ジャバウォックとバンダースナッチ

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 ──ジャバウォックとバンダースナッチ



「雪風の言ったことが的中したってことだよな……」


 自宅のダイニングで東雲がマトリクスから戻って来たベリアに尋ねる。


「そうなるね」


 マトリクスの幽霊。雪風は警告していた。


 これからAI研究者が殺害される可能性について。


「マトリクス上では既に白鯨という呼び名が広まった。白鯨は自律AIで間違いないとの見解も。国連チューリング条約執行機関は富士先端技術研究所の件でマトリクス上を探し回っているけど、どういうわけか白鯨は捕まってない」


「おかしいことなのか……」


「おかしいとも。富士先端技術研究所のアイスは高度なんてものじゃない。人事ファイルをちょっと拝見って程度なら、アイスを破れるかもしれない。だけど、作業補助用のアンドロイドをハックして、研究者を殺害する?」


 まず不可能とベリアは言った。


「なあ、AIってのはそんなに禁忌の技術なのか……。俺がいたときだってAIのようなものは既にあったぜ」


「2010年代のAIは大したものじゃない。演算装置たるスパコンの質もいまいちだったし、ソフトウェアに至っては壊滅的。人間はリンゴの絵と本物のリンゴをみただけで区別できる。だけど、2010年代のAIにはそれができない」


 それから進歩が続いたとベリアは言う。


「様々な分析AIが生まれ、情報処理技術は高度化していった。そして、2029年には汎用人工知能AGIの開発計画が持ち上がる。プロジェクト“プロメテウス”。だけど、その時の技術では自律AIは作れなかった」


 だけど、成果は残した。そして、その成果こそが問題だったとベリアは続ける。


「将来的には自律AIは作れるという結論になったんだ。それも人間より高度な知性を有するAIは作れるという結論をプロメテウスは残した。これがいわゆる2030年代の超知能恐怖症を引き起こす」


「超知能恐怖症?」


「進化し続けたAIによって人類が支配されることを恐れること」


「ああ。人間とロボットの戦争になるって話か」


 そういう映画は山ほど見たぜと東雲は語った。


「そう、人々は恐れた。AIと支配権を巡って争うことを。だから、チューリング条約が締結させることに繋がる。AI研究に歯止めをかけて、将来AIに人類が支配されることがありませんようにってね」


「映画をマジにしちまったのか。なんというか、聞くたびに阿呆らしい話に聞こえる」


「それは君が2010年代の人間だからだよ。2030年代には運命の2045年問題を控えていたんだ。技術的特異点シンギュラリティの問題を」


 君が暮らしていた2010年代から30年先にはもしかしたらAIに支配される世界があったかもしれないんだよとベリアは語った。


「ありえねえと思うのは俺がローテク人間だからなのか。だが、現実にAIが人を殺し、事件を起こしている。完全な被害妄想とは言えないところが問題だな」


「白鯨。奴はまた事件を起こすだろうね。そして、雪風の言ったようにジェーン・ドウから私たちに仕事ビズが回ってくるのか……」


「分からねえな」


 東雲はそう言って合成緑茶のペットボトルを飲み干した。


「そういや、俺は化学が苦手だったから手を出さなかったけど、ジャバウォックとバンダースナッチは錬金術のホムンクルスを作る魔術で作ったんだよな?」


「そう。ホムンクルスの精神を作る仕組みをマトリクス上で試したら上手くいってさ。後はアバターという肉体を与えてやれば、自律AI的なものになったってこと」


「自律AI的ということは自律AIではないのか?」


「自律AIと呼べるほど彼女たちは自律してない。何と言っていいのかな。彼女たちはあくまで私が作った人格をエミュレートしているだけなんだよ。彼女たちは自分で自分の人格を形成したわけではない」


「それだと自律してないのか?」


「自律AIは人格すら自分で作ってこそだ。そうじゃないと結局は創造主の想定の域を出ない。事実、ジャバウォックとバンダースナッチは私が想定した以上に成長する様子はないしね」


 ジャバウォックとバンダースナッチは超知能にはならないよとベリアは言う。


「だが、国連チューリング条約執行機関に見つかると不味いんだろう?」


「不味いね。彼らにとっては人格をエミュレートしてるだけってことすら分からない。錬金術は異世界の技術だ。それによって作られたジャバウォックとバンダースナッチを国連チューリング条約執行機関は理解できない」


「国連チューリング条約執行機関は優秀なんだか、無能なんだか」


「優秀ではあるだろう。彼らのサイバー戦部隊は速やかにTMCサイバー・ワンを封鎖したし、富士先端技術研究所にも近づけない。もしかすると白鯨も彼らが捕まえてしまうかもしれないよ」


「そうなったら俺たちに仕事ビズは回ってこないな」


 無能でも困るが有能すぎてもおまんまの食い上げだぜと東雲が愚痴る。


「正直、白鯨相手の仕事ビズは気が乗らない。あれはどういうものなのかさっぱりだ。一番近くであれを目撃した私とディー、そしてジャバウォックの感想としては、あれを作った人間は病気ってことになっている」


「ジャバウォックは確かに気持ち悪いと言っていたな。病的だとも」


 だが、どこがどう病的なんだと東雲が尋ねる。


「パラドクストラップと迷宮回路、そして銃乱射型ブラックアイス。それらがナメクジの交配のように絡み合っている。遠目には白鯨はクジラに見える。だが、近くで見れば、それがナメクジの群体だと分かる」


「そりゃ気持ち悪いな」


 クジラサイズのナメクジの群れとはと東雲は寒気が走った。


「あれを設計した人間がいるならば、それは間違いなく病人。ああなるように設計したとしても病人。あれには人食い連鎖球菌的なおぞましさとテクニカルさがある」


「腐った臓物で培養された人食い連鎖球菌か」


 気味が悪いなと東雲は言う。


「だけど、あれは完全に自律したAIだと思うね。あれは言語を独自に生み出しているし、行動も恐らくは設計者の予想していない範囲に及んでいると思う。ジャバウォックとバンダースナッチは言われたことをやるだけだけど、あれは違う」


「ジャバウォックとバンダースナッチも自由にやっているように、俺には見えるんだけどな。そんなに自由がないものなのかね……」


「自由の定義の問題だ。ひと部屋の独房か、それともいくつかの部屋を組み合わせた雑居房か。人間だって完全に自由にはなれない。法律と社会的規範で縛られている。自由は広さの問題だ」


「俺としては自由にやっているつもりなんだけどな」


 法律も何もかも無視した非合法傭兵なんて自由そのものだろと東雲は言う。


「君は結局非合法傭兵という枠の外には出られないのさ」


「まあ、確かに今から六大多国籍企業ヘックスの重役にはなれないだろうけど」


「それが人の不自由さであり、AIの不自由さだ」


「だけど、真に自由な存在が幸運だとも限らないだろう?」


「それはそうだ。自由と権利にはそれなりの責任が伴う。本当に自由な存在がどれほどの責任を背負わされるのか」


 想像するだけで嫌になるねとベリアは肩をすくめた。


「自由なんて俺たちにはどうでもいい。俺たちはこの先も生きていくために仕事ビズをして、仕事ビズのために生きていくんだ」


「それが私たちの自由、か」


 その時、東雲のARにジャバウォックが顔を見せた。


『東雲。ご主人様に動きがあったと伝えるのだ』


「分かった。こういうことならベリアもARデバイスを装備すればいいものを」


 東雲がそう言う。


「ベリア。ジャバウォックからだ。動きがあったそうだ」


「了解。また暫く潜ってみるよ」


「気を付けろよ」


「もちろん」


 ベリアはニッと笑って、マトリクスにダイブした。


「ご主人様。国連チューリング条約執行機関のサイバー戦部隊が白鯨と交戦を開始したのだ。今から1分29秒前」


「ほうほう。彼らのお手並み拝見と行こうか」


「ジャバウォックたちは見つかると不味いので隠れておくのだ」


「そうしておいて」


 国連チューリング条約執行機関のサイバー戦部隊と言えば、タスクフォース・エコー・ゼロだったか。そのお手並みを拝見とばかりに多くの観測エージェントが飛んでいる。


「よう。アーちゃん。早速野次馬かい……」


「見てみたいじゃないか、白鯨を相手にした国連チューリング条約執行機関の実力というものを」


「それもそうだ」


 ディーも観測エージェントを放っているようだった。


「始まるぞ。エイハブ船長対白鯨の戦いだ」


 ベリアも観測エージェントを飛ばす。


 白鯨。


 マトリクスの怪物。殺人者。AI。


 それに対抗するのは国連チューリング条約執行機関のサイバー戦部隊タスクフォース・エコー・ゼロ。


「ご主人様。始まったのだ。国連チューリング条約執行機関が白鯨に仕掛けたのだ」


「さて、果たして現代のエイハブ船長は白鯨を仕留められるか」


 マトリクスのあらゆる目が戦いに注目していた。


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