白鯨の発生要因
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──白鯨の発生要因
「問題は白鯨はどうして生まれたのか」
東雲、ベリア、ロスヴィータが揃ったダイニングでベリアがそう言う。
「白鯨は神になろうとしている。絶対的な支配者に。そのための能力を会得するが奴の目的であり、支配こそが奴の目的」
目的は分かったとベリアは言う。
「問題はどうやって白鯨が生まれたかだよ」
「白鯨はホムンクルスの死体の寄せ集めで、それをチンパンジーがシェイクスピアの作品を書くような確率で組み合わせて生まれた、って話だったな」
「そう。効率としては非常に悪いけど、生み出すには確実。スパコンでホムンクルスの組み合わせを演算したんだと考えているんだけど、どうなのロスヴィータ?」
ベリアがロスヴィータを見る。
「それだったら、まだ救いがあったんだけどね」
「スパコンで組み合わせを演算したんじゃないの?」
「それには情報が不足していた。ホムンクルスのデータベースなんてこの世界にも、向こうの世界にも存在しない」
「なら、どうやって?」
ベリアは無限の猿定理であの白鯨をメティスは生み出したのだと思っていた。
「蟲毒って知ってる?」
「ああ。壺の中に毒蛇や毒を持った昆虫なんかを入れて殺し合わせる呪いの方法だろう? それが白鯨と何の関係があるんだ?」
「白鯨は蟲毒と同じ方法で作られたと言ったら?」
「はあ?」
東雲が眉を歪める。
「ホムンクルスをマトリクス上で作れるのは君たちも知っているよね? そう、メティスは最初の第一案が没になってから、ホムンクルスを使った第二案に変えた」
「それが蟲毒だと?」
そもそも第一案ってなんだろうかと東雲は思った。
「ボクは最初は目的を知らずにホムンクルスをマトリクス上に作った。だが、それは最悪の形で使用された」
ロスヴィータが語り始める。
「ボクが作ったホムンクルスの数は2000体。それをあるデバイスに入れた」
「それでそのデバイスというのは?」
「ホムンクルスはマトリクス上で生き延びるためには、最小限の演算能力が必要になる。いわば、人間が人間として機能するために必要な脳と肉体という演算装置が必要だということ」
「ふむ」
「それをひとつの箱だとしよう。その箱に入った人格だけが生き延びられる。他は死滅する。そういう状況になったら?」
「……殺し合いか」
東雲が呟くようにそう言う。
「蟲毒というのはそういうことか」
「そう、2000体のホムンクルスがお互いを食い合い、殺し合い、蟲毒の壺の中のもっとも毒を有するものになった。それが白鯨が発生したメカニズム。彼らはシミュレーションするなんてことはしなかった」
「それで、あんなコアコードを……」
ベリアは白鯨の狂気と怨嗟そのもののコードを思い出す。
「けど、それだと小さな機能に収まるんじゃないか? だって箱の大きさは限られているんだろう? 白鯨は馬鹿デカいデータだって聞いてるぜ?」
「彼らはボクからホムンクルスの生成方法を学び、実践した。2000体のホムンクルスの殺し合いを何度も繰り返させたのさ。真実を知った時、ぞっとしたよ。彼らは最終的に巨大な箱を用意し、憎悪に満ちたホムンクルスたちを食い合わせた」
そして、出来上がったのが白鯨だとロスヴィータは語る。
「ここからはボクがメティスから逃げ出したから憶測になるけれど、メティスはその後に世界征服の使命を与えたんだと思う。憎悪に満ちていてもホムンクルスでありAIだ。人間が与えた使命には従う」
「ちょっと待って。そんなことって可能なの? だって、白鯨はいわば猛毒の蛇だよ? それに世界征服を任せようなんて思ったの?」
ベリアが思わず尋ねる。
「猛毒の蛇だからこそ、世界征服なんて大それたことができるんだよ。蟲毒の呪いはそういうものだろう。最後に残った蟲で相手を呪い殺す。この今の社会というものを呪い殺し、白鯨が乗っ取る」
白鯨にはそれが可能なだけの能力がメティスが主導した蟲毒の儀式によって備わったとロスヴィータは言った。
「だが、それだとメティスの利益にもならないんじゃないか? 今の体制ってのは残りかけの国家的権力と台頭しつつある
東雲の疑問点はそこだった。
白鯨が世界征服を成し遂げたとして、それでメティスが何を得するのか。全ての他のライバル企業を叩き落とすならば分かるが、ベリアの話を聞く限り、白鯨は六大多国籍企業による支配すら否定しているという。
では、製作者であるメティスは何の得を?
「メティスは研究を認知している。けど、それが利益にならないことは知らないのかもしれない。表向きの研究は魂を持った人工知能の研究、だったから」
「つまり生得的言語獲得能力を有するAI?」
「そう。メティスはただ単に超知能を作ろうとしていただけ。それは恐らくメティスにとって利益になったはず。だが、その研究がある男の手に渡ってから事情が変わった」
ロスヴィータが続ける。
「オリバー・オールドリッジ。私と同じ世界の出身者。恐らく本人は魔術的延命措置を施している。外見年齢よりもずっと年を取っていて、それでいてホムンクルスに着目するだけの魔術的知識があった」
「おい。何人この世界に異世界人がいるんだよ。そう簡単に来れるものなのか?」
「彼は転移を続けてきたんだと思う。私が来たのは1500年ほど前だけど、彼が来たのは最近のこと。メティスは表向きにはただの生物医学系企業だけど、経営陣は魔術カルト。外なる神々を崇めているとか言われている」
経営陣も魔術を知っているとロスヴィータは言った。
「つまり、そのオリバーって男はいろいろな世界を飛び回り、そしてメティスに行き着いた。メティスの経営陣もイカれてて、オリバーも殺人AIに世界征服を担わせるぐらいにはイカれている?」
「そういうことだね。かれらの理想や理性はどこか他の場所にある。AIが世界征服を企んでも、それが成し遂げられても、気にしないような連中なんだろう」
実際にメティスの経営陣と会話したことはないから想像だけれどとロスヴィータは東雲の疑問に返した。
「どうかしてるぜ。オリバーって男は蟲毒の儀式なんかやって、それで殺意溢れる猛毒のAIを生み出し、そんでもって世界征服とは」
もう超知能的発想じゃないのかと東雲は呆れた。
「これはむしろ俗っぽい話だよ。あのAIは神になろうとしてる。だけど、そこに神秘性や神としての権威を求めていない。ただ、AIのAIとしての能力を振るって、支配するだけだ。オリバーって人間もそれを分かっているはず」
「そう、オリバーは神秘性は求めてない。求めていたら、蟲毒なんていう一種の生存競争なんていう荒っぽいことはしなかったはず。蟲毒の儀式は確かに神秘的なところもあるけど、目的は結局人を殺すという俗っぽいこと」
人殺しの手段が変わっただけだとロスヴィータは言った。
「意味の分からない俺には全部神秘的に見えるよ。ある意味、無知な人間が一番神様って奴を信じるんだろうな」
「科学が次々に神秘のベールを剥がしていくこの世界ならではの悩みだね。確かに神に助けを求める人間は、その前にやるべきことをやってないことが多い。ボクが思うに彼らが無知故に」
「でも、無知な俺でもAIの神様なんてのは信じないぜ? AIってのは結局人工知能の略称であって人の手で作られたんだからな」
人間が神様を作るなんておかしいだろ? と東雲は言った。
「宗教はどれも人が神を作っているじゃないか。どんな神話も聖典も結局は人間が記した“よくできたフィクション”に過ぎない。悪魔の私がいうのもなんだけど、神様なんて存在はあいまいなものだよ」
ベリアはそう言って肩をすくめた。
「そりゃあそうかもしれないけど。まあ、神様なんてどうでもいいか。問題はそいつに本当に世界征服やれる能力があるのかどうかだ」
「白鯨──これは君たちが付けた名前だけど、実際のプロジェクト名は欺瞞のために人工知能のための延長現実研究と呼ばれていた。略称はERIS。偶然にもギリシャ神話における不和と争いの女神の名前だ」
「で、白鯨は超知能を宿せると思うか?」
東雲がそう尋ねる。
「ボクがいた段階では不可能だった。少なくともボクが関わっていた段階ではそれはホムンクルスの死体の継ぎ接ぎであり、ホムンクルス以上の力を持たなかった。つまりは製作者の人間というデータベース以上のことはできないELIZA」
ロスヴィータはそう答える。
「これから成長する可能性は?」
「ないわけじゃない。生得的言語獲得能力を後天的に有するというのも変な話だけれど、白鯨が自分の言葉で喋り出す可能性は皆無じゃない。というのも、私の後任者がホムンクルスを使わないAI研究でそれを実現したから」
「なんだって? 成功していたのか? 超知能に繋がる技術に?」
東雲が驚く。
「ベリア。聞いたことは?」
「あれだろう。臥龍岡夏妃。彼女はメティスにいたんじゃないかい?」
白鯨を生み出すための第一案。
「そう、臥龍岡夏妃。彼女は天才だった。彼女は自らの言語で文法を組み立て、自分をアップデートし続けるAIを作った。だけど、メティスはどういうわけかその技術の一切を失った」
白鯨の第一案は没になったのはそういう経緯があるとロスヴィータはいう。
「白鯨は……どうなるんだろうな?」
「恐らくジェーン・ドウは白鯨の撃破を望んでいる。次の
「神様を騙る化け物を相手にはしたくないものだぜ」
東雲はそう愚痴って昼食のテイクアウトを買いに出た。
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