薔薇の十字//魔術
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──薔薇の十字//魔術
ロスヴィータは落ち着かないように周囲をきょろきょろと見渡している。
だが、セクター13/6に碌な生体認証スキャナーはない。
「尾行を気にしているのか?」
東雲は何となくそう尋ねた。
「うん。ボクってば
「まあ、分かる。ジェーン・ドウに一度関わったら、ずっと付きまとわれる。だが、ジェーン・ドウなしじゃ食っていけないのも事実だ」
六大多国籍企業の利益になっているらしい
「セーフハウスに向かう前にどこかで着替えていいかな? この服装は目立つみたいだし。確かに自分でもちょっと浮いていると思うんだ」
「構わんよ。だが、服を買うならドラッグストアじゃなくて、服屋な」
東雲は周囲の殺気に気を配りつつも、ロスヴィータをしっかりと護衛する。
彼女を衣料量販店まで連れて行き、そこで安物のビジネススーツに着替えさせる。いざという時のために動きやすいパンツスーツのままにしておいてもらった。
「それにしても」
東雲が言う。
「あんた、本当にスーツが似合うな」
「それって口説いてる」
「いや。俺にはもう思い人がいるから。純粋な感想だ」
「へえ。まあ、そう言ってくれるだけで嬉しいよ」
ロスヴィータはそう言ってにこりと微笑んだ。
その笑みは天使の慈悲のようだった。
エルフという美形種族がそれをやるのは酷く反則だ。
だが、俺は王蘭玲先生一筋と東雲は動揺を隠した。
「その格好ならこのセクター13/6でも目立たないだろう。それに追跡者も見失う可能性はゼロじゃない」
「分かっているよ。ボクが目立つってことは」
「そうだな。こんな美人がうろついてたら、この
「それが思い人?」
「そう」
まあ、王蘭玲先生にはヤクザやチャイニーズマフィア、コリアンギャングの知り合いが合って、彼らに恩を売っているから下手なことがない限り無事だろうがと東雲は内心で思った。
「どんな人なの?」
「凄い美人。それでいて優しくて、俺好み。性格もいいし、話し相手にもなってくれる。食事にだって付き合ってくれる」
「わあ。一度会ってみたいな」
「その前にあんたは生き残ることを考えろよ」
六大多国籍企業に狙われているとか洒落にならないぞと東雲は言う。
「生き残ることはもちろん考えているさ。だから、君にボクの護衛を依頼したわけだし。君が引き受けてくれて本当によかったよー」
ロスヴィータはにんまりと笑う。
「さて、ではセーフハウスに向かいますか」
「尾行されているとして撒く手段は」
「ここの連中は尾行なんてわざわざやって、後から襲いに来るほど賢くないが、そこまで言うなら少しばかり寄り道しながら進もう」
東雲はそう言ってセーフハウスに向かう途中でマンガ喫茶に入ったり、バーの裏口から出たり、わざと路地裏に入って敵が仕掛けて来ないかを確認した。
結果としては敵は仕掛けて来ないかった。
「被害妄想じゃないよな?」
「殺されるかもしれない場面には何度も出くわしたよ。六大多国籍企業の根拠ないハートショックデバイスのような陰謀論なんて信じてないけど、連中は確かに陰謀を張り巡らせている」
「確かに連中は陰謀屋だ」
ジェーン・ドウがどれだけの陰謀を準備しているのか想像もつかない。
この間の研究所襲撃事件ではまんまと陰謀の片棒を担がされた。
「100万新円の報酬は本当だから安心してね」
「あんた、それだけ金があるならもっと逃げる場所はあっただろう。どうしてよりによってこのセクター13/6に?」
「TMCセクター13/6で行方不明になった人間の
「メティス。確かバイオテクノロジー企業だったよな」
「そう、世界最大の人工食料生産企業。世界の胃袋を握っている。彼らには誰も逆らえない。彼に逆らえば、食料の供給がストップしてしまう」
2030年代に伝統的な農業は気候変動で姿を消し、今は人工食料生産プラントで作られた食料が世界中で消費されいている。その点ではメティスは六大多国籍企業の中でも特別とロスヴィータは言った。
「そんな世界最大の人工食料生産企業を敵に回すとはね」
「仕方ないんだよ。ボクだって一時期は彼らのことを受け入れたけど、やっぱりダメだった。彼らは
「だから裏切った、と」
「最初に裏切ったのはボクじゃない。彼らの方だ」
ロスヴィータは僅かに怒りを込めた言葉でそう言う。
「そっちの事情はよく分からないが、メティスってのは大井と仲がいいのかい?」
「犬猿の仲のはずだよ。大井はナノマシン事業でシェアを握りたがっている。だが、メティスがあらゆる特許を獲得していて手が出せない。今はどちらが優れたナノマシンを作るのか、HOWTechも含めて争っている」
「だったら、メティスの情報を大井に売るってこともできるな」
東雲はジェーン・ドウのことを考えてそう言った。
「無理だと思う。ボクの専門はナノマシンじゃなかったし。それに説明して信じてもらえるとは思えないことを研究していた」
「そうかい」
ジェーン・ドウに保護してもらうってのは無理そうだなと東雲は思う。
「というか、特に企業機密を持ち脱げしたとかそういうわけではないんだ。ただ、メティスと意見のすれ違いが起きて、彼らはそれでもボクを使おうとしたから、逃げた。それだけなんだ」
「そこら辺は知らない方がよさそうだ」
「そうだね。ボクもあまり話したくはない」
お互いに知らぬが仏ということはある。
ベリア曰く、隠し事は暴きたがるのがハッカーの性だそうだが、だからこそハッカーは長生きしないのだと言っている。
ベリアが個人的にリスクを負う分のことに口出しするつもりはないが、六大多国籍企業絡みのやばい案件に下手に探りを入れて、連中の
「さて、そろそろ尾行があったとしても撒けただろう。連中は尾行なんて地味な仕事をするより、相手をぶち殺して目標を果たす方が多い」
「本当に安心して大丈夫?」
「まだ心配か?」
「相手は六大多国籍企業で私はあちこちに逃げたのに、着実に追いかけて来た。油断は全くできないよ」
それにメティスは最高クラスのサイバーサムライを雇っているとロスヴィータは心配そうに語った。
「なら、ちょいとばかり話を聞いてみるか」
東雲はアスファルトに宿った土の精霊を呼び出す。
「おお。魔力の匂いがする。魔力の匂いだ。分けてはくれぬか……」
「いいぜ。その代わり教えてくれ。俺たちをつけている人間はいるか?」
「いや。それらしき人間は見当たらぬ。気づいたら教えてやろう」
「ありがとよ。ほら、魔力だ」
「ああ。身に染みる。魔力はいいものだ」
自然があった時代はまだ魔力も溢れていたのだがなと土の精霊は残念そうに語った。
「尾行はないとさ。安心したかい」
「……君、今何をしたの?」
「ただのお呪いさ。それ以上でも、それ以外でもない。信頼できるお呪いだ」
「魔術、だよね?」
「魔術を知っているのか?」
質問と質問がぶつかった。
ロスヴィータは驚いた表情から、喜びの表情に顔色を変える。
「まさかこの世界で魔術を使える人間に会えるなんて思ってもみなかったよ! 君に興味が湧いたな。詳しく教えてくれない?」
「答えろ。魔術を知っているということは異世界の人間か?」
「その通り。君も異世界の人間なんだよね?」
「あいにくこっちは生まれも育ちも地球で異世界にいたのは3年だけだ」
「それって魔王討伐のために召喚されたって口?」
「あんた、本当にどこまで知ってるんだ?」
また質問と質問がぶつかる。
「君が召喚された異世界と同じ世界なのかは分からない。だけど、この名前に聞き覚えがあるなら、君がいたのはボクのいた異世界と同じ」
そう言ってロスヴィータは改めて名乗る。
「ロスヴィータ・ローゼンクロイツ。知ってる?」
「ロスヴィータ・ローゼンクロイツ……。あのローゼンクロイツ学派を生み出したハイエルフかっ!?」
「ご名答! 一緒の世界から来たみたいだね。こんなところで同郷──いや、同じ世界を体験した人間に会えるなんて感動だよ」
ロスヴィータは無邪気ににこにこしている。
「セーフハウスに急ぐぞ。尾行はされていない。急いで向かう。ジェーン・ドウも気づかない間に。それからメティスの連中が気づく前に」
「急に急ぐんだね」
「ああ。これはヤバイネタだ。可及的速やかにあんたを保護する必要がある」
白鯨の製作者は異世界の人間であり、かつ魂の座標がズレても平気な長命種。
ハイエルフと言ったら東雲が知る中でも抜群のレイシスト集団であり、ロスヴィータの友好的な態度からは想像できなかった。
だが、こいつが白鯨を作ったならば──。
間違いなくジェーン・ドウはこの女を殺せと命じるだろう。
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