マトリクスパニック//準備
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──マトリクスパニック//準備
BAR.三毛猫はそれから大荒れだった。
ベリアは一度ログアウトする。
「よう。飯、食うか?」
サイバーデッキから起き上がると、東雲がテイクアウトの中華料理をテーブルに置いてくれていた。そろそろ起きてくるだろうと思ったらしい。
「ありがと」
ベリアはテイクアウトの中華料理にフォークを突き刺して、合成品のチンジャオロースを口に運ぶ。それからチャーハンをスプーンで食べる。ベリアはマトリクスにはすぐに適応したし、箸も使えるようになったものの、面倒くさくなったようだ。
「白鯨はどうなったかね……」
「マトリクスで暴れまわっているよ。六大多国籍企業相手に3時間でかなりハードな
「白鯨の狙いは?」
「分からない。演習かもしれないし、報復かもしれない。私たちは白鯨が大井データ&コミュケーションシステムズで構造解析されかけていたのを確認している」
それからややあってベリアは続けた。
「それがバレて、ジェーン・ドウから白鯨のコアコードを探れっていう
「おいおい。マジかよ」
それを聞いて東雲が本当に心配そうな表情を浮かべる。
「手伝えることはあるか?」
「あいにく今回はほぼマトリクス上の話だから。気持ちは嬉しいけど、東雲に頼むことはないと思う」
企業のサーバーを直接東雲に襲ってもらうわけにはいかないしとベリアは言う。
「そうか。ところで、ベリアは白鯨は超知能になると思うか?」
「随分と藪から棒にだね。可能性としてはあり得るんじゃないかな? 白鯨は学習を続けていっている。いずれは学習の結果として超知能になるんじゃない?」
「だが、王蘭玲先生が言うには白鯨には生得的言語獲得能力がないだろうから、魂を得られず、そうであるがために超知能にはなれないって聞いたぜ」
「生得的言語獲得能力?」
「人間が生まれ持っている言語の文法的生成機能。人間は生まれ持って言語を生成する機能を持っているが、白鯨にはそれがないだろうと。そうであるが故に学習だけでは、学習の範囲内でしか成長しない、って」
「学習の限界か」
確かにいくら六大多国籍企業の
白鯨には限界がある。
「白鯨の限界、か。興味深い話だね。相手は無限に進化し続けるわけじゃない。限界がある。そして、今急速に限界に向かいつつある」
六大多国籍企業相手に手あたり次第に仕掛けている。それは白鯨が限界に向かいつつある兆候だとベリアは思った。
「猫耳先生は他になんて言っていた?」
「白鯨のプログラミング能力は中国語の部屋敵問題かもしれず、それから仮にホムンクルスの技術を使っていてもホムンクルスが人間を超えることがないなら、白鯨も同じように人間を超えることはないってさ」
「確かにホムンクルスが人間を超えたことはない。ただ、白鯨はただのホムンクルスじゃないんだ。いくつものホムンクルスを繋ぎ合わせた存在なんだよ。普通ならば拒絶反応が出るような融合を果たしている」
そうであるが故にただのホムンクルスとしては扱えないとベリアは言う。
「けど、ホムンクルスは作られた範囲でしか成長しないってお前自身で言っただろう。それって結局は中国の部屋問題と同じなんじゃないか?」
「私が言ったのは単独のホムンクルスの話。白鯨は……あれは違う。恐らくは製作者もそれと意図せず、成長した存在。でも、魂を得るために生得的言語獲得能力が必要ならば、ホムンクルスをいくら組み合わせても」
ホムンクルスは結局は製作者というデータベースを参考に言語を紡ぐ存在である。借り物の言葉で話すELIZAと同じ。意味を理解しているかどうかは怪しい。そうであるが故に限界がある。
ジャバウォックとバンダースナッチがそうであるように。
そう思いつつもベリアは白鯨に底知れぬ恐怖を抱いてることに気づいた。
「いや。あれは設計者が意図せぬものを持っている。あんなものを意図して作れるわけがない。設計者の意図する以上のものを持つ可能性はある」
それが不確定要素だとベリアは言う。
「こんな話を知ってる? チンパンジーがタイプライターでシェイクスピアを書く可能性はあるという話」
「なんじゃそりゃ。猿にBCI手術して知能を上げるとかか?」
「違うよ。ランダムな配列が長時間時間を掛ければ規則性を持つという話。チンパンジーに永遠にタイプライターを叩かせ続けたら、いつかはシェイクスピアの作品が生み出される可能性はゼロじゃないってこと」
「おいおい。まさか、その偶然が起きたって話か? 白鯨に?」
「そう、誰かは延々とホムンクルスを切り裂いては組み立て続けた。そして、知能というものが発生した。もしかしたら生得的言語獲得能力すら発生したかもしれない。そう考えると白鯨が超知能になる可能性は、ゼロじゃない」
「しかし、それにはかなりの時間がかかるし、リソースだって」
「今のコンピューターの演算能力は凄まじい。スパコンを使ってホムンクルスの組み合わせを演算し続けたとしたら、1秒に1億個以上の組み合わせが生まれる」
「チンパンジーをスパコンにしたのか……」
確かに可能性としてはゼロではなくなった。
「だけど、これは可能性としてゼロじゃないってだけの話。スパコンで演算するにしてもホムンクルスについてのかなりの知識が必要になる。製作者はかなりの錬金術師じゃなければ成り立たない」
「ふむ。俺たち以外にも転移してきた連中がいるってことだよな。それも明確な技術を有して。思い当たる節は俺にはないが」
そもそも異世界からこっちに来れる技術があるってこと自体初耳だぞと東雲は言う。
「確かにおかしい。だけど、実際に転移してきたであろう人間とあったことはある」
「マジかよ」
「マジだよ。異世界のことも、魔術のことも知っていた」
マトリクス上で会ったとベリアは言った。
「となると、俺を元の世界に戻す技術もあったんじゃねえか?」
「この地球と指定できる技術ではなかったかもしれない。適当な異世界に飛ばすだけの技術。そして、たまたまそれがここだった」
「なるほど。そういうこともあるか」
「ただ、異世界の人間がこの世界に留まれば魂の座標がズレたことの影響を受けるはずなんだけど、長命種なのかな」
「エルフ?」
「あるいは吸血鬼」
どちらも不老不死に近い存在であり、魂の座標がズレても耐えられる。
「いずれにせよ、白鯨を調べないと。ごちそうさま!」
ベリアはテイクアウトの中華料理を平らげ紙皿をゴミ箱に放り込むとサイバーデッキに向かった。
「気を付けろ。相手はやばい奴なんだろ?」
「もちろん。十分に準備してから挑むよ」
東雲にそう言ってサムズアップしてからベリアはマトリクスにダイブした。
「ジャバウォック、バンダースナッチ。今から徹底的に守りを固めた
「了解なのだ、ご主人様!」
確かに大きな視点で見ればジャバウォックとバンダースナッチも限定AIなのだろうが、プログラムを書く能力はある。
「防御の魔法をありったけ詰め込んで。結界展開のための魔術を」
結界展開魔術はゼノン学派が得意とするもので、彼らはあらゆる魔術的・物理的攻撃から身を護るための手段を生み出してきた。
そして、それらはマトリクスというもうひとつの現実で機能する。
「五属性の五重結界なのにゃ! これならブラックアイスだって防げるはずなのにゃ」
「なんの! 七属性の七重結界なのだ! こっちの方が凄いのだ」
ベリアがAIを2体準備したのもひとえに学習のためだった。
ふたつのAIが競い合うことで互いを高めていく。
だが、限界はある。ジャバウォックもバンダースナッチもベリアの想定した範囲にしか成長しないのだ。
ベリアというデータベースを使っている生得的言語獲得能力を有さないAIだから。
「徹底的にやるよ。徹底的に、だ。
「あれに
「やらないといけないんだ。それは私がこのマトリクスでハッカーである限り」
「分かったのだ。それなら徹底的に、隙が微塵もないぐらいやるのだ!」
それからベリアたちは最終的にジャバウォックとバンダースナッチに補助される二十重結界のアイスを準備した。
マトリクス上のあらゆる電子的なワームやウィルス、アイスブレイカー、ブラックアイスはもちろん、魔術的な攻撃にも耐えられるだけのものである。
それからアイスブレイカーの準備に取り掛かる。
「アイスブレイカーは慎重に作らないといけない。向こうは間違いなくこっちのアイスブレイカーを学習してくる」
白鯨は学習する。今や六大多国籍企業の
「そのときに自分の放ったアイスブレイカーで自分の
だが、アイスブレイカーを強く作りすぎてはいえない。
向こうは学習するのだ。アイスブレイカーが白鯨に反撃の暇を与えず、白鯨を焼き殺せるとは思えない。それができたら誰も苦労していない。
「……よし。準備は整った」
後は白鯨を探すだけだ。
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