非合法傭兵

……………………


 ──非合法傭兵



 東雲とベリアが海宮市シティビルの屋上でうなだれていたときだった。


「おい。お前ら」


 それが自分たちに向けられた言葉と判断するまえに東雲たちは時間を要した。


「なんだ?」


 声をかけてきてのは褐色の肌に真っ白ながら艶やかな髪。そして、その女性らしらに溢れる肉体を白と青のチャイナドレスで包んだ女性だった。


 口紅も、アイシャドーも、ネイルも本紫で暗めな印象のする女性だ。


「金と市民権、欲しいんだろう?」


「……ああ」


 金はないし、市民IDとやらもない。


 今はとにかくこのふたつが必要だ。


 そうしてなければ、今日の夜を過ごす場所も手に入らないだろう。


「たっだら、仕事ビズをやりな。そうすれば俺様が金を払ってやる」


「随分と親切な申し出だな?」


 いきなり会った人間の言葉とは思えない。


「ついさっき電子ドラッグジャンキーとやり合っていただろう? その時の様子を見せてもらった。合格だ。サイバーサムライだとしても、そうでないしても、ストリートでやって行く分には十分だ」


 女はそう言って艶かしげに唇を紫色のネイルの指でなぞる。


「やる気はあるか? あるなら仕事ビズを早速斡旋してやる」


「どんな仕事ビズだ?」


「阿呆か、お前。剣で斬ったり、突いたりするのを見て、斡旋する仕事なんてひとつだろう。そう──」


 女が告げる。


「殺しだ」


 異世界では大勢を殺した。それが戦争だったから。


 戦争で相手を殺すのは当然だ。悪いことではない。相手も自分たちを殺そうとしてくるのにこちらだけ何もしないわけにはいかない。


 だが、戦争でもないのに人を殺すのはどうなのだ?


 確かに既に東雲は電子ドラッグジャンキーとやらを殺した。あれは正当防衛だ。


 しかし、この変わり果てた世界で生きていくためには金と身分が必要なのは明らかだ。そうしなければ生きていけない。


 そうだ。せっかく生き延びるためにこの世界に戻ってきたのに、死んでしまっては何の意味もない。


「オーケー。引き受ける。あんたは?」


「ジェーン・ドウ。それ以上のことは知らなくていい」


 名無しの権兵衛とは、これはまたと東雲は思う。


「さて、最初の仕事ビズだ。AR拡張現実デバイスは? BCI手術は?」


「どっちもなし」


「ちっ。面倒臭え。これをやるから使え」


 そう言って渡されたのはコンタクトレンズのケースだった。


 中のコンタクトを手に取り、目に嵌める。


 すると、『STAND BY』という文字が浮かび上がり、それから『AR-ViSiON』という文字が表示され、これまで何もなかった空間に文字や映像が映り上がり始めた。


「これは……」


「ARは初めてか? すぐに慣れろ。仕事で必要になる」


 そう言ってジェーン・ドウは彼女の手元にあるファイルを東雲に投げてよこした。もちろん、実際に投げたわけではない。AR上の作業だ。


 ファイルは東雲の眼前で展開され、半透明なスクリーン上に顔写真と人物像プロファイルが表示される。


 男は非合法なハッカーと情報屋を兼業している。疑り深い性格で、マトリクス上で捕まえることは、男自身の多数のアイスのために不可能。


 現実世界でも居場所を点々としているが、客と会う時には客の素性を探ってから、コーヒーショップで会う。


 電子ドラッグなどは不使用。ハッキングそのものが商売であり、趣味だと思われる。


 そう記されていた。


 マトリクスやアイスといった言葉は意味不明だったが、要はこの男を殺せと言うことかというように東雲はジェーン・ドウを見る。


「そいつを殺してこい。そうしたら3000新円やる」


「その新円っての昔の通貨で言うといくらなんだい?」


「1新円=100円だ。お前らは口座が持てないだろうから、金を詰めたチップを渡す。昔で言うところの小切手みたいなものだ」


 小切手なんて貰ったことも使ったこともないと東雲は思った。


「さあ、さっさと殺してこないと今日は突然変異ミュータントのドブネズミと一緒に下水で眠ることになるぞ。まともなねぐらと飯が欲しかったら、殺ってこい」


「了解」


 そう言って、東雲たちはエレベーターで降りようとして止まった。


「もう一度あんたに会う時は?」


「俺様から出向く。心配するな。報酬を渡さないと言うことはない」


 ジェーン・ドウはそう言って手を振った。


 東雲たちはエレベーターで地上に降りる。


「どうやってこいつを探すか、だな」


「私の使い魔に探させようか?」


「頼む」


 異世界なら精霊に尋ねるということもできたが、この地球は精霊の力が微弱にしか感じられない。いるのだろうが、あいまいになっている。


 その点、使い魔はどのような状況だろうと使える。


 ただし、それなりの魔力のある人間にしか使い魔は従わない。


「“黒き影の使者に命ずる。我らが探し求めるものを探り当て、捕えよ”」


 ベリアの影から2つの影が分かれ、それが地上を這い回りながら海宮市を探っていく。


「……捕えた。ここから10キロほど離れた地点にいる。これを知ってたから、私たちに依頼したのかな?」


「どうだっていい。殺せば、30万だ。寝て、食ってするには十分な金だろ?」


「それもそうだ。先立つものがなくちゃ」


 ベリアを連れて東雲は目標に迫る。目標はなおも移動中で、かなり用心しながら進んでいるようであるとのことだった。


「かなり神経質に周囲を見渡している。狙われているのが分かっているみたい」


「現に殺し屋が迫ってるからな」


 しかし、勇者から殺し屋とはと東雲は思う。


 勇者として戦っていたときにはいろいろな信念もあったが、今となっては無駄なものだ。この変わり果てた世界で生きていくためには、殺して、金を貰って、そうやって生きていくしかない。


「目標間もなく」


「ここからは俺だけで突っ込む。ベリアは目標を使い魔で指示してくれ」


「了解」


 身体能力強化を限界まで行使する。


 身体能力強化は東雲の得意技だった。他の魔術はあまり上手く使えなかったが、身体能力強化だけは完全に会得したと言っていい。


 これのおかげであの魂が衰弱していく中でも生きていけたのだから、今となっては師匠にしごかれたのもいい思い出だ。


 道路を走る車に近い速度まで加速し、強化された感覚系で目標の姿を捕えた。


 遠方、人混みから離れた位置にいる。


 東雲は魔剣“月光”を抜き、構えた。


 男が東雲の姿に気づいたときには既に遅かった。


 月光の刃は男の首を刎ね飛ばし、鮮血が吹き上げる。


 東雲はその血を浴びることなく、そのまま“月光”を格納し、走り抜けていった。


 あの男がどうして命を狙われることになったのか。


 それについて理解しようとしても無駄だ。こういう時は何も考えない方がいい。人殺しにせよ、魔族殺しにせよ、深く考えると心の傷になる。


 そう、ただの仕事ビズだ。ビジネス。殺して、対価を得る。


 焼き肉を食べるときに肉になった家畜をどうやって殺したのか考えないのと同じ。


 東雲は走り抜けて、人混みに紛れ、それからベリアの下に戻る。


「終わった」


「早速来てるよ、ジェーン・ドウ」


 ジェーン・ドウは一部始終を観察していたかのようにもうそこにいた。


「3000新円。これから偽装IDの手数料を引いて2000新円だ。ほらよ」


 やはり渡されたのはマイクロSDカードに似たものだった。


「偽装IDは定期的に変えろ。そのための仕事は斡旋し続けてやる。お前たちは今日から非合法傭兵だ。望むと、望まざると」


「お互いにあくまで仕事ビズの関係って訳だな。このコンタクトレンズは返した方がいいのか?」


「そのままでいい。こっちとしてはいちいち記録に残したくないデータを紙媒体なんぞにしたかないからな」


 そう言った時には既に東雲のARから目標のデータは消えていた。


「それからさっさと金貯めてBCI手術を受けろ。ローテク相手だと苦労するし、斡旋できる仕事も限られる。今どきBCI手術を受けてないってのは宗教上の理由ぐらいのものだ。そう言う人間だと思われちまうぞ……」


「BCI手術?」


BブレインCコンピューターIインターフェイス手術。要は脳みそを直接コンピューターに繋いでマトリクスにダイブするための手術さ」


 そう言ってジェーン・ドウは白い髪をかき上げ、フラッシュドライブのようなものが刺さった首の後ろを見せる。


「うげっ! 無理無理! 絶対無理! スマホですら扱えなかったんだぞ!」


「はあ? スマホ? いつの時代の人間だよ。しっかり働けよ、ローテクども」


 そう言ってジェーン・ドウは去った。


「あれ、私興味あるな」


「マジかよ。イカれてるぜ」


 東雲たちはとりあえず当座を凌ぐ金を手に入れた。


 それからIDも。


……………………

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