八重野アリス

……………………


 ──八重野アリス



 ジェーン・ドウが東雲たちの家にその少女を連れて来たのは、坂下の企業亡命未遂事件から5日後のことだった。


「こいつは駒になる。お前が面倒を見てやれ」


 ジェーン・ドウはそう言って少女を置いて立ち去っていった。


 東雲と対峙したサイバーサムライの少女は深刻そうな表情で東雲を見ている。


「まあ、なんだ。まずは茶でも飲むか?」


 東雲はそう言って少女を家に上げた。


 少女はTMCセクター13/6スタイル──ラフなスーツ姿で、今日は刀を下げていない。どこか緊張した様子で椅子に座る。


「先日は失礼した。私は八重野やえのアリスという」


「東雲龍人だ。こっちはベリアとロスヴィータ」


 ダイニングのテーブルを囲んで八重野と東雲がそう紹介する。


「ジェーン・ドウからはあなたを頼れと言われた。だが、私には問題がある」


「問題?」


「これを見てほしい」


 そして、突如として八重野が上着を脱ぎ始めた。


「お、おい。いきなり何をやってるんだ……」


「背中のこれを見てくれ」


 八重野の露になった背中には魔法陣のような紋様が刻まれていた。


「こいつは……」


「呪いだ。私はこれを解除しなければ、2年後には死ぬことになる」


 東雲たちはマジマジと八重野の背中の魔法陣を見る。


「ベリア。この魔法陣に心当たりあるか?」


「ないね。けど、確かに魔力が感じられる。負の魔力。これは確かに魔術なのかも」


 ベリアは手を伸ばして八重野の背中に触れてそう言った。


「私は大抵の迷信は信じないつもりだが、この呪いは確かに機能するようなのだ。これまで私のジョン・ドウがこの魔法陣で使い捨てディスポーザブルの駒を消して来たのを見ている」


「そして、今回はあんたが使い捨てディスポーザブルになった、と」


「ああ。私自身も銃撃を受けたからそうなのだろう」


 八重野は落ち込んだ様子だった。


「まあ、この手の仕事にはよくあることだ。どうせ企業から優遇してもらっていたとかそういうことはないんだろう」


「ない。だが、私は居場所を失った」


 八重野が俯く。


「安心しろ。ここに住まわせてやる。空いている部屋があるからそこに」


「……本当に世話になる。しかし、私はやはりもう居場所がないのだ。いや、最初から居場所などなかったのかもしれない。所詮は使い捨てディスポーザブルな駒だったのだから」


「そう落ち込むなよ。ジェーン・ドウが生かしているってことは、何かしらの仕事ビズをやらせるつもりだ。必要とされている」


「もうジョン・ドウやジェーン・ドウの類は信じられない」


「うーむ。深刻だな」


 この手の仕事でジョン・ドウやジェーン・ドウに疑念を抱いてしまうとどうしようもない。連中は相手が自分を信じていようといまいと仕事を押し付けるのだ。


「じゃあ、暫くフリーで働くか?」


「フリーで……」


「俺たちは何でも屋だからな。主に殺しがメインだけど、ちょっとブツを押さえてこいだとかそういう仕事もやる」


「依頼主は犯罪組織か?」


「いや。普通の不動産屋だったり、宅配業者だったりと。犯罪組織とは関わらない。連中とのルールだ。ジョン・ドウやジェーン・ドウに属する俺たちは連中の領分を犯さないし、向こうもこっちに口出ししない」


「ふむ」


 犯罪組織との間の暗黙の了解。東雲たちは犯罪組織に“基本的”に手を出さないし、向こうも東雲たちに“基本的”に手を出さない。


 だが、仕事ビズでどうしても交わることもある。


 セイレムたちを支援したヤクザとチャイニーズマフィアの派閥は大井統合安全保障によって強襲され、殲滅されている。


「まあ、そういうことだから、フリーで暫く働いてみるってのはどうだ?」


「東雲。まずはTMCセクター13/6ここを案内してあげなよ。彼女はここの出身じゃないんだろう?」


「ああ。そうだな。今から出かけるか?」


 東雲が八重野にそう尋ねる。


「よろしく頼む」


「決まりだな。ちょっくら出かけてくる」


 東雲は立ち上がるとジャケットを羽織って、八重野と一緒に外に出た。


「ああ。まずここが俺たちのホームな。空いてる部屋はただで貸してやるから、住んでていいぞ。流石にもう俺の家はいっぱいいっぱいだ」


「しかし、それでは」


「気にするな。どうせ赤字物件だし、俺たちは一生遊んで暮らせる金がある」


 道楽でやっているようなものだと東雲は語った。


「では、ここの監視カメラは……」


「ああ。ベリアたちが見張っている。俺たちも敵がいないわけじゃないでね」


 アパートには異常なほどの監視カメラが設置されている。


 東雲たちもいざという場合に備えているのだ。


「まずはいざという場合に備えて医者を紹介しておこう」


「そうだな。医者には世話になる」


「こっちだ」


 東雲たちはTMCセクター13/6の薄汚れた街を進む。


「向こうの連中はヤクザの下っ端のチンピラ集団だ。アングリー・ジャックって名前の連中。前に絡んできたのをちょいと絞めたから向こうから手出しはしてこないだろう」


 東雲も長くTMCセクター13/6に暮らすうちに“ご近所付き合い”というものを学んでいた。どこのギャングがどのヤクザの下っ端で、どの窃盗グループがどのチャイニーズマフィアの下っ端なのかについて。


 お互いに不可侵としているのはヤクザ、チャイニーズマフィア、コリアンギャングの大手だけでその下っ端は電子ドラッグジャンキーだったりし、ちょっかいを出してくるので、“ご近所付き合い”が必要になる。


「連中のような人間は嫌いだ。連中は弱者から吸い上げる。六大多国籍企業ヘックスと同じだ」


「そうかもな。連中の被害に遭う人間は後を絶たないからな」


 そんな雑談をしつつ、異臭のするラーメン屋台、壊れかけのホログラム、叩き壊された自動販売機の前を通過していき、東雲たちは王蘭玲のクリニックを訪れた。


「ここが俺のかかりつけの病院。腕は確かだし、秘密も守ってくれる」


「ふむ」


 東雲たちは雑居ビルの2階に上がる。


「こんにちは、東雲様。貧血でお困りですか?」


「それもあるが、新患を紹介しておきたい。八重野だ」


 ナイチンゲールがいつものように尋ねるのに東雲がそう返す。


「分かりました。暫くお待ちください」


 ナイチンゲールが受付に引っ込み、暫くすると明らかにヤクザと思われる高級スーツの男たちが診察室から出て来た。


「ありがとな、先生! じゃあ、また!」


 ヤクザたちが帰ろうとしたときだった。


 八重野がヤクザたちを眺めていることに東雲が気づいた。


「なんか用か、嬢ちゃん?」


「何の用でもない」


「なら何見てるんか。俺の顔が面白いか?」


「面白くはないな」


 八重野が立ち上がり、ヤクザたちが睨みつけてくるのに応じる。


「嬢ちゃん、やる気か? 舐めた真似すると」


「そっちだろう。いちゃもんをつけて来たのは」


 八重野がそう言って瞬時に拳を繰り出しだ。ヤクザの腹部を拳が抉り、ヤクザのひとりが吹き飛ばされる。


「止めろ、八重野!」


「てめえ! 舐めてんじゃねーぞ、こらっ!」


 ヤクザが口径9ミリの自動拳銃を抜いて発砲する。


 八重野はそれをひらりと躱すと、自動拳銃を持ったヤクザの顔面に回し蹴りを叩き込んだ。ヤクザがまたひとり吹き飛ばされる。


「八重野! 止めろ!」


 東雲が八重野を羽交い絞めにして止める。


「クソッタレ! 舐めた真似しやがって……!」


「悪かった、悪かった。治療費は出す。それ以上はなしだ。あんたらもジェーン・ドウを敵に回したくはないだろう?」


「クソ。ジェーン・ドウ絡みか。分かったよ。治療費だけ出せ。それからその餓鬼をよく教育しておけよ」


「悪い」


 ヤクザは診察室に逆戻りし、腹部と顔面の治療を受けて、東雲が治療費2000新円を負担してことは収まった。


「あのなあ、八重野。言っただろう。ヤクザとかチャイニーズマフィアとかとは関わらないって。どうして喧嘩売った?」


「舐められたらこの仕事はやっていけない」


 八重野が反省の色もなくそう返すのに東雲は深いため息を吐いた。


「あんた、ストリートの育ちかい……」


「そうだ。寝る場所は風雨が凌げれば上等で、食事は手に入れば幸運」


「それでどうやって機械化した……」


「……ジョン・ドウの依頼をやった。人を殺した。盗みもやった。それで合格だったらしく、機械化手術を受けさせられた。それからジョン・ドウは変わったが、サイバーサムライとして生きて来た」


 だから、舐められればどんな目に遭うか知っていると八重野は言った。


「そこまで意地張って生きてきたのには感心するが、揉め事は起こすな。もうヤクザなんかに喧嘩売るなよ」


「向こうが売ってこなければ」


「向こうが売ってきてもやり過ごせ」


 東雲は軽い気持ちで八重野の保護を請け負ったことを後悔し始めていた。


「東雲様、八重野様。診察室にどうぞ」


「ここの先生には絶対に喧嘩売るなよ」


「医者に喧嘩は売らない」


 八重野はそう言って東雲とともに診察室に入る。


「さて、ヤクザを相手に暴れたのはどっちだい?」


 王蘭玲はうんざりした表情でそう尋ねた。


「向こうが喧嘩を売って来た」


「悪い、先生。俺の監督不行き届きだ」


 八重野が言うのに東雲がすぐに謝罪する。


「病院で暴れられては困るよ。怪我人が病院でまた怪我をして戻ってくるなんて」


 王蘭玲はそう言って八重野を見る。


「で、この子が新患かい?」


「ああ。これから世話になることもあるだろうから、まずは挨拶にと思ったんだが」


 それがあんなことになるとはと東雲は改めて謝罪した。


「君はサイバーサムライだね?」


「分かるのか?」


「見ればわかる。だが、得物を持っていないようだが……」


「今はない。負けてしまったからな」


 八重野が見るからに落ち込む。


「では、健康診断でもしておこう。東雲、君は造血剤だろう? それとも君も一緒に健康診断を受けておくかね?」


「いや。俺はいい。こいつをよろしく頼むよ、先生」


「分かった。では、後で造血剤を渡す」


 東雲は王蘭玲に八重野を託して診察室を出た。


「これから問題だらけになりそうだぜ」


……………………

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