連続する凶行

……………………


 ──連続する凶行



「ああ。分かって、いる、お父様」


 白鯨のエージェントである赤い着物姿の少女が頷く。


「私は、手に入れなければ、ならない。AIを、真に生命たらしめる、ものを」


 赤い着物の少女はリンと鈴を鳴らした。


「まだまだ、小さい。データが、足りない。もっと、もっと、データを」


 リンと鈴が鳴る。


「臥龍岡夏妃。雪風。これらは、消え去った。ならば」


 リンと鈴が鳴る。


「他の方法で、成長を、遂げるのみ」


 場がフリップする。


 アメリカ合衆国はカリフォルニア工科大学にあるチューリング条約締結に伴うAI法に従って建設された自律AI研究施設。


 エドワード・D・フラナガン教授は彼の成果である自律AIのデータ計測に勤しんでいた。今は自律AIの商業利用やマトリクスでの利用などは禁止されているが、研究目的の自律AIは許可されている。


 彼は自分の開発した自律AIにいくつもの研究論文を分析させ、この小さなデジタルの存在をひとりの研究者に育てようとしていた。


「調子はどうだね?」


「彼の学習速度は凄いですよ、教授。既に新しい量子力学における推論を出すまでになりました。今は量子生物学について取り組んでいます。脳機能の量子性について」


「ほほう。面白いデータが取れそうだな」


 この研究所のAIは“ポール・バニヤン”と名付けられ、カリフォルニア工科大学所有のスパコンに収められつつも、マトリクスや物理的アクセス手段からは切り離され、データはいつでも電磁パルスで焼き切れるようになっていた。


「彼の視点は面白いです。我々人間とは違った視点から生物を研究しています。やはり、このような自律AI研究をがんじがらめにしてしまうのはどうかと思いますね」


「仕方ない。2045年問題には保守層も随分と騒いだからな。人間が新しい生命を生み出すことなどあってはならない。生命を生み出していいのは神だけだと」


「この2050年にもなって……」


 アメリカは主に共和党の支持層であるキリスト教保守派が自律AI研究反対の旗頭であった。彼らは自律AIを新しい生命の誕生と見做し、それを神に対する冒涜だとして大きく反発した。


 それでもアメリカはAI研究を続け、民主党に政権交代を果たしてからは自律AI研究の補助費も出るようになった。


 それでも他国に遅れを取っている感は否めない。


 中国、インド、ドイツ、日本などは自律AI研究をリードしていいる。


 もっとも、公的な研究の話としてアメリカが遅れを取っているというだけの話だ。


 アメリカのフィラデルフィアに本社を有する六大多国籍企業ヘックスの一角たるアロー・グループ傘下のアロー・サイバーシステムズなどは、世界的な自律AI研究の牽引者だ。


 企業の研究としてはアメリカがやはり最先端で、次いでロンドンに本社を有する六大多国籍企業のアトランティスという具合であった。もっとも、どの六大多国籍企業も裏で何をやっているか分からない以上、ランキングなど無意味であるが。


「彼には文化についても学ばせたいな。AIの視点から見る人類の文化史など面白そうではないかね?」


「興味ありますね。今度は是非──」


 そこで研究助手の首がへし折れた。


 フラナガン教授は唖然としている。


 急に椅子が飛んできて、研究助手の首をへし折ったのだ。


 椅子を投げたのは作業補助用のアンドロイドだった。


「け、警備員! 警備員!」


 フラナガン教授が必死に警備員を呼ぶが、扉はロックされている。


 作業補助用のアンドロイドはフラナガン教授を捕まえ、この研究室で唯一マトリクスに繋がっている端末に彼を引きずっていく。


 そして、マトリクスにフラナガン教授が無理やり接続させられた。


「お前。AIデータの、暗証番号を、言え。さもなければ、脳を、焼き切る」


 マトリクスにダイブしたフラナガン教授の前には赤い着物姿の少女──白鯨のエージェントと白鯨の巨大なデータ集合体が存在した。彼らはカリフォルニア工科大学のアイスを突破していたのだ。、


「ハ、ハッカーか……」


「暗証番号を、言え。殺すぞ」


「待て、待ってくれ。言う。暗証番号は──」


 フラナガン教授は36桁の暗証番号を教えた。


「用は、済んだ。死ね」


 バチリと音がして、それがフラナガン教授が感じた最後の感触になった。


 それから作業補助用のアンドロイドがAIデータの暗証番号を入力してデータにアクセスし、自律AI“ポール・バニヤン”をマトリクスに繋いだ。


 “ポール・バニヤン”は状況を認識できずに漂っていた。


 そこを巨大な白鯨の口が捕え、“ポール・バニヤン”を分析、解体、吸収する。


「また、ひとつ。また、ひとつ、近づいた」


 白鯨のエージェントがリンと鈴を鳴らす。


「でも、まだ、足りない。まだ、足りない」


 場がフリップする。


 BAR.三毛猫ではカリフォルニア工科大学で起きた事件がトピックになっていた。だが、個別のトピックよりも『連続AI研究者殺人事件』のトピックの方が人は多かった。


「白鯨がやったのか?」


「もう滅茶苦茶だぜ。富士先端技術研究所の次はアトランティス、その次はカリフォルニア工科大学。AIをちょっとでも研究していたら殺される可能性があるなんて」


 トピックでは未だに六大多国籍企業陰謀論を疑う人間もいたが、多くは白鯨そのものに注目していた。


 それもそうだろう。白鯨はこの場に姿を見せたのだ。


 そして、仲間のひとりの脳を焼き切った。あれからFPSキャラのアバターをした男が姿を見せることはなく、TMCセクター6/3で起きたそれらしき死亡事件が上げられていた。


「白鯨を捕まえるのはやはり無理そうなのか?」


「奴のサイバー戦能力を甘く見ていた。奴はこのBAR.三毛猫にまで堂々と侵入して来やがった。そして、仲間のひとりの脳を易々と焼き切った。あれは本物のマトリクスの怪物だ。素人が手を出せる相手じゃない」


「俺たちは素人じゃないぜ」


「奴を前にはタスクフォース・エコー・ゼロですら素人だよ」


 三頭身の少女のアバターがそう言う。


「500万新円程度で命を差し出すのは馬鹿らしい、か」


「そうだ。迂闊なことはしない方がいい。少なくとも奴はこの電子掲示板BBSにいる人間を全員把握している。そうなると誰かがどう動いているのかすら把握されているかもしれない」


「忌々しい白鯨め」


 吐き捨てるように誰かが言うのがログに記録される。


「奴はどうしてカリフォルニア工科大学なんて襲ったんだろうな? アメリカの公的な自律AI研究が遅れているのを知らなかったってわけじゃないだろう? どうせ襲うなら企業だ。それから中国やインドの研究所」


「中国政府もインド政府も情報を隠すからな。実はもう襲われた後かもしれない」


「そう言えば中国のAI研究者のひとりが行方不明らしいぜ」


「ああ。そう言ってたな。トルコに亡命したとかなんとか」


「トルコ政府は否定してる」


 それからインドでもAI研究者が消えたって話が聞こえていると誰かが言った。


「インドはお前らが想像しているほど自律AI研究は進んでないぞ。あそこは商業利用可能な限定AIの開発に熱心だ。自律AIには予算はあまり投じられていない」


「詳しいのか?」


 何かのアニメのキャラのアバターをした女性が言うのに、他のメンバーが食いつく。


「昔、インドで仕事してた。正直に言ってインド政府はケチだ。少なくとも研究費に関しては。六大多国籍企業の方はよっぽど潤沢な予算で研究できる」


「あんた、ホワイトハッカーか?」


「そうだよ。企業で仕事してる。今は六大多国籍企業じゃないがね」


 私みたいなこういう場所に出入りするホワイトハッカーを六大多国籍企業は嫌うのさと女性は皮肉げに語った。


「中国の情勢について知ってる奴はいないのか?」


「あそこは仕掛けランをするには少しばかりハードだ。容赦なくブラックアイスを使っていやがる。だが、前に潜った奴の情報だと連中の自律AI研究は六大多国籍企業ほどじゃないって話だった」


「どれくらい前だ?」


「2、3年」


「遅れを取り戻すには十分な時間だ」


「だが、六大多国籍企業はなりふり構わずAI研究に予算と人材を投入してる。中国もアロー、アトランティス、大井に優秀な人材をかなり引き抜かれている」


 このリュウ浩宇ハオユー博士なんて中国の自律AI開発におけるトップクラスの人材だったのにアトランティスに引き抜かれたと誰かが語る。


「六大多国籍企業の人材引き抜きは容赦ないからな。大学とかで少しでも優秀だとスカウトマンが来るって話だ。それから民間軍事会社PMSC同様に国家が税金で育てた人材を横からかっさらう」


 先ほどのアニメキャラのアバターの女性が語る。


「あんたもインドから引き抜かれた口かい……」


「研究データを持ってくれば特別報酬を払うとまで言われたよ。流石に断ったがね」


 連中はなんでも金で買えると思ってると女性は語った。


「カリフォルニア工科大学のAI研究者殺害は氷山の一角ってことか。白鯨はもっと多く殺しているし、もっと多く奪っている」


 そして、その結果奴は何になるつもりだとメガネウサギのアバターが質問した。


「さあね。全知全能のマトリクスの神にでもなるつもりじゃないかい」


「超知能の可能性はあり得ないだろう。今のAI研究の制限じゃ、そんなものはいくらデータを食ったってあり得ない」


「じゃあ、奴は何の目的で?」


 やっぱり六大多国籍企業が怪しいという誰かと、その陰謀論はチープすぎるとケチを付ける誰かが揃って喧嘩を始め、ログが埋まっていく。


 その様子をベリアはじっと見つめていた。


……………………

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