標的A//アナウンス

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 ──標的A//アナウンス



 ジェーン・ドウから連絡があったのは三浦の死から7日後のことだった。


 会合の場所は座るだけで金がかかる高級喫茶店の個室。そこに東雲とベリアはジェーン・ドウと向かい合う形で座っていた。


「大井データ&コミュニケーションシステムズのAI研究者が殺された。とある実験中に襲われ、それによって研究所からあるデータが持ち出された」


「おい。まさか、それって」


「何のデータかは言ってないぞ」


 間違いなく白鯨のデータだ。


 マトリクス上での大井統合安全保障の動きがおかしかったことは分かっている。白鯨のデータを手に入れたのは大井に違いない。


「それに今回はデータの奪還なんてお前らにはできないことを持ち掛けに来たんじゃない。お前らにはいつも通り、ドンパチしてもらうために呼んだんだ。そういう仕事ビズだ」


「で、殺すのか、それとも守るのか……」


「護衛の方だ。とある研究施設でこっちが準備する民間軍事会社PMSC1個中隊と一緒にひとりのAI研究者を守り抜け。死ぬ気で守れ。三浦のときとは違うぞ」


「今度は努力は台無しにならないって訳だ。嬉しいね」


 泣けるほど嬉しいと東雲は肩をすくめた。


「冗談で言ってるんじゃないからな。今回は投入されるのはお前だけじゃない。改定モントルー条約で正規軍と同等と見做される民間軍事会社も投入されるんだ」


 改定モントルー条約──民間軍事会社に正式に戦闘員として扱われる権利を与えたもの。これまでは法的にグレーだった企業の駒を合法化したもの。


「合法の連中と一緒に仕事しろってことか。それでいいのか?」


「ああ。構わん。奴らも完全にホワイトとは言い切れない連中だ」


 後ろ暗いところのある民間軍事会社だとジェーン・ドウは言う。


「ちびの方。お前はマトリクス上で防衛に当たれ。今回の作戦は一切の通信をマトリクスを介して行わないが、万が一という場合がある。それに敵は以前と同じように仕掛けてくるはずだ」


「アンドロイドをハックしてけしかけてくる、と」


「そういうことだ」


 戦闘部隊にはアーマードスーツなども投入するが、戦闘用アンドロイドは投入しない。そして、それらは全てオフラインだとジェーン・ドウは説明した。


「周辺に動きがあったら警報を出せ。それがお前の役目だ」


「オーキードーキー」


 ベリアは軽くそう返した。


「守る人間の人物像プロファイルは?」


「ない。あってもお前らには与えられない。奴は極秘中の極秘の人間だ」


「けっ。随分と大層な人間さんみたいだが、何と呼べばいいんで?」


 東雲がそう尋ねる。


「標的A」


 ジェーン・ドウは短くそう返した。


「標的Aをいかなる脅威からも守れ。ただし、標的Aとは一切接触するな」


「会うのもダメだってのかよ」


「ああ。そうだ。標的Aにお前たちが接触することに意味はない」


「そうですかい」


 東雲はこの依頼が酷く胡散臭く思えてきた。


 ジェーン・ドウは全てを知っている。これから東雲たちが何を守るかを。これから東雲たちが何のために戦うかを。


 それに冒頭のあの大井データ&コミュニケーションシステムズのAI研究者が襲撃されたという話と今回の話で何の関係性があった?


「いつも言うが、余計なことは詮索するな。言われたことだけやっていればいい」


「あいよ」


 やれやれ。これだと東雲は思う。


 見透かしたかのように何も探るなである。もちろん、その言いつけをベリアが守っていないことを東雲は知っているし、それをジェーン・ドウに伝える気はない。


「じゃあ、護衛は今日からだ。この住所に向かえ」


「TMCセクター6/4? 随分と治安のいい場所だな」


 セクター一桁代で仕事ビズをするのは久しぶりだ。


「だが、大井統合安全保障の援軍など期待するな。お前たちの手で守りきれ。大井統合安全保障はこの件には関わらない」


「了解」


 大井統合安全保障はもはやいない方がいい。連中の暴走した軽装攻撃ヘリやアーマードスーツを考えるとそう思ってしまう。


「じゃあ、指定された場所に向かえ。スムーズに仕事ビズはこなせよ」


 ジェーン・ドウはそう言って会計を済ませて出ていった。


 東雲たちも喫茶店を出て、ふたりで無人タクシーに乗り込む。


 ベリアは一度自宅に帰らなければマトリクスにダイブできない。


「どう思うよ、この仕事ビズ……」


「いつも通りの胡散臭さ。君だって分かって聞いてるでしょ? けど、少なくともまだ私たちは使い捨てディスポーザブルじゃない」


「そう言い切れるのか?」


「だって、使い捨てにする気なら、もっとくたばるような仕事を回すはずだよ」


 君は名の売れたサイバーサムライなんだからとベリアは言う。


「名の売れたサイバーサムライ、ね。俺はちっともサイバーなことはしてないんだけど。むしろ、昔ながらのサムライだぜ、これ」


「昔ながらのサムライは“月光”みたいな魔剣は持ってなったでしょう?」


「そりゃそうだ」


 妖刀はあったみたいだけどなと東雲は肩をすくめた。


「マトリクス上じゃ君はちょっとした有名人だよ。でも、どういうわけか君の顔写真が出回ることは防がれている」


「八天虎会の連中とか、俺のこと知ってたぞ?」


「それでもだよ。マトリクス上で君の知名度は上がっているのに顔写真は全てノイズがかかっている。誰かがやったんだろうけど」


「お前がやってくれたんじゃないのか?」


「私はやってないよ。ジャバウォックとバンダースナッチも」


「ふむ」


 まあ、いいことじゃないかと東雲は言う。


 これまでの仕事ビズで恨みを買ったことも一度や二度じゃないだろうからなと楽観的に受け止めた。


「けど、君は白鯨のエージェントと接触した。しかも、白鯨は君に敵意があった」


「……そうだな。気味が悪くなってくる」


 あの奇妙な機械音声染みた声には明確な敵意が込められていた。


 そして、あの白眼にも東雲に対する恨みが見受けられた。


「白鯨は怨霊だった、って言ったらどうする?」


「寺に行ってお祓いしてもらう」


「そうだね」


 やがて駅に着き、電車などを乗り継いでセクター13/6に到着し、東雲とベリアは仕事ビズの準備を始める。


『ARデバイスに問題はないかい?』


「ない。ばっちりだ。サポート、任せるぞ」


『オーキードーキー』


 マトリクス上でベリアがサムずアップして返す。


「“月光”。よろしく頼むぞ」


 東雲は異空間に格納状態にある“月光”にそういうと、バスと電車でTMCセクター6/4に向かった。


 セクター6/4はセクター5/2──秋葉原──に比べれば治安は悪いが、セクター13/6ほどではない。伊達にセクター13/6ゴミ溜めと言われていないのだ。


 指定された住所に向かうと『三島インフォテック』という看板があり、そこには既に民間軍事会社の装甲車などが展開していた。東雲が近づくと自動小銃などで武装したコントラクターたちが引き金に指を掛けるのが分かった。


「事前に連絡があったはずだ、お友達」


「お前が援軍か? 目標は?」


「標的Aの死守」


「どうやら間違いないようだな」


 ヘルメット、タクティカルベスト、防弾チョッキ、都市型迷彩服を纏った白人の大男が頷く。男は大口径の自動拳銃とレーザー照準器、ハンドグリップ、グレネードランチャーなどがゴテゴテと装着された自動小銃で武装していた。


「ギルマン・セキュリティのゲイリー・マンスフィールドだ。あんたは?」


「あいにく正規に名乗れる名前はなくてね。東雲と呼んでくれ」


「訳ありか」


「お互い様だと聞いているぞ」


 東雲はそう受け流した。


『ギルマン・セキュリティは中米で問題を起こした企業だ。一時は改定モントルー条約における民間軍事会社としての資格剥奪までなりかかっている』


 ベリアがすぐに調べて情報を寄越す。


「お互いに探り合うのは止めて置こうぜ。得にならない」


「そうしよう」


 そして、ゲイリーは親指で中に入るように指示する。


 装甲車の並ぶ駐車場を抜け、研究所内の指揮所に東雲を案内する。


「前線は俺たちが支える」


 ゲイリーはそう言って、前線として想定されるラインを指し示す。


 前線は研究所の駐車場が指定されていた。


「俺はどうすれば?」


「あんたは最終防衛線にいてくれ。正直言って、あんたは邪魔と言えば邪魔だ。俺たちは俺たちの間でチームワークを得ているが、あんたとの間には何もない」


「それもそうだな。じゃあ、俺はあんたらが皆殺しにされた後に仇を取ってやるよ」


「そいつはありがたいね」


 だが、そうはならないだろうとゲイリーは言った。


「これまでの襲撃のパターンを見させてもらったが、マトリクスに接続さえしなければ、戦闘部隊に影響はでない。民生品のアンドロイド程度、軍用装甲車4台とアーマードスーツ6体あれば迎え撃てる」


「出番なしで報酬がもらえるならありがたいね」


「全くだ。羨ましいよ」


 俺たちも待機しているだけで金がもらえればいいんだけどなとゲイリーはいう。


「じゃあ、最終防衛線は任せたぞ。ビールでも飲んで、俺たちの戦闘を見学しておくといい。それぐらいリラックスして行こうぜ」


「あいよ。こっちにはサイバー戦に詳しい奴がいて、ハックされたアンドロイドがあったら教えてくれるはずだ」


「そいつはいい。確認されたら教えてくれ」


 ゲイリーはそう言って笑うと、ヤニで黄ばんだ歯を見せて笑った。


 場がフリップする。


「見つけた、見つけた、見つけた」


 赤い着物を纏った黒髪白眼の少女──白鯨のエージェントがリンリンと鈴を鳴らす。


「ついに、見つけた。消えて、いなかった。残って、いた」


 少女はそう言って獰猛な笑みを浮かべた。


「私は、手に入れる。私は、手にする。私は、進化する」


 少女が鈴を鳴らす。リン、リンと。


「贄と、なれ。糧と、なれ。私の、進化のための。私の、魂のための」


 少女が鈴を鳴らす。リン、リンと。


「臥龍岡夏妃」


 少女はそう呟くように言った。


……………………

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