エスケープ//対象
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──エスケープ//対象
坂下はTMCセクター6/3のホテルに宿泊していた。
大井医療技研としては研究所に缶詰にしておきたかったようだが、相手の引き抜きチームが真っ先に狙うであろう研究所に坂下を収容しておくのは、あまりいい考えだと思えなかったようだ。
東雲は既に配置されていた大井統合安全保障の護衛チームと交代する形で配置に付く。まずは坂下の様子の観察だ。
坂下は40代ほどの男で、痩せた男だった。
どうやらそわそわしているらしく、動物園の熊のようにホテルの部屋の中をうろうろしていた。引き抜かれることを恐れているのか。
坂下は第七世代人工筋肉研究の第一人者であり、大井医療技研は相当な額の報酬を坂下に支払っているということであった。
「よう。あんたの護衛をすることになった人間だ」
「あ、ああ。よろしく頼むよ」
東雲が声をかけると坂下は頷いた。
「あんたが研究している第七世代人工筋肉ってのはそんなに凄いのか……」
「まあ、革新的な技術ではある。この第七世代人工筋肉を生み出す過程で生まれた細胞はエネルギー消費が少なく、他の分野にも応用できる。人工食料に埋め込めば、低い栄養素で十分な作物が育つだろう」
「メティスが欲しがりそうな技術だな」
「メティスだけではない。第七世代人工筋肉の技術は
「ふうむ」
坂下の言葉には既に引き抜かれることが決まっているような感じがした。
東雲はそこで一旦席を外す。
「ベリア。坂下の口座情報について調べてくれ。不自然な支出や収入がないか」
『オーキードーキー』
ベリアに総連絡してから東雲は坂下の元に戻る。
「あんた、引き抜かれるのは恐ろしくないのかい?」
「それは……恐ろしいとも。もし、私が引き抜かれるようなことがあれば、大井は必ず私に報復するだろう。それか他の企業に渡すぐらいならば始末してしまう。君はそういう目的で送り込まれたんだろう?」
「まあ、それも仕事のひとつではあるな」
東雲ははっきりとそう言っておいた。
「生体インプラントの手術は拒否したんだって?」
「メティスにいたときにある種の酵素を植え付けられていた。定期的にメティスの合成した栄養素を摂取しないと、死んでしまうという酵素だ。大井に企業亡命したときに、ナノマシンで取り除いて貰ったがああいう思いは二度としたくない」
どうやらGPSが植え付けられてることは知らないらしい。
ジェーン・ドウは坂下に植え付けられているGPSは生体電気で作動するナノマシンだと言っていた。恐らくはそれを植え付けたのは、そのメティスの酵素を取り除く時だったのだろう。
「あんたは今の環境に不満は……」
「ないよ。大井にはよくしてもらっている。不満などない。強いて言うならば私の業績に見合った報酬がちゃんと支払われていないことぐらいだ。私が第七世代人工筋肉の開発者なんだ。それなりの報酬を受け取る権利はあるうはずだ」
「そこは上の人間と相談すればいいだろう。ストでもするか。大井はあんたに頼り切っているようじゃないか、労使交渉ではあんたが優位に立てるはずだ。違うか?」
「まあ、確かにその通りではあるが」
大井の待遇に全く不満がないわけではないようだ。
この手の技術者・研究者の引き抜きに東雲も何度か
その上で言えるんはパターンとしてはふたつあるということ。
ひとつ、引き抜かれる側に全くその気がないのに拉致されるパターン。これはかなり強引な方法で行われる。何せ引き抜かれる側は抵抗するし、抵抗されても引き抜く以上、殺すわけにはいかないのだ。
もうひとつは、引き抜かれる側が引き抜きに同意している場合。引き抜きに同意しているとなれば、スムーズに引き抜きは行われる。引き抜かれる側も引き抜きに協力するのだから当然のことだ。
「あんた、大井の扱いがかなり不満なのか?」
「そういうわけではない。大井にはメティスから解放してもらった恩がある。メティスでの待遇には大いに不満があった。地位も報酬も不当だった」
「メティスに戻るつもりは……」
「ないよ。向こうは私が企業亡命してから4回も殺そうとしてきたんだぞ?」
そんなところにどうして戻る必要があると坂下は言った。
「殺されそうになったのか? 聞いてないぞ」
「事実だ。私が企業亡命してから暗殺未遂事件が4回起きた。幸いにして難を逃れたが、メティスは大井に私の持っている知識を与えるぐらいならば、殺してしまえという考えだったらしい」
「ふむ。となると、今回も殺害が考慮されている可能性はあるな」
大井に置いておくぐらいならば、殺してしまえ。
大井ですら奪われるぐらいならば殺してしまえと言う考えなのだ。
「わ、私の身の安全は保障してくれるんだろうな?」
「可能な限り。大井はあんたを手放したがっていない」
じゃなきゃ、わざわざ俺はここに来てないと東雲は言う。
だが、坂下はますます顔色を青くして、部屋の中をうろうろし始めた。
まあ、この部屋に敵が飛び込んできでもしない限り、坂下の身は安全だし、ホテルのセキュリティはベリアとロスヴィータが把握している。
「ベリア。調査の方は?」
『難航してる。坂下は複数の銀行に口座を持っていて、そのひとつがアロー・グループ系列の金融機関でね。
「アローか?」
『そう。太井ファイナンシャルにも相当な額を投資に回してるけど、それでも大井医療技研から出ている給与とは釣り合わない。相当な額と言っても全体の10分の1程度だけどね。どう思う?』
「どうに臭い。だが、このホテルから出さなければ奴が消え失せる心配はしなくともいいわけだ」
『ホテルのセキュリティはロスヴィータが把握している。今のところ、異常はないそうだよ。せいぜい、隣の工事が五月蠅いって苦情が入ったくらい』
「了解」
このままどこぞの六大多国籍企業が引き抜きに来ずに、
東雲は今も部屋をうろうろしている坂下に疑念を抱いていた。
こいつは自分から引き抜きを望んだのではないかと。
「座ってろ。うろうろしていてもどうにもならん」
「落ち着かない。命を狙われているかもしれないだぞ? 私の気持ちが分かるか?」
「分からんね。あいにく、あんたみたいな天才じゃないんでな」
東雲がそう言うと坂下は露骨に舌打ちして、不満そうな顔をした。
「君は銃も刀も持っていないが、それでどうやって私を守るんだ?」
「不思議な手品さ。種も仕掛けもない」
「全く。大井医療技研も碌でもない人間を寄越してくれたものだ」
そして、坂下がまたうろうろし始める。
やけに時計を気にしているのに東雲が気づいたときだった。
『東雲。ビンゴ。君の勘は当たったよ。坂下はアロー系列の金融機関にも僅かにしか貯蓄がない。調べたところ、オンラインカジノで相当な額の金を消費している。坂下はギャンブル中毒だ』
「なるほど。そいつは引き抜きに応じる理由にはなるな」
『それで──。待って! ロスヴィータ! 外のカメラのこれは!?』
ベリアの声がそう響いたときだった。
ホテルの窓が叩き割られ、壁が砕かれる。
クレーンが突っ込んできたのだ。
「マジかよ、おい!」
東雲が反応するのも遅く、坂下が一気にクレーンに向けて駆けだした。
「ベリア! 周辺の情報を! 坂下が逃げた!」
『GPSで追跡中! それからクレーン車の傍に軍用四輪駆動車!』
「了解! 位置を示し続けてくれ!」
東雲もクレーンに飛び乗る。
クレーンは急速にホテルの壁から外れつつあり、東雲が身体能力強化を極限まで行使してジャンプした。
クレーンには銃で武装したふたりのスーツ姿の男がいて、ひとりが坂下を掴んで逃がしつつ、ひとりが短機関銃から銃弾を浴びせてくる。
「邪魔すんなっ!」
東雲が“月光”を展開し、高速回転させながら短機関銃を乱射する男に突撃する。
「畜生! 敵はサイバーサムライだ! 話が違うぞ!」
「撤退しろ!
「了解!」
男たちはクレーンから軽々と飛び降りる。
「四肢を機械化してやがるな。傭兵かサイバネアサシンか」
東雲も身体能力強化でクレーンから飛び降りる。
『東雲! GPS信号消失! 気づかれた!』
「見えている間に追いかけるしかないか。足を準備してくれ!」
『それならもう手配済み!』
滑り込むようにSUVが東雲の前に現れる。
「運転は自分でするから、向こうの車をどうにかしてくれ」
『それがシステムがオフライン。こっちの攻撃を読んでたみたい』
「クソッタレ」
東雲は悪態をつくと坂下を乗せた軍用四輪駆動車を追いかけた。
『けど、交通システムはハックできる。どうにかして妨害するよ』
「頼むぜ」
『それから車のナンバープレートを読み込んだ。スキャナーで位置をリアルタイムで送信するから追いかけて』
ベリアのハックした交通システムの中のスキャナーに坂下を乗せた軍用四輪駆動車が映っていた。それは真っすぐセクター12/1を目指しているかのように見えた。
『東雲。追加で連絡。今、TMCヘリポートからヘリが1機離陸した。所属は民間航空会社だけど、セクター12/4への飛行許可を取ったみたい。ロスヴィータが確認した』
「ヘリでとんずらしようって気か」
東雲のSUVが前方の軍用四輪駆動車に迫るのに、軍用四輪駆動車から男たちがサプレッサー付きのカービン銃で銃撃してきた。東雲は窓ガラスを突き破って銃弾が飛び込んでくるのに車をジグザグ走行させる。
「やってくれやがって。ベリア、運転を頼む!」
『オーキードーキー!』
東雲はベリアの遠隔運転に任せて、車の窓から身を乗り出すと“月光”を高速回転させて銃弾を防ぎつつ、軍用四輪駆動車から銃撃してくる男たちに向けて“月光”を投射する。“月光”の刃が男たちを引き裂く。
「なっ……」
そこでいきなり軍用四輪駆動車の上部ハッチが開き、対戦車ロケットを持った男が姿を見せた。
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