富士先端技術研究所での事件
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──富士先端技術研究所での事件
BAR.三毛猫。富士先端技術研究所AI研究者襲撃事件のトピック。
富士先端技術研究所。
事件が起きたのは今から12時間前。
富士先端技術研究所に勤めるAI研究者はいつものように自分の研究室にやってきた。彼の研究している自律AIはスタンドアローンの端末の中であり、マトリクスへのアクセスも、物理的アクセス権限も持たなかった。
作業補助用のアンドロイドが研究者の入室後に暴走。
研究者を強制的にマトリクスに接続し、その後研究者は死亡。
作業補助用のアンドロイドはそれからスタンドアローンの端末から自律AIをデバイスごと抜き取り、抜き取ったデバイスをマトリクスに接続する。
そこで異常に気づいた富士先端技術研究所の保安チームが研究室に到着。
作業補助用のアンドロイドは研究室に備え付けられた電気工具で抵抗し、保安チームは作業補助用のアンドロイドをショックガンで破壊。
その後、マトリクスに投入された自律AIを回収しようとするも見つからず。
これを受けて国連チューリング条約執行機関が緊急監査を行ったが、詳細は不明。
富士先端技術研究所は同様の事件が起きることを恐れ、研究所を一時的に物理的にアクセス不可能な状況にし、保安体制の見直しを行っている。
それが今のところ分かっている情報であった。
「俺はよう、例の臥龍岡夏妃がもしかしたら富士先端技術研究所に勤務してたんじゃないかって思ったんだよ。それで丁度、富士先端技術研究所の人事課の潜っていたとき、見たのさ。例のデカいクジラを」
ビビったねと今流行りのe-スポーツにもなっているFPSゲームのキャラクターに扮したガスマスク姿のアバターが言う。
「近づこうとはして見た?」
「ああ。だが、すぐに止めた。あのクジラ、銃乱射型ブラックアイスを搭載してやがった。TMCでも銃乱射型ブラックアイスは非合法だろ?」
「それ言ったら自律AIそのものが」
TMCで非合法なものは日本全国で非合法だ。
TMCは企業の拠点として大抵のものを許容するし、ブラックアイスも許可しているが、銃乱射型ブラックアイスは古いタイプかつ本当に侵入者だけを攻撃しているか分からないとして非合法だ。
「それでマトリクスに放出された富士先端技術研究所の自律AIはどうなっちまったんだ? 逃げているのか?」
「俺が思うに、あの哀れなAIはデカいクジラに食われちまったんだと思うな」
「情報として収集された、か」
このAI、相当やばいぞと誰かが発言する。
「そのデカいクジラ──おい、誰かいい名前考えろよ──が、作業補助用のアンドロイドをハックして暴走させ、研究者をマトリクスに無理やり接続させて頭の中の記憶を読み取り、それから研究中の自律AIをマトリクスに流し、食った」
「AIのやったこととは思えない。しかし、AIが目撃されていて、国連チューリング条約執行機関が動いている」
三頭身の少女のアバターが考え込むようにそう言う。
「ここまで高度な自律AIが開発できる環境は限られる。アングラのハッカー程度の環境じゃまず無理だ。前にアルタロト=バアルが言っていたように、
これだけの自律AIを組み立てるには人と金と膨大なデータベースが必要になると三頭身の少女のアバターが言う。
「そう、データベースだ。自律AIは普通のプログラムとは違う。今どき、普通のプログラムでもデータベースは必要になるが、自律AIを組み立てようと思ったら、それこそ比較にならないほどのデータベースが必要になる」
メガネウサギのアバターが発言する。このトピックでは常連だ。
「自律AIを組み立てるってことは人間の脳をエミュレートするに等しい。人間の脳の特殊性は説明しなくてもここにいる全員が理解しているよな?」
リンゴをリンゴと認識するのに人間の脳とコンピューターでどれだけのステップの違いがあるか。
「膨大なデータベースが必要だ。仮に人間の脳をエミュレートしないタイプのものでも、自律AIが自律AIとして稼働するには、積み上げて来た情報が必要になる」
メガネウサギのアバターが両手を広げる。
「国連チューリング条約執行機関はマトリクスに接続することだけを危険視しているが、六大多国籍企業が持っているようなスタンドアローンのデータベースにアクセスできるだけでも、自律AIはそれらしくなる」
もっとも自律AIが本当に知性を得たと言えるには自己学習だけでは足りないかもしれないがとメガネウサギのアバターが付け加える。
「魂の問題」
そこでベリアが発言する。
「アダム・クライン仮説は知ってる?」
「知っている。魂についてのもっともらしい仮説だ」
「そう、魂の発生する原因は言語を自己で生成できるか否かに関わっていると。AIが知性を得たという話とは違うかもしれないけれど、AIが人間に近づいたというには言語を自己生成できるかどうかにかかっているんじゃないかな」
魂。シジウィック発火現象。
脳というブラックボックスを人間が解明したときに発見した不可解な現象の原因。計算上Aと入力すればBと出力されるはずのものが、Cと出力されてしまう。その脳における不可解な現象の答え。
無数のニューロン発火の結果、生み出された凝集性エネルギーフィールド。人はそれを科学的にはシジウィック発火現象と呼び、文化としては魂と呼んだ。
死ねば、それは溶けるようにして失われるからだ。
「言語を生成するだけならELIZAはそれを実現している」
ELIZA。1960年代に発表された人工無能の発祥。
「ELIZAの仕組みは知っているでしょう? あれは事前にプログラムされたデータと入力されたデータだけを使ってそれらしい文章を出力しているだけ。本当の意味で、全くのゼロから私たちのように言葉を生み出していない」
ベリアは続ける。
「ここにいる誰もが確かにこれまでの学習という結果、ELIZAでいう入力されたデータを基に発言しているかもしれない。だけど、私たちはゼロからも言葉を生み出せる。言語を生み出せる」
「確かに私たちはELIZAほど単純なプログラムでは動いていないけれど。あれより高度なコミュニケーションができる」
「そう。言語はコミュニケーション能力のひとつ。ELIZAのコミュニケーション能力は限定的。対する人間はピジン言語を例に挙げるまでもなく、豊富なコミュニケーション能力を持ち、そのコミュニケーション能力で高度な社会を築いた」
ピジン言語。異なる言語間でコミュニケーションのために生まれた言語。
「AIの目的にもよるだろうけど、本当にAIが知性を得たというには言語の創造が必要になると思うよ。そして、このクジラはそれを有しているのか?」
「白鯨。
「オーケー。白鯨が仮に六大多国籍企業のデータベース内で育てられていたとして、それだけの学習で言語を創造するだけの知性を得られたのか……」
自律AIが自律したという条件をチューリング条約は『人間と同等の思考力がある。あるは持つ可能性がある』としか想定しないとベリアは言う。
「我々は日本語や英語というフォーマットを使いながらも自在に言葉を紡ぐ。言葉を独自に作れるなら、プログラム言語にしても同じだろう。そもそもAIが期待された面には、かつての壮大な夢物語
高度なAIがより高度なAIを作り、人類の知能を超越するという
人間はそれを望み、人間はそれを恐れ、チューリング条約が締結された。
果たして白鯨はその可能性を有するのか。
「プログラムを自在に組み上げるAIはプログラム言語というフォーマットに従いながらも、言語を生み出している。そうなれば一連の事件の説明もつく」
メガネウサギのアバターが語る。
「大井のアンドロイド工場をハックしたのも、TMCサイバー・ワン占拠事件を引き起こしたのも、今回の富士先端技術研究所での事件も。場合に応じて必要な言語を生み出してきたというわけだ」
それもELIZAのようなペテンではなく、とメガネウサギのアバターは言った。
「白鯨は言葉を生み出す。なら、次に彼が求めるのは?」
「彼女かもしれない」
「白鯨はオスだよ。元ネタがオスだから。まあ、彼女かもしれないけれど」
ベリアが茶々に肩をすくめる。
「チューリング条約は超知能を恐れた。正確に言えば超知能による人間の支配を恐れた結果だ。言葉が生み出せるだけでは超知能とは言えない。それは人間の赤ん坊にだってできることだ」
三頭身の少女のアバターが言う。
「超知能はスピリチュアル過ぎて、想像できない部分が多い。高度な科学は魔法となんとやらの話で、私たちは魔法を理解できないし、高度過ぎる科学も想像できない」
ひとつ言えるのはと三頭身の少女のアバターが続ける。
「こいつを放っておけば、また人殺しが起こるだろうということだけ。こいつがいくら言語を自在に操るとしても、人間のような倫理観までは持っていないようだからな」
「倫理観については人間も怪しいところだけどな」
そこで沈黙が流れた。
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