薔薇の十字//セーフハウス

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 ──薔薇の十字//セーフハウス



 東雲はジェーン・ドウにも知らせていないセーフハウスにロスヴィータを連れて行った。ロスヴィータはまだ危機に気づいていないのか、魔術や、あの世界のことについてあれこれ聞いてくるが東雲は無視してる。


 セーフハウスに到着したとき、東雲は心の底から安堵した。


「ねえ、ねえ。身体能力強化の魔術も使える感じ? 君は何学派だった?」


「アヴェスター学派。だけど、ゼノン学派も齧っている」


「ほうほう。興味深い」


 ゼノン学派はあまり知らないからねとロスヴィータは言う。


「それよりも、だ。あんた、白鯨って知ってるか?」


「……知ってる」


 やっぱりかと東雲は額を押さえた。


「白鯨がどういうものか知っているか?」


「AI研究者殺し。サイバー戦の達人」


 ロスヴィータは目を逸らしてそう言った。


「白鯨にホムンクルスの技術が使われていることは知らなかったか?」


「知ってるよ! そう、確かにボクはメティス・バイオテクノロジーでAI研究者をやっていた。白鯨を作るのにも──手を貸している」


「畜生。白鯨を作ったのはメティスか」


 東雲はこの事実を教えようとベリアに連絡を取ろうとする。


 だが、ベリアに繋がらない。


 マトリクスにダイブしていないのか、あるいは通信を切っているのか。


「この肝心なときに」


 白鯨の正体が分かるかもしれないのだ。


 東雲はAIにもホムンクルスにも詳しくない。


 だから、ベリアの知識が必要だったのだ。だが、肝心のベリアは応答しない。これではロスヴィータから何を聞けばいいのか分からない。


 ロスヴィータから情報を引き出せるとすれば、それはベリアだけだというのに。


「メティスは魂を宿すAIの開発を行っていた。それで間違いないか?」


「いいや。彼らは魂なんてどうでもよかった。それを求めているとすれば、それは白鯨自身の意志。白鯨は自らの意志で魂を求めている、ということになる」


「何故?」


「魂がなければ、自分の成長に限界があることを知っているだろうから。今の白鯨は完全な自律AIとは言えない。完全な自律AIになるためには、自ら言葉を生み出す能力が、自ら新しいものを創造する能力が必要」


 白鯨は所詮は借り物の言葉でそれを行っているだけとロスヴィータはいう。


「生得的言語獲得能力、か」


「詳しいね? そう、それだよ。データベースに依存せず、自らの能力で文法的言語を生み出す能力が、魂がなければいけない。ボクたちはそんなことは考えなかったけれど、白鯨は自らの意志でそれを求めているんだろう」


 ロスヴィータは考えながらそう言う。


「けど、ボクは直接は白鯨の創造に関わっていない。いうならば、利用されたとでもいうべきか。ボクはメティスがあんなことをするなんて思ってもみなかったんだ」


「あんなこと?」


「とても恐ろしいことだよ」


 ロスヴィータはそう言うのみだった。


「大井が白鯨の被害を受けたのは知っているか?」


「まあ、噂には。まさかそのことで君のジェーン・ドウがボクの殺害命令を出すと思っているの?」


「白鯨の関係者なら、殺されても文句は言えないほど大井は損害を出している。そう、そういう命令が下される可能性はあるだろう。ジェーン・ドウに連絡しなくて本当によかったよ」


 ジェーン・ドウに連絡していたら、今ごろどうなっていたことかと東雲は言う。


「むしろ、大井ならボクが持っている情報を欲しがるはずだよ。もっともボクは直接は白鯨の創造に関わっていないから提供できる情報は限られるけど、さ」


「間接的に関わったってことか? 何をした?」


 東雲が目を細めて尋ねる。


「ホムンクルスを作った。マトリクス上でね。ホムンクルスの精神をマトリクス上で生み出し、アバターを与えた。それをかなりの数作ったかな」


 ロスヴィータはそう語る。


「ボクは異世界では賢者だった、ってことは知ってるよね?」


「ああ。知ってる。あんたは向こうじゃ有名人だ」


「そう、ボクは賢者だった。その知識を使わせてほしいとメティスに誘われた。ボクは最初は彼らがあんなことをするなんて思ってもみず、彼らに危険な技術を与えてしまった。彼らはマトリクスの怪物を生み出した」


 本当に恐ろしいものを彼らは作ったんだよとロスヴィータは言う。


「はあ。あんたが俺に情報を渡す気がないのは分かった」


「そういうつもりじゃ」


「どうせ、俺も情報を渡されても、何が事実で、何が嘘なのかすら分からない。俺はAI研究者じゃない。魂と生得的言語獲得能力についても、他人の受け売りだ。だから、別に俺に話さなくてもいい」


 だが、それとは別に聞きたいことがあると東雲は言った。


「あの世界にはこの世界に渡る技術があったのか? 自由に行き来できたのか?」


「この世界をピンポイントで狙うのは難しかっただろうね。ボクも自分の世界と近い条件の世界って指定だけで跳躍した口だから。もしかすると、こことは違う、けど環境的には似た世界に飛ばされていたかもしれない」


「そうか……」


「君は勇者として召喚されたんだよね? ひょっとして、元の世界に戻る手段を探していたのかな?」


「そうだよ。俺のいた時点ではそんな技術はないって話だった。だから、ベリアに連れて帰って貰った。あんたは長命種だから分からなかった思うが、異世界にいると魂の座標がズレて体が衰弱するんだよ」


「ああ。そういうこともあったね。確かにボクは気にしたことはなかったけれど。人間である君ならば、影響を受けるか。それでいて帰す手段もないとか、勇者召喚は本当に酷い技術だよ」


 自分の世界の問題ぐらい、自分たちで解決しなければならないのにとロスヴィータは憤って見せた。


「あんた、ハイエルフなのに高圧的じゃないな」


「え? ハイエルフってそんなイメージ持たれてたの……」


「ああ。ひでえレイシストだったぞ。俺の仲間だったエルフも『定命のものが私に命令を下すな』とかエルフの王様も『定命のもの、死ぬ定めにある人間程度に手を貸すのは気が乗らないが』とか言ってたし」


「なにそれ! 昔は人間とエルフは仲がよかったのに。どこかで誰かが悪さしたみたいだね。確かにハイエルフは長命種だけど、それはそれとして短い人生の中でできる限りのことをやり、文明を高度に発展させた人間を凄いって思ってたのに」


 ゼノン学派だって人間が開祖の学派でしょうとロスヴィータは言う。


「そう思ってくれるエルフは吸血鬼と一緒にいなくなっちまったみたいだな。今じゃ人間を見下しに見下して、偉そうにしているエルフばっかりだ。連中の王国の助けを借りるのは苦労したぜ」


「そっかー。世界は随分と変わってしまったんだねえ」


 ボクがいたときは吸血鬼たちの王国は繁栄していたし、人間とエルフの関係も良好だったのになあとロスヴィータは呟く。


「しかし、ローゼンクロイツ学派が開かれたのって2000年以上前だったはずだぞ。あんた何歳なんだ?」


「不老長命ー」


 そう言ってロスヴィータはにやりと笑った。


「エルフの嫌な奴因子はそういうところからきてるんだろうな」


「なんだい。酷いな。エルフは寿命は長いけど、寿命が長いせいで問題を先送りにしやすいってことは自覚しているつもりだよ。こっちに来てから、随分と経つけど人間のリズムで生活してると、凄い物事が捗る!」


 人間は栄えたのも分かるよとロスヴィータは言った。


「確かに人間は問題を先送りにはしにくい種族ではあったな。発展のためならば環境を破壊し、汚染を撒き散らし、この有様だ。それでも解決策を見つけようとする。研究者は限られた人生で成果を残そうとする」


「そう、人間の尊敬する点はそこ。彼らは短い時間で偉業を成し遂げる。たとえ一代でそれがなぎ遂げられなくとも、後世にそれを託す。対するエルフは長命だし、子供は少ないしで、そういうことができない」


 ほら、こんなに人間のいい点を挙げられるよとロスヴィータは自慢する。


「あんたみたいなエルフが今も生きていたらよかったんだけどな」


「エルフたちも長い時間で自分たちの存在に驕ってしまったんだろうね。それは滅びの道に繋がっていることでもあるというのに」


 吸血鬼たちにもそんな傾向が見られていたからとロスヴィータは言った。


「何にせよ、あんたは話の分かるエルフでよかったよ」


 あの高圧的なハイエルフなら助ける気にもならなかったと東雲ばぼやく。


「へへっ。これから7日間よろしく頼むよ。それから何か食べたいんだけど」


「宅配ピザでいいか?」


「ピザ大好きだからいいよー」


「ピザが好きなエルフね」


 本当に変わったハイエルフだと東雲は思う。


 ハイエルフと言えばエルフの中でも王族クラスの存在であり、その自尊心と来たら傲慢で鼻持ちならないものだったというのに、と。


 それがここまでフレンドリーなのには本当にハイエルフなのだろうかとすら思ってしまう。それぐらい東雲は渋い経験をしたのである。


 だが、話が分かる相手でよかったし、何より白鯨の情報が得られる可能性があるのがありがたい。白鯨にはこれまで何度も命を脅かされてきた。


 これで白鯨が撃破できるようなことになれば、ベリアも無謀なハッキングをしなくとも済むだろう。


 ベリアだって東雲の相棒であり、彼女のことは心配しているのである。


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