薔薇の十字//契約

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 ──薔薇の十字//契約



 エルフ耳の女性を前に東雲は逡巡した。


 エルフには嫌な思い出しかない。高圧的で、選民思想そのもののレイシスト。


 だが、エルフが美形なのは東雲も認めるところだった。


 エルフ耳さえなければスレンダーで20代後半ごろと東雲の好みだ。


 それにまあ、猫耳を生やせるのだから、エルフ耳に整形することも容易いだろうと東雲は考えた。猫耳先生こと王蘭玲を見た後では大抵のことには動じないつもりだ。


「そのー……。あまりじろじろと見られると恥ずかしいんだけど……」


「ああ。悪かった。大丈夫か?」


「大丈夫。ありがとう。助かったよ」


 ふうとため息をついて息を整えてから『ここは荒れているね』とエルフ耳の女性は周囲を見渡した。


 王蘭玲の金髪というより人工的な黄色の髪より金に近い金髪。それを地味な三つ編みにして纏めている。艶やかなその髪といかにもな美女として整った顔立ちは、やはりあの嫌なエルフを連想させられた。


 エルフ耳より猫耳がいいなと東雲は改めて王蘭玲を思った。


「TMCセクター13/6は毎日こんな感じだよ。あんたはいかにも金持ちに見えたんだろう。確かに金を持ってそうに見えるお洒落で、場違いな恰好だ」


 エルフ耳の女性は清潔感と高級感溢れる黒いパンツスーツ姿で、この薄汚れたセクター13/6ゴミ溜めには似合わないブランド物のスーツであった。


「着替えようとは思ってたんだけど、ここまでとは思わなくてさ。ねえ、君は腕が立つ方かな? さっきの見ている限り、機械化してると思うけど」


「これみてそう思うか?」


 そう言って東雲はBCIポートのない首の裏を見せら。


「わお。じゃあ、どうやって機械化した四肢を管制しているの?」


「魔法だよ」


 そう言って東雲は肩をすくめた。


「へえ。なかなかロマンチックなことを言うね。それはそうと君ってボディガードとかしてくれてる?」


仕事ビズってことかい。まあ、報酬と上役への相談によっては」


「……ジョン・ドウ?」


「あんたもこっちの世界の人間ってことなら分かるだろう。そう、俺の場合はジェーン・ドウ。そいつに相談してそれでいいなら受ける」


「分かった。100万新円払うから、何を言わずに守ってくれない?」


「おい。ちょっと待てよ。何も言わずにってジェーン・ドウに言うなってことか? あんた、六大多国籍企業ヘックスに喧嘩売ってる人間か?」


「とある一社には」


「マジかよ。大井、じゃないよな?」


「……メティス。ジェーン・ドウは本当に大井?」


「恐らくは、だ。あんたも分かるだろう。連中は自分がどこの人間かはっきりさせないんだってことぐらい」


「確かにね。だけど、できればジェーン・ドウには知らせないでくれないかな……」


 エルフとしては思えないほど──まあ、エルフではないのだろうが──低姿勢で頼まれるのに東雲としても、このまま放置しておくのはどうかと思われた。


「何日だ?」


「7日でいい」


「分かった。7日間護衛する。ただし、こっちの準備したセーフハウスで活動してもらうぞ。外に出歩くのはなしだ」


「ありがとう! それから一応聞くけどセーフハウスにセイバーデッキはある?」


「ああ。ある。あんた、ハッカーか?」


「んー。ちょっと違うかな」


「そうかい。余計なおことは聞かないでおこう。知らぬが仏ってこともある」


「そうしてくれると助かる」


 これが本物のエルフだったら『私の要求を呑むのだな。定命のもの、人間にしてはなかなか殊勝な心がけだ』となる。


 つまり、やっぱりあのエルフ耳は整形だ。東雲はそう思った。


「あんたのこと、なんて呼べばいい? 俺のことは東雲と呼んでくれ」


「ボクのことはロスヴィータって呼んで」


「分かった。行こうか、ロスヴィータ」


 エルフ耳とは言えスレンダーなレディの相手ならば不満もない。ここ最近はアーマードスーツを相手にしたり、無人戦車を相手にしたりと碌なことがなかったからなと東雲はしみじみと感じるのだった。


「行先は?」


「セーフハウス。ジェーン・ドウも把握していない、はずだ」


「分かるよ。言い切れないのは。六大多国籍企業はあらゆることを把握していると思ってしまうものね」


「ああ。連中はどこで何をしているか分からない」


「ボクもメティスから逃げるのには苦労したよ」


「六大多国籍企業相手に逃げきれるものなのかい……」


「それも分からない。だから、君に護衛をお願いしたわけ。お願いね!」


「はいはい」


 エルフ耳なんかじゃなくて猫耳に整形してくれていればもっと愛情も沸いたのだがと東雲はつくづくそう思う。


 だが、二股はよくない。俺は王蘭玲先生一筋だと男らしい覚悟をする東雲でもあった。彼はハーレムになど憧れたことはない。


 ただ、ともに生き、会話し、食事をし、ともに普通に生活していける家族が欲しかった。それは2012年から2050年に飛ばされて、家族を失ったことも関係しているのかもしれないが、彼自身はそう自覚したことはない。


「さっきから周囲を見渡してるけど、どうした?」


「いや。生体認証スキャナーがあるかなって」


「このセクター13/6ゴミ溜めでそれがあるのは自販機ぐらいだよ。それから無人コンビニエンスストア。あんた、偽装IDを?」


「うまく機能しているかチェックするためにあのコンビニ使ったんだけど、あのコンビニ生体認証スキャナーは壊れていたよ」


「なんとまあ」


 つくづくセクター13/6ゴミ溜めだなと東雲は納得した。


 場がフリップする。


 男はただ待っていた。


「見失った」


「生体認証スキャナーは?」


「日本のセイバーセキュリティは思った以上だ。三下の雇われアングラハッカーじゃ、お役所のデータベースにすらアクセスできない」


「失態だな」


「待て。街の情報屋から連絡があった」


 男はただ待っていた。


「サイバーサムライ」


 そこで男は缶コーヒーを飲み干し、声の方を向く。


「見つかってねえなら殺せねえぞ」


「それらしき女を見つけたという電子ドラッグジャンキーから情報を得たと情報屋から連絡があった。こっちでもバックアップする」


「TMC相手に"戦争”しようってのにそれで大丈夫なのか?」


 男はそう尋ねる。


「それはお前が心配することじゃない。我々はあの女を殺しさえすればいいのだ。手段を問わずして。それがお前の仕事ビズだ」


「そう、それが俺の仕事ビズだ。久しぶりに祖国に帰って来たと思ったら、こんな仕事ビズをやる羽目になるあなんてな」


 祖国の景色を楽しむ余裕すらないと男は愚痴る。


「そういう契約。お前はあの女を殺す。あの女がたとえ地の果てまで逃げようと追い詰めて、殺せ。できるな、サイバーサムライ」


「ああ。ジョン・ドウ。全力を尽くすさ」


 そういう仕事ビズだからなと男は言う。


「だが、先にこちらの特殊作戦部隊を投入する。お前の出番はそれからだ。ただの非合法傭兵相手にここまでする六大多国籍企業もいないと思え」


「涙が出るほど嬉しいものだ」


 男は肩をすくめた。


「冗談で言っているんじゃないぞ。六大多国籍企業は本気だ。あの女を殺さなければ、上層部は怒り狂うだろう。その制裁は非合法傭兵であるお前とジョン・ドウである俺にかかってくる」


「六大多国籍企業の制裁か。そいつはおっかない。肝が冷える」


 男はジョン・ドウの言葉ににやりと笑った。


「全く。手に負えないサイバーサムライだよ、お前は。だが、その腕には期待している。お前はうちの抱えている非合法傭兵の中でももっとも使える男だ」


 ジョン・ドウはそう言ってニコチン・タールフリーのタバコを吹かす。ファッションとしての喫煙はまだ消えていない。


「だが、お前には殺ししか期待していない。そのための駒だ。使い捨てディスポーザブルな駒じゃないだけ感謝するんだな」


「あんたらはそう言って駒を使い捨てディスポーザブルにするだろう。あんたらは信頼に値しないんだよ」


 男は鋭い眼光でジョン・ドウを見る。


「そうだ。今回の仕事ビズでもしくじれば使い捨てディスポーザブルだ。覚悟しておけ。そして、全力であの女を始末しろ」


「情報屋からもっと情報を探してもらってくれ。TMCセクター13/6で消えた人間の追跡性トレーサビリティはゼロだと言われている。ここに入った人間はそのまま消えちまうそうだ」


 人を飲み込んでしまう魔性の街だぜと男は言った。


「いわれずともだ。だが、ここは大井統合安全保障の管轄下だ。そこまで派手には動き回れない。可能な限りの情報は集めるが、お前の足でも情報を探ってこい。そして、確かめたら連絡しろ」


「人使いが荒いな」


 男はゆっくりとした仕草で腰に下げた日本刀を抜く。


 いや、日本刀ではない。ヒヒイロカネ製のヒートソードだ。


 ヒヒロイカネというのは伝説の合金だが、とある企業が合成に成功したと発表し、その強靭さと耐熱性からヒートソードに使われるようになった。


「“虎斬り”。こいつでその女の首を取ってくれば、満足なんだろう?」


「そうだ。万全を尽くせ。命令だ」


仕事ビズだろう。報酬は貰うぜ。50万新円。楽しみにしているからな。ただ、女を切るのは刀が穢れるな」


「刀は所詮は武器だ。人が殺せないなら意味はない」


「その通り。だが、サイバーサムライにはサイバーサムライなりの美意識があるんだよ。かつてのサムライたちのように、な」


 男はそう言って刀を鞘に収めたのだった。


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