気候変動。それによる大型海洋哺乳類の絶滅。そして第三次世界大戦と九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイア。そして、六大多国籍企業ヘックスによる無秩序な経済活動の拡大」


 汚染物質が海に大量に流れ込み、海洋微生物は突然変異を起こし、人体に有害な毒素を生成するようになったと王蘭玲は言う。


「TMCセクター13/8にある旧東京湾浄化施設跡ではかつて東京湾の環境を元に戻そうとする試みが行われていた。今はそこでは行われていないが、かつてはね」


 今は大井が主導する元、新しい浄化施設で徐々に浄化が行われているという。


「旧東京湾浄化施設ってのはどうして放棄されたんだ?」


「だから、九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイアだよ、東雲。カムチャッカ半島、関東、台北、ルソン島、クライストチャーチ、チリ中部、メキシコ中部、カリフォルニア、アラスカ。それらが同時に大きく揺れた」


 九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイア。環太平洋地域一帯が同時に揺れ、直接の地震による被害と津波による被害で環太平洋地域は壊滅的打撃を被った。


 関東もこれにより打撃を受ける。


「今のTMCのセクターってのは、特別S災害H復興R地域Aにおける復興優先順位だったんだよ。このセクター13/6などのセクター二桁代は復興の優先順位が遅れた」


「そして、治安の回復も遅れた。結果として招いたのは、この無秩序な建造物群とヤクザ、チャイニーズマフィア、コリアンギャングによる自治組織の発足」


 ベリアと王蘭玲が語る。


「はあ。そんな地震があったって初めて知ったわ。そりゃあ、浄化施設も機能不全になるわな。位置的に東京湾だろ? 関東を神奈川までふっ飛ばす地震がくればな」


「カリフォルニアも酷かった。特にロサンジェルスは」


 そこでぼそりと八重野がそう言う。


「世の中、大変だったわけだ。魚が取れないとはね」


「養殖漁業も海そのものが深刻な汚染を受けたことで壊滅的となった。今の天然物という名で出されているものは大抵は詐欺か、それとも汚染された海で取れた有害物質や毒素を含んだものだ」


「ひでえ」


「金持ちは管理された環境で、つまりは水槽で金をかけて養殖を行う。とても金がかかる。もし、今の時代本物のサーモンの寿司を食べようと言うならば、そのサイズの寿司でも5000新円はかかるだろう」


「そりゃあまた」


 王蘭玲が語るのに、東雲が合成品のサーモンの寿司を眺める。


「東雲。水槽で養殖しても、結局はタンパク質と脂質の塊でしかないんだ。なら、大豆とオキアミ、化学薬品で合成したって一緒だろう?」


「そりゃそうだが。だがなあ。もう、俺は魚を、日本の食文化に馴染んだ魚を、もう食べられないと思うとな。いくら成分的に同じで、腹に入れば一緒だと言っても、味はやっぱり違うぜ」


 ベリアが今度はいくらの軍艦巻きを頼むのに、東雲はサーモンを口に放り込んだ。


「味などどうでもいい。どれもこれも合成食品だ。タンパク質、脂質、糖質を摂取し、ビタミンなどはサプリで補う。それで仕事ビズはできる。十分だ」


 八重野はそう言ってもくもくと卵ばかり食べていた。


「魚、苦手だったか……」


「寿司にはあまりいい思い出がない。だが、嫌いなわけではない。気にしないでくれ。次は白身でも食べる」


 カリフォルニアロールはないかと八重野は呟いた。


「あんた、出身はアメリカか?」


「ああ。そうだ。日本人ではない。もっとも日本人としてのIDも持っているが」


「ジョン・ドウが?」


「それからあなたのパートナーが」


 東雲が八重野にそう言われて、ベリアとロスヴィータを見る。


「私が準備したよ。ジョン・ドウのIDを使っていたら、どこで捕捉されるか分かったものじゃないからね。君がジョン・ドウを狙っているように、向こうも君を始末し損ねたことに気づくはずだ」


「そのときは奴の首を刎ね飛ばしてやる」


 八重野はそう言って白身の、何かのタンパク質の合成品を口に運んだ。


「血の気が多いな。血気盛んなのは早死にするぜ。スマートにやっていこうや」


「そうは言うが、私は裏切られたのだぞ」


「俺だって何度も裏切られてい。あんたの関わった仕事ビズでも、ジェーン・ドウは守れと命令した男を、自分の手で殺しやがった。そういう裏切りはあっても、折り合いを付けてる」


「命を狙われたわけじゃないだろう」


「どうだろうな」


 東雲は危うく使い捨てディスポーザブルにされかかった仕事ビズをいくつか思い出すことができた。


「しかし、マグロも酷い味だな。これ作った奴はマグロとサーモンの区別もついてないんじゃないか」


「タンパク質と脂質。一緒だよ」


「マグロとサーモンは違う」


 ベリアが今度はネギトロの軍艦巻きを食べるのに、東雲はしげしげとマグロとされている寿司を眺めた。


「先生。いくら栄養素が同じでも味は大切だよな?」


「そうだね。いくら栄養点滴をしても、咀嚼し、味わうことは精神的な面から重要だ。そうでなければ人は壊れてしまう」


 だが、マグロとサーモンの味の区別がつかないことぐらいは問題じゃないと王蘭玲は言う。


六大多国籍企業ヘックスが恐れているのは、経済的従属たる民衆が自分たちを裏切ることだ。だから、食料品とネット回線の価格は低価格に抑えられる。少なくとも人間が暮らしていく上で必要になる食料と、娯楽としてのネット回線は安い」


「パンとサーカスってものだね」


 王蘭玲の言葉にベリアがそう言う。


「そう、民衆に食料と娯楽を与えておく。そして、民衆から経済的搾取を続ける。大井統合安全保障の横柄なコントラクターの給料も、彼らの監視システムの維持費も、政府が払い、政府は税金を徴収している」


「あの連中に給料を払っているなんてうんざりだな」


「だが、そういうシステムになっている。六大多国籍企業は直接民衆に商品を売ることに固執しない。瓦解しつつある国家と政府というシステムを利用し、間接的に富を得る」


「それもいつまで続くことやら」


 そう、国家と政府は形骸化しつつあるのだ。


 世界的に多くの政府機関は民営化と外注化によって骨抜きだ。


 アメリカ航空宇宙局NASAですら今は民間企業──アロー・ダイナミクス・アヴィエイションによって運用されている。警察業務も、軍事作戦も、あるいは行政府の政策の決定過程ですらも民営化だ。


「そう簡単に国家や政府はなくならないよ。ボクは長くのこの世界にいたけど、国民国家が形成されてから、政変はあれど、国家という枠組みがなくなったことはない。今の六大多国籍企業にしたところで、国家にある程度依存している」


 ロスヴィータがそう言う。


 グローバリゼーションは国境をなくしはしなかった。


 国境の意味は確かにあいまいになったけれど、国家があって国民が存在するという既存のシステムは続いた。六大多国籍企業も国家に寄生するようにして、富を得ている。


 そして、民衆は国民というカテゴリーに不満を抱いていない。かつてないほどの貧富の差が生まれても、民衆は国民という種族であることを否定しない。


 民衆は思うのだ。今日から日本という国がなくなって大井コンツェルン日本事業本部となったら、自分たちはどうすればいいのだと。


「そして、日本という名の残骸に俺たちは住み続けるわけか。泣けるね」


「仕方ないよ。六大多国籍企業はこれまで自分たちの思い通りに国家を動かして来たし、彼らが存続を望む限り、六大多国籍企業は国家を残し続けるだろうさ」


 東雲が赤貝ということになっている寿司を口に運ぶのに、ベリアがまたいくらの軍艦巻きを頼んだ。


「六大多国籍企業は市場の求めに応じて供給を拡大し続け、汚染を撒き散らす。それでいてその浄化事業を請け負って、政府から金を得る。メティスも大概な悪徳企業だったけど、他の六大多国籍企業もかなりあくどいね」


 ロスヴィータはそう言いながら卵を食べる。


「六大多国籍企業なんてクソだ。だけど、俺たちが食っていくには六大多国籍企業が必要だ。まあ、折り合いをつけていくさ。また仕事ビズが回ってくるだろ」


「そうだね。私たちの財産にしたところでジェーン・ドウは取り上げようと思えば、いつでも取り上げられるんだ」


「世知辛い」


「全く」


 せっかくの寿司だというのにがっかりという空気が流れていた。


「六大多国籍企業も技能を持った人間は軽視しないさ。そして、君たちは様々な技能を持っている。だから、仕事ビズが回ってくる。少なくとも本当の使い捨てディスポーザブルな人間じゃない」


「そうそう。ボクたちはよくやってるよ。カナダじゃ、本当に技能のない人間は風雨を凌ぐ寝床すらない。そして、技能を得るためには金が必要で、金を持った人間は富み続け、それがない人間は貧し続ける」


 もうある種の貴族層みたいなものが出来てるとロスヴィータは言う。


「どうしようもない世の中だぜ。俺たちは運がよかった。たまたま──恐らくはたまたまジェーン・ドウに拾われて、ベリアはBCI手術を受けて、金が稼げて、一応は暮らせていけてるんだからな」


 本当にジェーン・ドウとの出会いが偶然だったか東雲は判断を保留していた。


「……私もある意味では幸運だった。前のジョン・ドウが私を拾ってくれたのは偶然だった。彼は私の身体を機械化する金を出してくれて、それから仕事ビズを回してくれた」


「前のジョン・ドウは恨んじゃいないのか」


「まさか。それに前のジョン・ドウは今はもう死んだ」


「悪い」


「気にしないでくれ。所詮は仕事ビズの上での付き合いがあっただけだ」


 東雲たちは妙な空気になったなと思い、今日の食事を終えた。


……………………

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