戦いの後に
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──戦いの後に
東雲たちは王蘭玲のクリニックを訪れた。
「東雲様。貧血でお悩みですか?」
「いいや。先生に食事のお誘いだ」
「暫くお待ちください」
ナイチンゲールがそう言って受付に引っ込む。
「なあ、呉。セイレムって女とはどういう関係だったんだ……」
「俺がメティスに拾われてから、暫く付き合っていた女だ」
「だが、あいつは元々はメティスの非合法傭兵じゃなかったんだろう?」
アトランティスかどこかの
「そう。昔はそうだった。だが、六大多国籍企業の非合法傭兵がいつも殺し合っているわけじゃない。一時的に協力したり、停戦しているときもある。俺たちが出会ったのは幸運にもそういうときだった」
あるいは不幸なことにか、と呉が言う。
「あいつはアトランティスの非合法傭兵だった。だが、その時はメティスとアトランティスの間に係争事案はなく、停戦状態だった。俺たちは互いにサイバーサムライだったこともあって、知り合いになった」
それから付き合い始めるまではすぐだったと呉は語る。
「あいつはいい女だったよ。女らしいところはほとんどなかったが、そこがよかった。女らしい女ってのはある意味では面倒だ。そういう面倒くささがいあいつにはなかった。まあ、サイバーサムライって職業柄だろうが」
呉はそれからくだらないB級映画を一緒に見に行ったり、トロントの日本料理店で食事したりした話をした。
「そういや、あんた日本人なのか……」
「IDはカナダのものと日本のものがふたつある。だが、ルーツには日本人だ。セイレムもああ見えて日系人だぜ。日系四世だと言っていた。日本人とメキシコ人のクォーターだと話していたかな」
「そりゃ話も合うな。俺は外国のことなんてさっぱり分からないが」
「今は国よりもどの企業に所属しているか、だ。そういう世の中になりつつある。血筋だとか、国籍だとかは、どうでもいい世の中になるんだろうな」
「昔は肌の色。今は企業の名前か」
いつの世の中も分断されているものだなと東雲は呟いた。
「いつ決別した?」
「アトランティスが新型医療用ナノマシンを開発し始めたときだ。メティスは医療用ナノマシンのシェアのほとんどを握っている。アトランティスがそこに入り込むには、手っ取り早くメティスの技術者を引き抜けばいい」
「それで揉めた、か」
「ああ。技術者の保護を巡った
奴は元恋人にも容赦なかったよと呉が語る。
「結局のところ、俺は技術者を守り切れなかった。だが、奪われることはメティスが阻止した。メティスは技術者の脳にある種の有機デバイスを埋め込んでいたらしく、アトランティスがBCI接続したと同時にその有機デバイスが作用した」
「どうなったんだ?」
「技術者の脳は焼き切られ、同時に同じネットワークに接続していたアトランティスの技術者全員の脳が焼き切られた。メティスはそういうことをやる企業だ」
「とんでもねえ連中だな。それであんたはお咎めなしだったわけかい……」
「ああ。メティスは強奪されることを前提に作戦を立てていた。だが、俺のプライドはズタボロさ。セイレムには薄皮一枚に一太刀浴びせるのが精一杯だった。それに対してセイレムは俺の腕を叩き切った」
あの時は自分の情けなさを自認したと呉は言う。
「だが、今回は勝った。そうだろう?」
「これで勝ったと言えるかね……。俺にはまだセイレムと戦いたい気分と、以前のような恋人の関係に戻りたい気分のふたつがある。どっちつかずだ」
「あんたも難儀なもんだな」
俺は王蘭玲先生一筋だぜと東雲は言った。
「いっそ過去の女として切り捨てられれば確かに楽なんだがな。そうできない魅力があの女にはあるんだ。俺が初めて恋した女でもあるし。初恋って奴はそう簡単に諦められるものじゃないだろ?」
「初恋を引きずるような年かよ。あの女のことは忘れた方がいいぜ。ジェーン・ドウははっきりとは言わなかったが、吐くもの吐かせたら
「そうなんだろうがな」
男の未練ってのは情けないものだなと呉が嘆く。
「それだけ情熱的な恋が経験できただけでも人生の糧にはなっただろうさ。俺なんてそこまで情熱的な恋をしたこともない。世の中、不平等なもんだぜ。恋をできる人間だって限られているんだからな」
「あんたはそういう機会はなかったのかい……」
「あいにくね。ちとばかり特殊な環境にあって、最後に好きになったのは中学生のときのクラスメイトかな。一緒に図書委員やって好きになった。けど、付き合うとかそういうことはなかった」
あー……懐かしいと東雲が言う。
「高校時代は?」
「特に何もなし。男友達と遊び惚けてた。学業は必要最小限で、ゲーセンやカラオケで遊んでたよ。それでも一応成績は上位の方だたったんだぜ?」
文系の大学なら進学できる先がいくつもあったと東雲は語る。
「あんた、大学に通えるだけの財産があったのかい?」
「昔はな。昔の話さ」
今の学費は凄いのだろうと東雲は察した。
ここまでの格差社会だ。そして社会福祉なんぞクソくらえなのは政府の形骸化からも見て取れる。医療費も、学費も跳ね上がったことだろう。
「そんなエリートが今や非合法傭兵とはね。没落したもんだ」
「まあ、没落はしたなあ。というよりも世界が変わっちまたというか」
ついこの間までは瀕死だったとはいえ勇者様だったのになと東雲は思った。まあ、本当に死にかけ勇者だったけどと。
魔王様も今やハッカーだし、変わったものだと東雲は思うのだった。
「────!」
中国語のような言葉が聞こえたかと思うと、診察室からスーツ姿の男が出ていった。明らかに堅気ではないスーツだ。このTMCセクター13/6でこういうスーツを着ているのは犯罪組織の連中と相場が決まっている。
東雲も、呉も、スーツ姿の推定中国人と視線を合わせないようにし、推定中国人はチップで金を払って去っていった。
「チャイニーズマフィアだな」
「中国語分かるのか……」
「ああ。少しだけな。昔、カナダに中国系の友達がいた」
そいつもルーツの言語を片言でしか喋れなかったがと呉は言った。
「ここにいる中国人もいろいろだ。中国は広いし、華僑はあちこちにいるし。そして、それぞれの派閥でいがみ合っている点では六大多国籍企業と同じ」
「人間、そういうものだよな」
「それが飯のタネになるから俺たちみたいなのが生きていけるわけでもあるから、善悪は問えんさ」
「全くだ」
呉とそうこう話をしている間に、王蘭玲が診察室から出て来た。
「やあ。無事に生き残ったようだね」
「ああ。なんとか生き残ったよ、先生」
「では、約束通り、下の中華料理屋で食事でもしよう」
王蘭玲はいつも通りのダウナーな声でそう言った。
「お腹ペコペコ。ラーメンセットにしようかな」
「動かないで食うと太るぞ」
「頭脳労働してるから大丈夫」
ベリアはペロッと舌を出して笑った。
「まあ、いい。太ったらナノマシンを叩き込めばいい世の中なんだからな」
東雲は散々痩せるナノマシンが広告されているのを見ていた。
「医者としてはそれでも暴飲暴食は勧めないが」
「分かってるよ、先生。合成食品のいい点は食いすぎる気にならないところだ」
合成品は食べ過ぎると腹の具合が悪くなると東雲は語った。
「ねえ、東雲。今まで聞こうと思って聞けてなかったんだけど」
「なんだ、ロスヴィータ?」
「ローゼンクロイツ学派は残っているんだよね? 弟子だったエミリア・バードンはどうしてるのかな……? まだ生きてるよね?」
「いや。聞いたことがない。俺がいたときには死んでたんじゃないか? あんたが去ってから相当な年月が過ぎていて、そしてその間ずっと魔王軍や吸血鬼とドンパチしてたんだぜ?」
「そっか。そうか。ありがとう。心残りだったから」
ロスヴィータはそう言って微笑んだ。儚げな笑みだった。
「吸血鬼って何の話だ?」
「こっちの話だ。気にするな」
「ああ」
呉が怪訝そうに東雲たちを見たのちに王蘭玲のクリニックを出ていく。
「下の中華料理屋は美味いのか?」
「美味いぞ。ラーメンが美味い」
「そりゃあいい。ラーメンが嫌いな奴はいない」
昔ながらの中華そばならなおいいと呉は言った。
「俺も今日はラーメンの気分だ。先生は?」
「私もラーメンだな。医者として忠告しておくならば、スープは全部飲まない方がいいよ。下の中華料理屋のラーメンは塩分過多なところがあるからね」
「本当に先生は医者だな」
「医者と政治家と学校の教員ぐらいだよ。先生と呼ばれるのは」
そして、私は政治家でも教員でもないと王蘭玲は言った。
「今回の
「いいや。それなりには酷かった。数回は死にかけた。二度とごめんだね」
「だが君らの
「それを言われるとどうしようもないな」
東雲はお手上げだと言うように両手を上げた。
「まあ、無事で何よりだ。一度でも診た患者が路地裏で死体になっているとは思いたくはないものだからね」
「先生のそういうところ、好きだぜ」
「はいはい」
東雲としてはいい感じの気分だったのだが、王蘭玲には流された。
「あ。ちょっと先に行っていてくれ」
「ん。分かった」
ベリアは何かを察したかのように皆を連れて行った。
「“月光”。出てきてくれ」
「主様! 我の活躍はどうったのかの?」
“月光”の化身である銀髪の処女が姿を見せる。
「ナイスだった。いい連携が出来てたぜ」
「じゃあ、これからも……」
「それが悪いんだが、あの体型は思った以上に血を消費する」
「そうか」
“月光”は見るからに残念そうだった。
「だが、今回の活躍を祝して下でラーメンを食おう。前にも食っただろう?」
「うむ。主様の体の健康が第一じゃ」
「ありがとな、“月光”」
頼りにしてるぜ、相棒と言って東雲は“月光”を連れて下の中華料理屋に降りた。
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