計数されざるもの

……………………


 ──計数されざるもの



 東雲はあの戦闘の後、へとへとになりながら王蘭玲のクリニックを訪れた。


「ようこそ、東雲様。貧血でお悩みですか?」


「ああ。貧血だ。頼む」


「畏まりました」


 ナイチンゲールがいつものようにやり取りをして、奥に引っ込む。


 それから何名かの負傷した人間が礼を言って出ていき、それから東雲の診察になった。今日は客が多かったなというのが東雲の感想だった。


「やあ、先生。今日は大繁盛みたいだったな」


「どうやら揉め事があったらしくてね。君には関係ないだろう。ほとんどがストリートのただの喧嘩だ。くだらない電子ドラッグの取り合い」


 王蘭玲はそう言って肩をすくめた。


「さて、君の方は深刻そうだね。まずは血圧だ」


「あいよ」


 ナイチンゲールが東雲の血圧を測定する。


「酷い低血圧だ。また貧血だね」


 結果を見て王蘭玲がため息をつきながら、猫耳をカリカリと掻く。


「まあ、職業病って奴でね。今回はちょっと不味かった」


「サイバーサムライの相手でもしたのかい?」


「え? 知ってるのか、先生?」


 東雲はちょっとぎょっとした。


「適当に言っただけだよ。しかし、相手は本当にサイバーサムライだったのかい?」


「ああ。音速を超えているような奴だった。機械化したって言ってたけど、機械化した人間ってのはそんなに凄いものなのかね……」


「機械化のレベルによるが、君の話を聞く限り第六世代の人工筋肉で機械化していたようだね。第六世代の人工筋肉は最先端だ。やろうと思えば音速を超えることも可能だろう。筋肉の形をした、まさに機械だからね」


 人間という生き物を効率化を突き詰めていき、外部装置なとで補うことによって、身体の機械化は人間の限界を軽く超えてしまうと王蘭玲はいう。


「それって体に悪いんじゃないか?」


「そうでもない。無理をした分の負担の軽減まで考えてある。もちろん、ちゃんとした機械化ならば、だが。君も機械化に興味が出てきたかね? だが、あいにくBCI手術は請け負っていても、人体の完全機械化は請け負ってないんだ」


 義手ぐらいなが準備するがねと王蘭玲は言った。


「いや。俺は自前の腕と足でいいよ。そもそも機械化した人間って手足を切り落としているのか?」


「脳だけ保護して、頑丈な作られた肉体に移すということもある。そのためには神経接続のための循環型ナノマシンを注入しなければならないが」


「うげえ」


 東雲は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。


「だから、君が使っている造血剤にもナノマシンが入っているのだよ? それは造血機能を促進して、血液を生み出す。そのために必要な栄養素と一緒に一種の人工酵素としてナノマシンが付与されているのだ」


「酵素って言われると馴染みあるけど、結局は小さい機械なんだろ?」


「そうだよ。だが、いわゆるバイオミメティクス──生物模倣が行われている。分子的生物模倣だ。ナノマシンというものはレアメタルを使って触媒として、酵素として、化学反応を加速させるが、基本的な構造は生物が本来持っているものだ」


「それでも俺は遠慮したいね」


「君は本当に考え方が前時代的だな」


 王蘭玲はため息をついた。


「緊急用造血剤は何回使った?」


「2回」


「1日で?」


「1日で」


 東雲の答えに王蘭玲は長くため息をつき、額を押さえた。


「君は今日だけで2回以上失血死するようなことをしたということか」


「相手はいろいろいたが、どいつこいつもも血を流さなかったものでね」


 無人兵器ばかりだと東雲は愚痴る。


「失血死しかかったのならば仕方ないが、用心したまえよ? 一応、検査だ。君の内臓が何度潰れたのか知らないが、今回も内臓が潰れたのだろう?」


「またグレネード弾と戦車砲を食らったんだよ。体の強度は上げられない」


「全く。無茶をする。早死にするよ」


 それから東雲はレントゲンや血中ヘモグロビン濃度の測定を行い、完全に治癒していることを確認してから輸血を受けた。


「健康に気を付けたまえよ。私も患者がストリートで死体になったとは思いたくない」


「まあ、ぼちぼち健康的にやっていくよ」


 王蘭玲が苦言を呈するのに、東雲は申し訳なさそうに後頭部を掻いた。


「それはそうと夕食を一緒にするかい。今日は急患が多くて食事の暇がなかったんだ。ようやく途切れたようだし、下の中華料理屋でよければ」


「先生から誘ってくれるかい」


「ああ。どうせ君は今日も誘うつもりだっただろう?」


「よし。もちろんだ。奢らせてくれ、先生」


「私から誘ったんだ。貸し借りはなしだ」


 奢る奢ったはなしと王蘭玲は言って席を立った。


 そして、東雲とふたりで1階の中華料理屋を訪れる。


「イラシャイ、先生!」


「やあ」


 王蘭玲は片言の中華系店員に挨拶を返すと席に着いた。


「私は麻婆豆腐定食にしておこう。ここは麻婆豆腐もなかなか本場の味でね」


「先生は中国系だけど本土から?」


「いいや。生まれも育ちも日本だよ。2020年に勃発した第三次世界大戦の難民として日本に行き着いた中華系の二世だ。少なくとも書類の上ではそうなっている」


「先生はミステリアスだね……」


「そうかい。君だってIDの偽造くらいしているだろう。君の相棒はいくつの偽装IDを持っているんだい」


「さてね。このセクター13/6住民のほとんどはまともなIDは持ってないんだろ」


「我々は社会から弾かれた計数されざるものたちだ。中国の一人っ子政策のせいで数えられることのなかった子供と同じ。共産政権下カンボジアで虐殺された死体のひとつ。第三次世界大戦で行方不明MIAになった兵士たち」


 そして、中国政府の国民管理のためのサーバーがサイバー的、物理的攻撃を受けて、滅茶苦茶になって売られたIDのひとつと王蘭玲は語る。


「我々は確かにここに存在する。だが、国家という機関は、政府というシステムは、総務省のデータベースという絡繰りは私たちをカウントしない」


「存在するのに、認知されない。透明人間か」


「ああ。あらゆる場所で虐殺を繰り広げた第二次世界大戦中のドイツ人だって几帳面に記録を取っていたのに、この世界の混沌の原因は、システムがシステムとしてあまりにもしっかりとしてしまったために、冗長性を失ってしまったことだ」


 今のシステムはイレギュラーを極めて嫌うと王蘭性は語る。


「少しでも国民たる資格を失えば、それまでだ。だから、偽造屋たちが職にあぶれることはないのだがね。しかし、国家から見放される。国家から与えられていた権利を失う。国民を国民としてカウントしない。歪だよ」


「俺も好きで国民としての権利を失ったわけじゃないだがね。世の中、どうやって国民としての資格を失うものか……」


「単純な外国人不法就労者から六大多国籍企業ヘックスにその立場を追われた経済的難民、それからシンプル過ぎる犯罪者。あるいはどうしても逃げる必要があり、それでいて政府が保護しようとしない人間」


「政府が保護しようとしない人間……」


 東雲が首を傾げる。


「六大多国籍企業絡みか、政府機関絡みの問題に関わって、逃げざるを得なくなったなった人間。今の国家は、政府は、我々をIDなどで束縛しようとするにも関わらず、その保護に熱心ではない」


 だから、その人間は自分のIDを捨てて別の誰かのIDで生きていくことを強いられると王蘭玲は言った。


「この国はどうなっちまったんだろうな」


「この国だけじゃない。世界中で同じ問題が起きてる。我々は国家や政府というものの呪縛を受けつつも、国家や政府はかつてのような助けにはなってくれない。中途半端に力だけが残った」


 国家の出来損ない。政府の成り損ない。そういうものが過渡期の残滓として残っている。王蘭玲はそう語った。


「麻婆豆腐定食オマチ!」


「ありがとう」


 麻婆豆腐定食は中華料理屋ならではの大盛熱々のもので、東雲は早速麻婆豆腐をオカズに熱々の白米を掻き込んだ。


「うん。美味い。俺は本場の麻婆豆腐なんて知らないけどこういう味なんだな」


「ああ。本場よりやや辛さ控え目だが、それでも美味しいものだ」


 合成品とは言えと言って王蘭玲も定食に手を付ける。


「先生、中国もここと似たようなものなのか?」


「ああ。向こうはもっと酷い。第三次世界大戦で電子データが一度全て吹き飛んでいる。政府は必死になってシステムを再構築し、またかつてのような強固なシステムを作ったが、こういうだろう。『覆水盆に返らず』と」


 一度壊れたシステムから一体何人の人間がカウントされなくなったか。


「形あるものはいずれ壊れる。国家や政府もそういうものだと思うしかない。今は国家や政府は中途半端に力を残しているが、いずれ全て民営化され、六大多国籍企業が牛耳る時代が訪れ、そしてそれもまたいずれ崩れる」


「この世に絶対的な支配者はおらず、か」


 そこで東雲はベリアやロスヴィータが言っていたことを思い出す。


「だけど、先生。世界を征服しようとするAIがいて、そいつが世界を支配したらどうなると思う? 人間と同じようになると思うかい?」


「なるだろう。絶対的な支配など成立しない。この世に神はおらず、神になろうとした存在は破滅する最期が待っている」


 そういうものかと東雲は思った。


 ただ、今は麻婆豆腐が美味いことと猫耳先生の耳がピンと立って機嫌が良さそうなこととそんな美人な王蘭玲先生と一緒に食事をできること自分が幸せだと言うことが分かるだけだった。


 AIに世界支配など遠いどこかの物語。


……………………

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