アフターケア

……………………


 ──アフターケア



「お帰り、東雲」


 東雲が自宅に戻るとベリアが出迎えた。


「よう。ただいま。飯食ったか?」


「まだだよ」


「これから王蘭玲先生のところに造血剤を受け取りにいって、ついでに八重野のメンテナンスをするんだけど、一緒に新しくできた寿司屋に行かないか?」


「あ! 私も行くよ。猫耳先生のクリニック。用事があるんだ」


「へえ。何があるんだ?」


 ベリアは造血剤などは必要ないだろうに、何故か王蘭玲のクリニックに用事があるという。それを東雲は不思議に思った。


「BCIポートの規格が新しくなるんだ。従来の2倍の通信速度だって」


「おい。BCIポートは脳みそに繋がってるんだろ? そいつはパソコンのパーツみたいに取り替えるってのは無理じゃないか……」


「まあ、古い規格のから新しい規格に対応させるアダプタみたいなものはあるよ。でも、それだとラグが出るんだ。だから、ナノマシンで原子単位で一度今のBCIポートを引き剥がして、新しいBCIポートを接続する」


「うげ」


 また脳みそにカビが入る心配をしなきゃならんのではないかと東雲は思った。


「まーた。君はそういう反応して、いい加減に慣れなよ、ローテク君?」


「うるせー。俺はそういうのは嫌なの。気持ち悪い」


「ロスヴィータ。君も規格移行手術受けるよね?」


 東雲がそうロスヴィータに尋ねる。


「うん。今のマトリクスでBCI.3.0じゃないと仕事はできない。マトリクスの世界って凄い勢いで進化しているんだよ。本当に人間って進歩させる速度が凄いよね」


 ロスヴィータはなにやら感慨深くそう言った。


 そこでピンポンとチャイムが鳴った。


「東雲。準備はできた」


「おう。お前もBCIポートの規格変更手術受けるか?」


 八重野がやってきたのに、東雲がそう尋ねる。


「む。しかし、私はその金がない」


「金なら出してやるよ。受けるか? それともやめておくか?」


「しかし……」


仕事ビズに必要のあるものには金を出す。あんたがくたばると俺が迷惑するんだよ。ある種の運命共同体なんだからな」


「そういうことならば受けさせてもらおう。私もマトリクスで行動することがある」


 八重野はそう言った。


「君もハッカーなんだっけ?」


「サイバーサムライとして一応のマトリクスの知識はある。専門のハッカーほどではないが、アイスとアイスブレイカーの組み合わせは分かるつもりだ」


「へえ。サイバーサムライって面白いね」


 これまで関わって来たサイバーサムライでも呉などはマトリクスで明確に行動していたところがある。


「BCIポートを持っているのに体の整備にしか使わないのはもったいないからな。それにマトリクスのアクセスし、なんらかの攻撃や防御が行えれば、戦術の幅は広がる」


「流石はサイバーサムライと言ったところか。俺はどうして俺が毎回サイバーサムライだと間違えられるのか理解できないよ」


 毎回、毎回、俺のことをサイバーサムライって呼びやがってと東雲が愚痴った。


「まあ、私とロスヴィータが電子戦はサポートしてるしね。表向きは君もサイバーサムライに見えるんじゃない?」


「はあ。マトリクスだの、BCIだの、アイスだの、俺には意味不明だぜ」


「がんばれ、ローテク君」


「クソ」


 東雲は拗ねたようにそっぽを向いた。


「お前らも手術するなら早めに出ようぜ。今日は寿司だ」


「分かった」


 東雲たちはアパートを出て、王蘭玲のクリニックに向かう。


「よう。ナイチンゲール」


「東雲様。貧血でお悩みでしょうか?」


「ああ。それから八重野のボディのメンテナンスとベリアたちのBCIポートの規格移行を頼みたい。先生、時間空いてるか?」


「はい。今のところはお待たせしません」


「ありがとよ」


 受け付けのボットであるナイチンゲールとやり取りすると、東雲たちは待合室の椅子に座った。


「八重野。今日はヤクザにガンつけて、喧嘩するなよ。先生にも迷惑になる」


「分かっている」


 今度は八重野が拗ねたようにそっぽを向いた。


「八重野様。診察室にどうぞ」


「では、先に」


 順番は八重野からだった。


「君はこの前、ヤクザに喧嘩を売った子か」


「そういう覚え方をされたくはない」


「では、そういうことをしないようにしたまえ」


 王蘭玲はいつものダウナーな声でそう言い、まずは機械化していない生身の肉体に聴診器を当て、血液を採取する。


「君は健康そのものだな。少なくとも肉体に関しては」


「機械化した部分を見てほしい。この前、かなり無茶をした」


「無茶とは……」


「走行中の車両の屋根伝いに敵の車両を襲った」


「本当かね。それは大したものだ」


 王蘭玲は皮肉ではなく、本当に感心している様子だった。


「しかし、それは確かに負担を気にするだろう。チェックしよう。BCIポートを。君もBCIポートの規格以降手術を受けるかね?」


「ああ。そのつもりだ」


「では、その前に一通り調べよう」


 BCIポートを接続し、王蘭玲も診察用コンピューターに接続する。


「ふむ。損傷はほぼない。少なくとも自己診断プログラムはそう報告しているね。もっと調べておこう」


 この世界の医者とはエンジニアとしての知識も持ち合わせている。


「BCI接続異常なし、神経循環型ナノマシン異常なし。脳神経系ナノマシン異常なし。人工筋肉の損耗ほぼゼロ」


「まさか。前にあれだけ暴れたのに」


「数字は嘘をつかない。少なくとも私が見ている数字はね」


 小さなイントラネットに構築されたマトリクスで王蘭玲が八重野の体の状態を把握する。そこに異常なものや、壊れたものはほぼ存在しなかった。


「しかし、オペレーティングOシステムSが古いね。今の機械化したボディに合っていない。最後に更新したのは?」


「確か1年前だ。このボディに換装したとき」


「なるほど。では、オペレーティングシステムを更新するかね? 君の体はオーダーメイドのボディのようだから、公式のオペレーティングシステムというものはない。だが、私が作ったものを当てることはできる」


「信頼できるのか?」


「私は医者であり、エンジニアだ。患者の健康や生活に支障がきたすような施術はしない。信頼してくれていい。医者は信頼されるものだ。闇医者であろうと」


「ふむ。では、お願いしよう」


 王蘭玲はマトリクス上で八重野の体に適したオペレーティングシステムを構成し、それを新たに置き換える。八重野の体がマトリクス上に表示され、そこに王蘭玲のオペレーティングシステムが組み込まれて行く。


「ん……」


「どうした?」


「いや。君の体の一部がオペレーティングシステムを拒絶している。何か特殊なアイスをアクティブにしてるかね?」


「いいや。今はアイスは不活性化させてあるはずだ」


「それは妙だな。どれ、これならばどうだろうか」


 八重野の体に別のオペレーティングシステムの構成が書き込まれる。


「今度は上手くいったようだ。しかし、何故だろうね。消耗したはずのボディは消耗しておらず、本人も未確認のアイスが機能している」


 マトリクスからログアウトして王蘭玲が首をひねる。


「このせいかもしれない」


 八重野はそう言って上着を脱ぎ、魔法陣の刻み込まれた背中を見せる。


「これは……」


「ジョン・ドウの関係者が私にかけた呪いだ。私はこのままならばこの呪いのせいで死ぬことになる」


「ふむ。白鯨騒ぎのときにも似たようなものを見たが。しかし、死をもたらすはずの呪いがどうして人工筋肉の消耗を抑えるのかね?」


「それは……私にも分からない。だが、私の体がおかしい原因として考えられるのはこれの他にない」


「確かにこれは異常ではあるが」


 王蘭玲は暫く魔法陣を眺めた。


「しかし、白鯨事件のときとはまた違う魔法陣のようだね。魔法陣という点では類似性も見られるが、規則性が違う。魔法陣でも文字列の配置や幾何学模様が異なる」


「そうなのか?」


「東雲君に相談したかね。彼らは専門家だ」


「……彼らも違うと言っていた」


 八重野はそう言って上着を着る。


「それならばそういうことなのだろう。これは流石に私も扱いかねる。別の専門家を当たってくれたまえ」


 そう言ってから王蘭玲は一通りの動作確認をすると八重野を処置室に連れて行き、BCIポートの規格を新しいBCI.3.0に移行させた。


「終わったか、八重野?」


「ああ。オペレーティングシステムも更新してもらった」


「そいつはよかったな。よく分からないが」


 東雲はどうして人体にオペレーティングシステムが必要か理解できない節があった。


「ベリア様、診察室へどうぞ」


「はいはい」


 それからベリアとロスヴィータがBCIポートの新規格への移行手術を受けた。ふたりでかかった時間は40分程度であった。


「ほらほら。東雲、新しいBCIポートだよ」


「きもっ」


「酷いなあ」


 やはり東雲としては首の後ろに穴が開いているというのは気味が悪かった。それも金属とプラスチックで、脳にまで繋がっていると考えると。


「東雲様、診察室へどうぞ」


「じゃあ、そいつからカビが入らないようにな」


 東雲はそう言って診察室に向かった。


「やあ、先生。いろいろと騒がせちまって申し訳ない」


「医者が患者を診るのは仕事ビズだよ。君たちがジョン・ドウやジェーン・ドウから斡旋されるもののように」


「そう言われると寂しいね」


「そういうものさ」


 王蘭玲はいつものようにまずは東雲の血液を採取して、貧血具合を調べる。


「もう慢性的な貧血になりつつあるね。造血剤を使い過ぎなのかもしれない」


「そりゃ困る。造血剤がないと仕事ビズにならない」


「分かっている。違う種類の造血剤を処方しておこう。少なくとも今の状態で同じ薬を服用し続けるのは体によくない」


 王蘭玲はそう言ってタブレット端末に別の造血剤の処方箋を記入する。


「先生。これから寿司屋に行くんだけど一緒にどうだい……」


「ん。一緒していいのかい?」


「ああ。飯は大勢で食った方が美味い」


「それは認めるよ。しかし、君は同世代の男子に友達はいないのかね?」


「あー。呉がどっか行っちまったから、今は野郎は俺ひとりだな」


「君も刺されないように気を付けたまえよ」


「おいおい、先生。俺とあいつらはそういう関係じゃないぜ。ベリアとロスヴィータはあくまで仕事ビズの上でのパートナーだし、八重野については保護者というか、面倒見てやってる子って感じだ」


「で、私に相変わらず気があると」


「そう。まさに」


「君も諦めないね」


 王蘭玲はそう言って肩をすくめた。


「今日のセクター13/6は静かだ。急患は来ないだろう。今から?」


「ああ」


「では、支度してこよう」


 王蘭玲はそう言ってクリニック内の私室に引っ込んだ。


……………………

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