喫茶店にて

……………………


 ──喫茶店にて



 車はTMCセクター13/6ゴミ溜めを出た。


 どこに向かっているか分からないが、景色も空気も良くなり、青空に天高く摩天楼が聳える神奈川県沿岸部──分かってるよ、TMCだ──が見えて来た。


 車は摩天楼の中に吸い込まれるように進み、あるビルの前で止まった。


「周囲を回っていろ」


 運転手にジェーン・ドウはそう言うと、東雲たちと車を降りた。


「TMCセクター4/2。分かるか。セクターの頭に付く数字が小さいほど、そこは金持ちのための場所ってことだ」


「じゃあ、千代田区千代田1-1は……」


「TMCセクター1/1。お前たちには一生縁のない場所だと思っておけ」


 ジェーン・ドウはそう言って、ビルの中に入っていった。


 ああ。喫茶店だと東雲は内装を見て気づいた。


 周りは背広の男たちやドレス姿──チャイナドレスは珍しくなかった──の女性たちがちらほらといて、確かに東雲たちの格好は浮いていた。


「予約を入れていた。暗証番号9827818。個室を」


「畏まりました」


 ジェーン・ドウが受付の女性にそう言うと、女性は東雲たちを喫茶店の個室というよく分からない場所に案内した。


 そして、個室には先客がいた。


「掃除をのたむ」


「了解」


 先客の男が何かの電子器具を手にして、東雲とベリアの体を探る。


「BCIは?」


「なしだ」


「なら、クリアです。皮膚植え込み型盗聴器も、バイオウェアもなし」


「結構。帰っていいぞ」


 ジェーン・ドウはそう言って先客の男を帰した。男は電子器具をスーツケースに仕舞い、そのまま何も言わずに出ていく。


「ここは」


 ジェーン・ドウが言う。


「安心して会話できる唯一の場所と言っていい」


 ここではワイヤレスBCI用の電波も遮断されているとジェーン・ドウはいう。


「ローテク野郎ども。座れ」


 そして、ジェーン・ドウが命じるのに東雲たちがマホガニーのテーブルに添えられた柔らかな革のソファーに座る。


「コーヒーを頼め。それからケーキはチーズケーキが美味いぞ。お勧めだ」


 ジェーン・ドウがそう言うのに、東雲とベリアが顔を見合わせる。


「奢りだ。この個室に座るだけでも800新円だぞ」


 そう言われて東雲とベリアはコーヒーとチーズケーキを頼んだ。


 ジェーン・ドウがベルを鳴らすとウェイターがやってきて、注文を取って立ち去っていった。それからコーヒーとチーズケーキが届く。


「ローテク野郎。これからも仕事ビズを続けたいか?」


「ああ。できることならば」


 ジェーン・ドウの質問に東雲がそう答える。


「それはジェーン・ドウの意味が分かった上での発言を受け取っていいんだな?」


「いや。名無しの権兵衛にそれ以上の意味があるのか?」


「はあ……」


 ジェーン・ドウは深くため息をついた。それも長く。


「これからも仕事ビズをするなら覚えておけ。ジェーン・ドウってのは企業工作員の別名だ。どの会社の企業工作員かは言わないが、馬鹿なことを考えるな。六大多国籍企業ヘックス相手に脅迫しようとした奴は、全員がこうだ」


 ジェーン・ドウは首を掻き切る仕草をする。


「俺様は企業の仕事を仲介している。お前たちの仕事ビズはどこかでどこかの企業の利益に繋がっていると思え」


 その分、しくじった時の制裁はデカいぞとジェーン・ドウが脅すように言う。


「なあ、気になるんだが、この国の警察はどうしちまったんだ……。銃声が鳴り響いてもパトカーの一台も来やしないじゃないか……」


「TMCは警察業務を大井統合安全保障OTSSに委任している。そして、大井統合安全保障は金にならないことはしない。TMCセクター13/6ゴミ溜めで銃声がした? 男が首を刎ねられて死んだ? だからなんだって話だ」


 ジェーン・ドウはそう言ってコーヒーに口を付ける。


「1杯600新円のコーヒーだぞ。味わって飲め、ローテク野郎」


 そう言われると飲むのが恐ろしくなってきた東雲だった。


「大井統合安全保障は金持ちの安全を守る。暴動、テロが起きればTMCセクター13/6ゴミ溜めでも行動するだろう。逆に金持ちに関係のない話なら、それで終わりだ。捜査も何も行われない」


「じゃあ、誰が治安を守ってるんだ?」


「犯罪組織さ。ヤクザ、チャイニーズマフィア、コリアンギャング。縄張りが決まってて、そこで不義理をしたらケジメを取らされるってだけの話だ」


 まあ、連中の六大多国籍企業の犬だがなとジェーン・ドウは肩をすくめる。


 ヤクザが治安を守ってるなんてどうかしてると東雲は思った。


 それから不義理をしたらケジメってなんだ? 俺の殺しは許されてるのか? そういう疑問が次々に浮かび上がってきて疑問で頭がいっぱいになる。


「深く考えるな。考える必要はない。連中は連中のルールで動くが、俺様たちは俺様たちのルールで動く。両者は平行線で、交わることはない。お前が馬鹿なことをしなければな、ローテク野郎」


「ローテク野郎っていうの止めてくれないか……。こっちには名前がある」


「正規IDの名前か? 今、お前の名前が何て名前で総務省のデータベースに記録されているか分かっているのか? 分かってないなら、お前はローテク野郎だ」


 言い返せない。自分の名前すら、ここでは自由に名乗れないのだ。


「いいか、ローテク野郎。このTMCには殺し屋は腐るほどいる。賢いのから、間抜けなのまでいろいろだ。俺様は間抜けな殺し屋に用はない。賢い殺し屋を飼っておきたいと思っている」


 そのジェーン・ドウの話を東雲は黙って聞く。


「ローテク野郎。賢く振るまえ。まずどっちかがBCI手術をなるだけ早く受けろ。なるべく稼げる仕事ビズを回してやる」


「どうして俺たちなんだ? 殺し屋は腐るほどいるんだろう?」


「賢い殺し屋は大抵犯罪組織が飼ってる。完全なフリーランスで経験豊富となると、どこのジェーン・ドウやジョン・ドウと繋がっているか分からない。その点、お前たちは殺し屋になったのは最近で、腕がいい」


「ふうむ。なるほどね」


 東雲たちは腕を買われているということだろうが、ジェーン・ドウのいい方はいちいち嫌味っぽくて素直に受け取れない。


「これからも飼い続けて、仕事ビズを回すかはこれからのいくつかの仕事次第だ。そのうちデカい仕事でテストする。それまでは安全性を確かめさせてもらう」


「腕についてはもう心配してないのか……」


「お前ならフル武装のサイバーサムライだって殺せるだろうよ」


 サイバーサムライってのはそんなに物騒な代物なのか? 東雲は不思議だった。


「腕は心配してない。だが、安全性は徐々にチェック中だ。裏で他所の企業のジェーン・ドウやジョン・ドウと繋がってないかを、な」


 そう言ってジェーン・ドウはコーヒーを味わう。


「そこで仕事ビズだ。受けるか?」


「目標は?」


「今回は強奪だ。アトランティス・ランドシステムズが開発中の新型半生体兵器の組織情報が欲しい。これから六大多国籍企業の間で、日本陸軍向けの半生体兵器のコンペがある。それまでに情報が欲しい」


「じゃあ。あんたはアトランティスって会社の人間じゃないんだな」


「そう考えるのは早計だぞ。自社のセキュリティを確認するのに、お前みたいな非合法傭兵を雇うことがないわけじゃない。俺様はアトランティスの人間かもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 ああいえばこういうとは言ったものだと東雲は少しばかり呆れた。


「大規模な警備部隊相手の戦闘になるかもしれないが、それは心配してない。お前の腕前なら民間軍事会社PMSCの連中くらいどうにかなるだろう。だが、足が不足してるだろう?」


「確かにな。今までは短距離だったからよかったが」


「足は俺様が準備しておいてやる。ただし、お土産パッケージについては何ひとつ喋るな。何を聞かれても無視しろ。そして、終わったら──」


 ジェーン・ドウが首を掻っ捌くジェスチャーを再び示す。


「お喋りできないようにしおけ。そいつは使い捨てディスポーザブルの駒だ」


「了解。詳細と報酬についてだが」


「7000新円。IDの偽装と足代を差し引いて5000新円。BCI手術、受ける気になったら言え。クリニックを斡旋してやる。それからサイバーデッキを買う時は相談しろ」


 そう言ってジェーン・ドウは席を立ち、東雲たちも後に続いて喫茶店を出た。


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