不沈の駆逐艦

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 ──不沈の駆逐艦



「雪風。旧大日本帝国海軍陽炎型駆逐艦8番艦」


「戦後まで生き延びた幸運な駆逐艦」


 雪風についてベリアたちが調べて分かったのはそれだけだった。


「ただのハンドルネームって線が濃厚だね。雪風、ゆきかぜ、ユキカゼ、YUKIKAZE。全て調べたけれど、見つけ出せたのは先の駆逐艦“雪風”と旧海上自衛隊の護衛艦としての“ゆきかぜ”と現日本海軍としての駆逐艦“ゆきかぜ”。それだけだ」


 ベリアはそう言って伸びをした。


「海軍オタクなのかも」


「俺もこんな幸運な軍艦がいるなんて知らなかった。大和と一緒に海上特攻した軍艦は全部沈んだものだとばかり」


 歴史の授業でも教わらないしなと東雲は言う。


「で、この幸運の駆逐艦の名を名乗ったハッカーを例の自律AIは探していた。そして臥龍岡夏妃という恐らくはAI開発者も。そしてこの雪風君はこれから起きると予言したAI研究者に対する攻撃を阻止してほしいという」


「臥龍岡夏妃のハンドルネームが雪風、か……」


「可能性としてはあり得るでしょ?」


「確かにな。遠回しに自分を守ってくれって言ってるようなものだ」


 臥龍岡夏妃はAI開発者でほぼ間違いないと確定していた。


 今、噂好きのハッカーたちが各大学の卒業者名簿を調べてているという。その中に臥龍岡夏妃という名前を見つけ出すために。


 だが、今のところ、そっちの方面で進展があったという話をベリアは聞いていない。


 臥龍岡夏妃という人間の人物像プロファイルが全くできていない。


 全てが謎。まるでこういう事件が起きる前にマトリクスを片っ端から掃除でもしたかのように、何の痕跡も残していない。


 当然ながら総務省にも臥龍岡夏妃のIDはなかった。


 有名無名のハッカーたちが総がかりでマトリクスを捜索しても、謎ということしか分からない人間。それが臥龍岡夏妃。


 彼女自身が自分の痕跡を消したのか。それとも六大多国籍企業ヘックスが彼女を囲い込み、彼らが痕跡を消したのか。あるいは臥龍岡夏妃という人間は存在しないのではないか。


 それすらも分からない。


 分かっているのは恐らくは凄腕のAI開発者であり、恐らくはチューリング条約違反を犯しており、間違いなく自律AIに狙われているということ。


「チューリング条約、か。未来の世界ではロボットが何でもしてくれて、人間は働かなくていいなんて記事を読んだことがあるけど、人間が働くためにAIの開発を禁止するとは。なんつーか、日本人的な発想だな」


 あるいは労働好きのドイツ人的? と東雲は言う。


「そういやドイツ人って労働シミュレーションゲームが好きだって話聞いたことあるけど、今でもそうなのか?」


「うん。システムエンジニアシミュレーターとか、市役所窓口シミュレーターとかやってみたいだよ」


「マニアック度が増してんな……」


 もうそれ仕事にしたら? と言いたくなるようなラインナップであった。


「それはどうでもいいんだけど、問題はAI開発者に対する攻撃が本当に起きるのか。マトリクス上ではハッカーたちがTMCサイバー・ワンから脱走した巨大データ──自律AIを追いかけている。けど、どこかに雲隠れしたのか、見つかってない」


「マトリクスってのは見つからないものだらけだな」


「けど、今日日物理媒体で記録されたものは同時にマトリクスに保存されている。現実リアルで起きたことは必ず、マトリクスが記録している」


「けど、臥龍岡夏妃も、TMCサイバー・ワンを荒らしまわった自律AIも見つからない」


「そうなんだよねえ」


 難しい問題だとベリアは言う。


「マトリクスはTMCサイバー・ワンのデータセンターなんかと違って永遠にデータを保存している場所じゃない。マトリクス上のサービス終了で消えたデータはいくつもあるし、クラッキングで消去されたデータも少なからずある」


「そういうのは昔もあったぜ。サイト運営会社のサービスの終了とかで消えたデータや、作者が消したイラストや小説。マトリクスも万能じゃないってことだな」


「昔よりは安定しているって誰もが言うけどね。特にハッカーたちは。マトリクス上から完全にデータを消すってのはそう簡単な話じゃないんだ」


 ベリアが語る。


「誰かがバックアップを持っていたり、消したはずなのに見えなくなっているだけでデータとしては残っていたり。そうやって情報は保存されている」


 バックアップを作者以外が持っていないとは限らないとベリアは言う。


「いい例がTMCサイバー・ワンのデータセンター。あそこはマトリクス上の保存できるデータを全て集めている。もちろん、有意義なものだけだけど」


「おいおい。小説とかイラストとかは著作権があるだろ?」


「だから、データセンターはスタンドアローンなのさ。あそこは国会図書館と同じで、日本の著作権上特殊な環境にある」


「ふうん。俺も昔は小説とか書いてみようと思ったが、その小説みたいな世界に召喚されちまったもんなあ」


 東雲がそこで思いついたように言う。


「なあ、異世界のことをフィクションとして紹介したら受けないか? かなりリアルな話になると思うぜ。何せ、マジものだからな」


「マジもの過ぎて受けないよ。リアルであればいいというわけじゃない。エンターテイメントが小説やマンガには求められる。得てしてエンターテイメントというのはご都合主義がひとつまみさ」


「リアルな創作論を前にはリアルな体験も霞むのか」


 現実リアルは残酷だと東雲は嘆いた。


「それはどうでもいいから。さっきから脱線し過ぎ。問題は雪風、臥龍岡夏妃、AI開発者。自律AIが今さらチューリング条約をご丁寧に守ったAI研究のデータを欲しがるとは思えない」


「となると、チューリング条約違反の研究をしている連中を、ってことか?」


 だが、法律でも禁止されているんだろうと東雲は尋ねる。


「一部の例外を除いて許可されている。まず研究環境がスタンドアローンであり、自律AIがマトリクスにふれないこと。次に国の認定基準を受けた研究であること。最後に自律AIには一切の物理的アクセス権限を認めないこと」


「アンドロイドに搭載したりするのはご法度ってことか」


「そういうこと。つまり、先のアンドロイド暴走事件は完全にチューリング条約違反。マトリクスには接続しているし、物理的アクセス権限を与えている。国連チューリング条約執行機関が出張ってくるのも当然だ」


「まだ国連チューリング条約執行機関と大井は喧嘩しているのか?」


「大井だって国連チューリング条約執行機関といつまでも喧嘩して企業ブランドを落としたくはないから、TMC内での部分的な協力については同意したみたいだよ」


 ジャバウォックが仕込んだ大井と国連チューリング条約執行機関を喧嘩させておく作戦はどうやら大人の話し合いで部分的に解決したらしい。


「ただ、本当にジェーン・ドウがAI研究者の保護を依頼してくるなら、大井もチューリング条約違反のAI開発を行っていることになる。国連チューリング条約執行機関は締め出しておきたいはずだよ」


「条件を満たした環境ならば」


「そんな環境の合法的な研究者の保護を非合法傭兵の私たちに依頼すると思う?」


「ああ。そうだったな」


 東雲たちは企業が隠したい非合法な案件に投入されるのである。


 つまり、ジェーン・ドウからの依頼が来るということはジェーン・ドウの所属している企業が非合法なAI研究者を雇って、研究を行わせていたということになる。


「臥龍岡夏妃=雪風だとして、今度の仕事ビズで臥龍岡夏妃にご対面というわけになるだろうかね……」


「さあ、どうだろう。臥龍岡夏妃の存在すら今は疑われている。たまたま、私たちのところにジェーン・ドウから臥龍岡夏妃を保護しろって依頼が来るとは思えない」


「となると、雪風。この幸運の不沈艦は俺たちに何をさせたかったのかね」


「単純な人命救助。あるいは」


「あるいは?」


 東雲が尋ねる。


「自律AIが育ち切るのを阻止すること。彼女がAI研究者であるならば、チューリング条約の意味は理解しているはず。TMCサイバー・ワンを攻撃するような自律AIは彼女にとっては危険なAIに見えるだろう」


「確かにな」


 チューリング条約は意味があって締結された条約だ。


 自律AIによる超知能の誕生を防ぐ。


 マトリクスから現実リアルにまで手を出している自律AIであるTMCサイバー・ワンを襲撃したAIは危険なAIそのものだ。


「まあ、暫くは様子見だ。私は引き続きTMCサイバー・ワン占拠事件関係のトピックとマトリクスの幽霊に関するトピックを当たってみる。ところで、“月光”のアバターはどうしたの?」


 ベリアが尋ねる。


「俺が気を使っているみたいで申し訳ないって引っ込んじまった」


「そうかい。まあ、君と“月光”の関係だ。私は口出ししないよ」


 そう言ってからベリアはマトリクスにダイブした。


「おう。アーちゃん」


「やあ、ディー。トピックの方に動きはあった?」


「いや。他のトピックができた」


「というと?」


 ベリアのアバターが首を傾げる。


「富士先端技術研究所のAI研究者が殺された。国連チューリング条約執行機関が動いている。潜ってた奴が言うには例の自律AIを見たそうだ」


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