幽霊の噂
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──幽霊の噂
ベリアはBAR.三毛猫のマトリクスの幽霊に関するトピックに向かったが、人はほとんどいなかった。いた人間もログを眺めているだけで、発言する様子はない。
ベリアも黙ってログを眺める。
マトリクスの幽霊の目撃談が記されていた。
ホワイトハッカーらしき人物がメンテ中の企業サーバー内で目撃。
準
国際経済フォーラムを相手にクラッキングを仕掛けていた反グローバリストのハッカーが攻撃中に目撃。
その他、あり得ないような場所でまで目撃情報がある。
ブラックアイスに守られた
この手の都市伝説染みた噂には尾ひれがつくものだが、これもそういうものだろうかとベリアは思いつつあった。
「マトリクスの幽霊? 随分とクラシックな話題に顔を出しているんだな……」
「ディー。マトリクスの幽霊について何か知ってる?」
「知ってると言えば知ってるが、どうしてマトリクスの幽霊について調べいる?」
「知り合いが目撃したんだ」
ベリアは名前は伏せたがサイバーサムライでTMCサイバー・ワン占拠事件の際に
二度目はTMCサイバー・ワン占拠事件の直後だとも。
「そいつはすげえな。BCI手術も受けてないサイバーサムライってのも凄いが、BCI手術を受けてなくてマトリクスにダイブできない人間が二度もマトリクスの幽霊にお目にかかるなんて」
「私なんてまだ一度も見てない」
「俺は一度見た」
「本当に?」
「ああ。マジのマジだ。会話もした」
そういうディーの声色は本気だった。
「これまでマトリクスの幽霊が会話したなんてログはないけど」
「だろうな。俺たちはビビってるんだ。あれは凄腕のハッカーだとな」
迂闊にログなんて残せねえよとディーが言う。
「ディーはいつマトリクスの幽霊に会ったの?」
「その前に誓ってくれ。こいつをログに残さないことを」
「約束する」
ベリアは全ての記録装置をオフにした。
「俺たちはマトリクスが視覚化されて、アイスブレイカーってものがアングラに出回り始めたころにそいつと遭遇した」
「どこで?
「からかうつもりなら話さないぞ」
「分かった。真面目に聞く」
ベリアが肩をすくめてそう言う。
「
「
「噂になっていたんだよ。欧州原子核研究機構がマイクロブラックホールを作って、タイムマシンの実験をしてるってな。馬鹿なガキだった俺たちはそれを信じて、欧州原子核研究機構を相手に
思えば本当に馬鹿なガキだったぜとディーは話す。
「欧州原子核研究機構は当時では最先端の
それがだ、とディーが言う。
「マトリクスの幽霊がいたんだ。俺たちが辿り着いた
ぞっとしたとディーは言う。
自分たちのちょっとした悪戯が見つかったんじゃないだろうかと思ったと。
「だが、そいつは俺たちに話しかけてきたんだ。『あなた方はここまでこれたのですか?』ってな。俺は『見りゃわかるだろう』って返した。あまりに焦ってたんで逆切れしてた感は否めない」
そして、そのマトリクスの幽霊は静かに話し始めたという。
「『私は大事なものを守っており、それを託すべき人間を待っています』と。それで俺たちはお眼鏡に叶わなかったようで、そのまますっと消えちまった」
「大事なものを守っている?」
「分からないだろう? どこかのハッカーが大富豪に依頼されて、有能なハッカーに遺産を渡せって命令されてるんじゃないかって俺は思っている。それぐらい奴は神出鬼没だ。しかし、AR上に現れたって話は滅多に聞かないな」
奴は大抵マトリクス上のとんでもないところにいるもんだと話した。
「害を加えてくることは?」
「聞いたことがない。もっともこっちから手出ししなかった場合だが。大抵の奴は気味悪がって手を出そうとは考えない。だが、あれだけの凄腕だ。手を出されたらどうなるものか……」
そこでディーははっとした。
「あんたの友達が狙われているかもしれないって思ってるのか?」
「ちょっとね。どれも一度しか会ったケースしかない。それもマトリクス上。AR上で二度も見かけるなんて何か意図があると思わない?」
「確かにな。事実、目を付けられたからARデバイスをハックされたわけだし」
これは向こうから手を出してるなとディーは言った。
「腕前で言うとどれくらいのハッカーかな……」
「
それからブラックアイスをものともしないタフさとディーが付け加える。
「マトリクス最強ハッカー選手権が開催されたら、トップは間違いなくマトリクスの幽霊だ。それぐらい、奴は凄い」
「そうみたいだね。私も一度会ってみたいものだ」
「やばい施設に
「どこも命がいくつあっても足りなさそう」
「それでもやってる奴はやってる。まあ、
連中はブラックアイスを使わなくても、物理的に消しに来るとディーが言う。
「知ってるよ。消されたハッカーを知ってる」
「おい。まさかジョン・ドウからの依頼か?」
「まさか。彼らがマトリクスの幽霊について調べようと思う?」
「それはそうだが。マトリクスの幽霊が六大多国籍企業に手を出していたら、あり得なくもない話だろう?」
「仮に調べたとして、マトリクス上で神出鬼没のマトリクスの幽霊をどうやって六大多国籍企業に差し出すのさ?」
「まあ、そうだな。だが、この件にはどうにも疑り深くなっちまう」
「ことがことだからしょうがないさ」
ディーは自分がジェーン・ドウ──恐らくは大井のジェーン・ドウ──に雇われていることを知っていて話しているのだろうかとベリアは思う。
今回の件はジェーン・ドウ絡みではないが、TMCサイバー・ワン占拠事件はジェーン・ドウ絡みの
「ディーはジョン・ドウと仕事をしたことは?」
「ある。というよりも、俺は元ホワイトハッカーでな。あるデカい会社に雇われてたんだが、ちょっと悪戯が過ぎて、とうとうクビになっちまってな。それからジョン・ドウが接触してきた」
「へえ。これもログを残さない方がいい?」
「できれば内密に。一度ジョン・ドウやジェーン・ドウに関わると面倒だぞ。連中、使えるまでこき使って、いざって時には捨てやがるんだ。俺も危なかった」
連中に追われないためにマトリクスに潜って、情報を集めている面をあるとディーは率直に語った。
「殺されそうになったってこと?」
「いわゆる、
ベリアは静かにディーの話を聞いていたが、急に幽霊でも見たような顔をした。
「どうした? そんなにビビるような話か……」
「この
「ああ。シンガポールの自由地区はブラックアイスは非合法だから使っていないが」
「なら、あれはコスプレ?」
ディーが振り返る。
少女がいた。白髪に雪の結晶柄の着物を着て、シニヨンに雪の結晶模様の飾りの付いた簪を刺した少女だった。
マトリクスの幽霊だ。
目撃情報そのまま。
「嘘だろ……」
ディーの声が震えていた。
「お初にお目にかかります、アスタルト=バアル様」
マトリクスの幽霊はそう言って丁寧にお辞儀した。
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