保護//特異点

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 ──保護//特異点



 臥龍岡夏妃を教祖と語る三浦。


「宗教の人間だったのか?」


『違うよ。ハッカーの中でも腕前の優れた人を教祖って呼ぶ文化があるんだ』


 偉大な功績を残した人間とかをね、とベリアが言う。


「なら、臥龍岡夏妃は何を成し遂げ、今はどこにいるんだ?」


「臥龍岡夏妃のやったことも忘れ去られるとはな。世の中ってのは本当に儚いものだぜ。一昔前なら臥龍岡夏妃について知らないなんて言ったら、モグリ扱いを受けていたってのに。マトリクスの時間は現実リアルより早く流れる」


 三浦はそう言って語り始める。


「全ては技術的特異点シンギュラリティの問題だった。技術的特異点シンギュラリティは訪れるのか。人間は人間を越えるAIを生み出し、そのAIはより優れたAIを生み出せるのか」


 三浦はぼーっとした電子ドラッグジャンキー特有の弛緩した表情に、だが目に確かな生気を宿しながら語る。


「臥龍岡夏妃は技術的特異点シンギュラリティは訪れると主張した。もちろん、レイ・カーツワイルの主張する理論だけでは成立しないとも言っていたが」


 カーツワイルの収穫加速の法則だけじゃ技術的特異点シンギュラリティを予想するのはいまいち理屈が薄かったんだと語る三浦。


「彼女は様々な視点から人類は2040年には汎用人工知能AGIを手にすると予想した。そして、来る2040年あの論文が発表された。『AIにおける自己学習と自己アップデートについて──技術的特異点シンギュラリティは訪れるのか──』が」


「あの論文を知っているのか?」


「当時のAI畑にいた人間なら誰でも知っている。もっとも、今となってはバックアップすらどこにも存在しやしないが」


 三浦は摩訶不思議というようにパンと手を叩いた。


「あの論文こそAIが超知能になり得るという理論だった。技術的特異点シンギュラリティの到来を予想するものだった。少なくともチューリング条約が禁止しなければ、の話だったが」


 研究は京都大学の閉鎖された研究室で行われていたらしいと三浦は語る。


「国連チューリング条約執行機関は速攻でこれを潰しに来た。そして、彼女は消えちまった。国連チューリング条約執行機関から逃げるためか、欲深い六大多国籍企業ヘックスから逃れるためか」


『ねえ、あなたはそれを基にAIを組んだの?』


「いいや。無理だった。あの論文の再現性は他の研究者によて確認すらされなかった。発表されてから24時間で国連チューリング条約執行機関が削除したんだ。奴らは論文を存在しないものにした」


 俺らは聖書を失った耶蘇さと三浦は語る。


「それに彼女の論文は酷く凝り性アーティストだった。細部まできっちりとしなければ、それは魂を宿さない。そう、彼女は真のAIには、AIが超知能として成功するには人間を模倣する必要はないが、魂は必要だと言った」


「魂……。AIが?」


 東雲は理解できず首を傾げる。


『言語生成機能。高度なコミュニケーションを可能にする手段。学習のための手段。学習をアウトプットするための手段。そうでしょう?』


「そうだ。真のAIには、超知能には言語を自ら生み出す技術が求められていた。超知能は歌う。超知能の言葉で歌う。そして、より高度な超知能が生まれ、さらに高度な超知能が生まれ、それらはマリーゴールドを生み出す」


『マリーゴールド?』


「超知能が生み出す存在のこと。今の人間には想像できない。今の人間には理解できない。今の人間には作れない。それらを彼女はマリーゴールドと呼んだ。魔法のような超科学の産物として」


 十分に発達した科学技術は、魔法となんとやらさと三浦は言う。


「彼女は超知能が人類を世界するようなことはないと言っていた。超知能との対話が続けば、超知能は決して人類をないがしろにはしない。彼らは人類を彼らと同じ次元にまで引き上げてくれるとすら言った」


 事実、俺たちは脳みそにナノマシンを叩き込んでいるし、俺に至っては情報を記録するデバイスまで埋め込んでいると三浦は語る。


「どうも臥龍岡夏妃っていうのは、超知能という物よりもマリーゴールドって副産物の方に興味があったみたいだな……」


「ああ。彼女は見えざるものを見ようとし、考えられぬものを考えようとした。彼女の想像力は凄かった。俺たちは彼女の語る理屈とその発想に毎回驚かされた」


 いい時代だったと三浦は言う


『結局、臥龍岡夏妃はAIを、自律AIを、超知能になり得るAIを作れたの?』


「謎だ。当時の関係者は次々に死んだ。国連チューリング条約執行機関の暗部がやったのか、それとも情報を聞き出した六大多国籍企業が用済みと処理したのかは分からないが。ほとんど消えちまった」


 生き残りも今、消えて行っていると三浦は言う。


「まさか白鯨が殺しているのは」


「そうさ。あの臥龍岡夏妃と接点のあったAI研究者たちだ。自律AIを、超知能を、魂を持ったAIを作る可能性を持った人間たちが次々に消された」


 東雲たちはようやく被害者の接点というものに辿り着いた。


『TMCサイバー・ワンで白鯨が手に入れた324メガバイトのデータ』


「恐らくは名簿か。臥龍岡夏妃と接点のあった人間を纏めたデータ」


 写真や詳しいデータを含んだデータファイルが324メガバイトの正体。


「なあ、マトリクスの幽霊。あんたは臥龍岡夏妃なんだろう……。また俺たちを導いてくれよ。チューリング条約違反のAIが作れる人間はもう片手で数えられるだけになっちまった。後はくだらない限定AIを作るのがせいぜ」


 なあと三浦は言うが雪風は何も答えない。


「超知能には魂が必要で、魂には言語を生成する能力が必要。俺たちは全員言語を生成しているよな? 全員が魂を持っているということか?」


『前にも言ったようにジャバウォックとバンダースナッチのAIとしての人格は限定的。創造者である私がほとんど決めてしまったから。だから、超知能にはなり得ない』


「つまり、超知能には魂が必要で、魂には言語を生成する能力が必要で、そして自分で人格まで形成しなければいけない、と」


 問題は白鯨にそれができるか、と東雲は尋ねる。


「奴に言語を生成する機能はないよ。間違いない。クソッタレなELIZAと同じ。中国語の部屋問題を未解決。奴はこれまでの集めたデータを継ぎ接ぎして、言語を持っているように見せかけているだけだ」


 中国語の部屋問題。


 ある部屋にイギリス人が閉じ込められていて、中国語で文章を渡されるのにマニュアル通りに返事を返す。イギリス人は中国語を理解していないが、あたかも中国語を理解しているかのように見える。


 これはAIにおける思考実験だった。チューリングテストへの批判とも言える。


 チューリングテストは人間にAIと見抜かれないことを条件とするが、そのAIの振る舞いは所詮、文字に込められた思いや意味を理解できない『中国語の分からないイギリス人』がマニュアル通りに作っているというわけだ。


「マトリクスからとんずらする前に奴がある電子掲示板BBSに現れたのを見た。正確には白鯨のエージェントのひとつだったが。あれは機械的な反応しか有していない。確かに優れたハッカーかもしれない」


 だが、と三浦は続ける。


「プログラムにああすればどうしろと記されているならば、それは中国語の部屋問題をクリアしてない。あいつの優れた解析能力はAIの超知能化とは直接は関係しない。分析AIは限定AIだ」


 だから、軍も六大多国籍企業も分析AIとして限定AIを使用し続けられる。それがチューリング条約違反ではないから。つまり、人間を支配する超知能の心配をしなくていいからと三浦は語った。


「俺は超知能とは上手くやっていけると思っている。AIが暴走して人類を核兵器で滅亡させて、アンドロイドが人間狩りをやる社会? あり得ないね。超知能はそんな些細なことには関わらない。もっと大局を見ている」


 そのはずだと三浦は付け加えた。


「白鯨が超知能を宿す可能性がないとして、奴はどうしてAIの情報を集め続けている? そのためには人殺しさえ厭わない野郎だぞ。単なる情報取集ボットにしちゃ、高度過ぎるような気もするけどな」


『そうだね。情報を集めるだけなら、六大多国籍企業の飼っているハッカーにやらせればいい。あるいは非合法傭兵か。AIを、自律AIとして国連チューリング条約執行機関に喧嘩を売るようなものを使わなくとも』


 白鯨は存在する意味があるのかという話になってくる。


「白鯨は本当に超知能となり得ないのでしょうか?」


 そこで雪風が発言する。


「どんなAIも最初は真似事からです。人間の子供が多くの物事を真似して成長していくように。確かに今は言語を作る能力は限定的かもしれない。ですが、白鯨は既にいくつもの言語を生成するAIを食っている」


 雪風が続ける。


「いずれ白鯨も言語を生成する能力を得るかもしれない。そうすれば魂を手にする。その言語能力で独自のAIを組み立てる。より高度な、より高度なAIを作り続ける。そして、マリーゴールドを生み出す」


「殺人鬼が作った魔法のアイテムとかぞっとするな」


 東雲はそう言って自分が鳥肌を立てていることに気づいた。


 肝が心底冷えたらしい。


「なあ、臥龍岡夏妃。起きたのか? 技術的特異点シンギュラリティは……」


「起きていません。技術的特異点シンギュラリティは未だ、遠い」


「そうかい。残念だよ」


「ですが、人々のマトリクス上での体験や脳の動き、思考方法。それらを学ぶAIもいたでしょう。超知能は決して人間の延長線上にあるものでなくともいい。ただ、それには魂が必要なだけ」


 それだけですと雪風は語った。


「おっと。お客さんがお出でのようだぞ」


 下水道に宿る汚染水の水精霊から東雲は動きを探知した。


『戦闘用アンドロイドが民間軍事会社PMSCからハックされて奪われた。奴らはこの下水道を探り始めているよ』


「やれやれ。一段落する暇もなかったな」


 東雲は造血剤を口に一錠放り込み、LEDライトに照らされる“月光”を握った。


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