また貧血かい?

……………………


 ──また貧血かい?



 東雲はまたしても造血剤を切らして王蘭玲のクリニックを訪れていた。


 受け付けのナイチンゲールにはすっかり顔を覚えられており、顔を見ただけで貧血の診察ですねと言われた。


 東雲が少しばかり待合室で待つと、刺青を入れた男が3人出て来た。スキンヘッドの2名に角刈りの1名。その3名がナイチンゲールにチップで支払いをして、出ていった。


 それからややあって東雲が呼ばれた。


「また貧血かい?」


 王蘭玲は呆れたようにそう言う。


「ちょっと荒事があってね。ナイトタウンの件はテレビで見たかい……」


「ああ。30秒ほどのニュースだったが、ナイトタウンで戦闘用アンドロイドが暴走したらしいね」


「そいつに巻き込まれちまった」


 東雲はそう言って椅子に腰かける。


「相手は?」


「ええっと。確か46式戦闘人形だ」


「あれを相手にしたのか? 君がサイバーサムライでないのが驚くばかりだよ」


「それから指先から単分子ワイヤーとやらを出す連中とも戦った。先生。あんな妙な人体改造が今のトレンドなのかい?」


「殺し屋は道具を選ばずだよ。その手の改造手術を専門にしている医者を知っている。まあ、セキュリティ側もその点には注意するけどね。下手にその手の技術を手にしたテロリストが飛行機をハイジャックでもしたら大変だから」


 その点、その店はセキュリティが甘かったんだろうねと王蘭玲は言う。


「その手の技術を仕込んだ人間のことをサイバーサムライっていうのか?」


「いいや。彼らはただの殺し屋だ。サイバネアサシン。海外じゃニンジャとも呼ばれている。サイバーサムライも殺し屋だが、彼らの流儀はまた別にある」


 しかし、46式戦闘人形を相手に生身でかと王蘭玲が呟く。


「確かにヤバイ相手だったな。ショックガンを叩き込まれた」


「それでそんなにけろりとしていられるわけがないだろう?」


 ショックガンなんて生身で受けたら内臓が潰れるよと王蘭玲が言った。


「実際に潰れた。だが、ここが魔術のいいところでね。先生、その胸のペンを貸してくれるかい?」


「どうぞ」


 東雲は手をテーブルの上に載せると、自分の手にペンを突き立てた。


 それからゆっくりとペンを引き抜き、身体能力強化を行う。


 すると傷はみるみるうちに塞がっていった。


「なんとまあ、驚きだね」


 王蘭玲はそう言っただけだった。


「それだけかい? 魔術の脅威だぜ……」


「確かに驚きではある。ナノマシンによる修復でもここまで早くないし、綺麗には治らないだろう。だが、内臓に傷を受けたときの血は回復できなかったんだろう?」


「まあ、血は無理やり作らせて入るが、限度がある。内臓はいくつも潰れたし、肋骨も折れて突き刺さっていた。そのせいで血液不足さ」


「不足さ、じゃないよ。貧血には気を付けたまえ。いつか命を落とすことに繋がるよ」


 内臓は簡単に潰していいものじゃないと王蘭玲は苦言を呈する。


「一応ちゃんと治癒しているか検査するかい?」


「いや。いいよ。造血剤だけ処方してくれれば」


「それならそうするが」


 王蘭玲はナイチンゲールに指示を出す。


「ところでさっき出ていった連中は……」


「彼らが君について詮索しないように、君も彼らについて詮索するのはやめるんだ」


「いや。分かっている。だが、八天虎会の残党じゃないかと思ってな」


「そんな連中がいるのかい? 八天虎会に忠誠を誓っている人間なんてとうの昔にいなくなったと思ったんだけどね」


 彼らは八天虎会を食った側だよと王蘭玲は言う。


「だが、俺は八天虎会の残党に襲われたんだぜ」


「ふうむ。この街TMCの人間がそこまで義理堅いとはね。この街の人間の忠誠なんて金で簡単に変わるものだと思っていたが」


「どうやら義理と人情とやらがまだあるみたいじゃないか」


「どうだか。ただ単に食いはぐれた逆恨みじゃないのかい」


「そうかもしれないね」


 にしちゃ、大層な装備だったがと語る。


「私としては46式戦闘人形が暴走したということの方がショックだよ。あれはこの近くのスーパーにも警備ボットとして配置されている。私が買い物に行くときは暴走してほしくないものだ」


「全くだ」


 そこで王蘭玲は造血剤を持ってきたナイチンゲールから造血剤を受け取る。


「造血剤。それからいくつ種かのビタミン剤も入っている。どうせ合成食品だけの生活だろう?」


「それ以外に選択肢があるわけでもないし」


「確かにね。天然の食料なんて私はここ最近見たことすらないよ」


 トマトの形をしたトマトの味がするトマトではないものが売られていると王蘭玲はいう。それが合成食品だと。


「先生。よかったら下の中華料理屋で何か食べないか」


「女性を誘う時は他の女の臭いはさせないものだよ」


「よくわかったな」


 東雲は体を匂う。


「異臭が立ち込めている、このTMCセクター13/6で女性ものの香水の匂いがすれば気づくさ。それも高級品だ。私じゃ手が出ないような」


「あいにく、相手は単なる依頼人だ。先生が想像するような関係じゃないよ」


「そうかい。まあ、今からなら少しぐらいはいいだろう」


 王蘭玲はそう言って立ち上がる。


「やれやれ。しかし、君も物好きだね。こんなおばさんを相手に」


「先生ほど美人なら年は気にしないよ」


「やれやれ。下手に口説かれないために猫耳を付けたというのに」


「それってナンパ除けだったのか……」


 東雲が不思議そうに王蘭玲の猫耳を見る。


「そうだよ。私が猫に憧れたり、可愛さを求めたりして猫耳を付けているとでもおもったかね。こういうのを付けている人間はオタクだとか、生体改造主義者だとかで避けられる傾向にある」


「俺はいいと思うけどな、先生の猫耳」


 東雲がそう言うのに王蘭玲が猫耳をぴくぴくと揺らす。


「物好きだね」


「そうかね?」


 秋葉原──TMCセクター5/2には猫耳喫茶があったぜと東雲は言う。


「そう、ああいう店に通ったり、勤めたりするのはモテない人間ばかりだ。昔ながらの二次元が好きなオタクというわけさ。そして、彼らはシャイだ」


 昔がどうだったかは知らないけどねと王蘭玲は言う。


「この猫耳を付けてから声を掛けられることはめっきり減ったし、いい効果だと思っていたのだけれどね」


「いいじゃん、猫耳。先生のチャームポイントだと思うぜ」


 東雲がそう言うと王蘭玲は猫耳を揺らしながら、視線を逸らした。


「君は本当に気があるようだね」


「まあね。異世界でも碌な出会いがなかったもので」


 酷いものだったぜと東雲は語る。


「王女は肥満だし、エルフはレイシストだし、ドワーフは女なのに髭が生えてるし。魔族もオークは不細工で、他は化け物が勢ぞろいだ。妖精が唯一可愛かったけど、あれは小さくてな……」


 恋愛対象になるサイズじゃなかったと東雲はしみじみと語った。


「ファンタジーにつきものの獣人や吸血鬼は?」


「獣人はなんというか、思った以上に獣よりだった……。顔が完全に獣。それでもっさりしてて、実家で飼ってたペットを思い出した。それから吸血鬼は100年前を最後に滅亡したってさ」


「ふむ? しかし、“月光”のアバターはあれは……」


「ああ。吸血鬼に見えただろう? だが、吸血鬼じゃないんだ」


 吸血鬼は滅亡しちまったってさと東雲は語る。


「まあ、吸血鬼は魔族側でも、人間側でもなかったって話だからいたとしてもそういう関係にはならなかっただろう。エルフと一緒でレイシストだったみたいだし」


「エルフのイメージがかなり違う気がするが」


「あいつらすげー嫌味なレイシストだったよ。『いずれ死ぬ定めにあるものよ』とか『朧げな歴史しか紡げぬものよ』とか。完全にこっちを見下してた」


「まあ、実際に不老長命の種族がいたら、そういう思想になるのかもしれないね」


 事実、企業で医学的な疑似不老不死──超延命措置を受けて100歳を超えている人間は、差別的だと王蘭玲は語った。


「そして、エルフどもの年齢は300歳、400歳は当たり前で、女王様になると1500歳とかなのに20代にか見えないってぐらいだからな」


 そりゃ差別的にもなるかと東雲は肩をすくめる。


「異世界というのもなかなか面白そうじゃないか」


六大多国籍企業ヘックスが異世界に行ったらうはうはだろうな。未開拓の土地に異世界の生物の遺伝子情報。汚染を輸出して、資源を輸入ってところだろう」


「君も随分と六大多国籍企業嫌いになったね」


「連中、こっちを駒としか見てないってはっきり分かったからね」


 白鯨を捕まえてこいとかと東雲は言う。


「白鯨?」


「先生はマトリクスの噂を聞いてないのか。白鯨ってのは例の暴走したAIのことだよ。あのTMCサイバー・ワン占拠事件を引き起こしたAI。あんなのがいるなんてマトリクスは魔境だな、本当に」


「白鯨か。そうか。君らはあれをそう呼んでいるのか」


「他に呼び名があったのかい?」


「マトリクスの怪物」


「確かに怪物らしいな」


 俺はこういうのがあるからマトリクスに繋ぐBCI手術なんて受けたくないんだと東雲はぼやいた。


「普通に生活している分には早々そういう面倒ごとには巻き込まれないさ」


「だといいんだけど。先生、下の中華料理屋はラーメン以外何が美味いんだい?」


「汁なし担々麺がなかなかスパイシーで美味しいよ」


「よし。それを頼もう」


「私はチャーハンにしておこう」


 そう言いながら東雲と王蘭玲は下の中華料理屋に降りて行った。


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