第13話 モーリスお兄ちゃん

「ところで、レイラ様は明日、薬学室へ行かれるのですか?」

「……そうですわね、行きたくはないけれど、このまま放っておくわけにもいきませんし。にしても、毒なんて何処で調達するつもりなのかしら? 彼女が、毒の精製が出来るほどの頭を持っているとは到底思えないのだけれど……」

「それなら一つ心あたりが。実はこの所、エマ様は素行の悪い先輩方と一緒にいる事が多いんです。その内の一人が薬学の授業で上位の成績を修める2年生らしいので……もしかしたら、そこからかもしれません。薬が欲しくなったら融通してあげるわって、エマ様が自慢げに話してましたし。」

「2年生……ありえますわね。」


 となると、その2年生の実力を知りたい所。

 生成できる毒の精度によっては、そう危険はないかもしれない。

 というより、そう思いたい。


「あの……私は何かするべきなのでしょうか?」


 シルヴィがおずおずと伺いを立てて来る。

 言いながらも全身から、何もしたくない、関わりたくないというオーラがにじみ出ていた。


「厄介ごとに無理に首を突っ込む必要はありませんわ。 だから、あなたがすべきと思ったことをしたらいかがです? 私は抗う選択をしましたが、逃げたければ逃げてもいいと思います。全ては、シルヴィ様のお心しだいでしょう。」


 少し冷たいかもしれないが、今のレイラは自分事で精一杯。

 生きるか死ぬかの瀬戸際で、他人の面倒を見てあげる余裕などないのだ。


「それではシルヴィ様、私はこれからやることがありますので、失礼しますね。」

「あ……はい。」


 折角味方が出来たのだ。

 シルヴィはきっと色々喋りたかっただろう。

 けれど、レイラには時間がない。

 だから、「くーん」と鳴いている子犬のように、名残惜しそうな顔をしているシルヴィには気づかぬふりをし、一方的に別れを告げて、レイラは教室を後にした。




 ☆☆☆




 授業が終わり、帰りの支度を済ませたレイラは、学園から帰路につく人の流れをじっと見つめながら、待ち人が来るのを待っていた。

 とはいえ、待ち合わせをしているわけでも無かったから、目を凝らせて今か今かとその時を待つ。

 そして、人を見るのにもほとほと飽きて来た頃、ようやく現れた待ち人に、声をかけた。


「モーリス様!」

「やぁ、レイラ。学園で話しかけて来るなんて珍しいね。何かあったの?」

「あの、少々お尋ねしたい事があるのですが。」

「構わないよ。じゃぁ、少し歩こうか。」


 レイラの様子に、何を察したか道を逸れて人気のない場所へと移動してくれる。

 さりげないエスコートが完璧で、男性経験の少ないレイラは思わずドキリとしてしまった。


「それで? いったい何の話かな?」

「モーリス様は薬学を専攻されていましたよね?」

「あぁ。ティロル領では、良い薬草が採れるからね。もしかしてまだ、体調が悪い?」

「あ、いいえ。そうではなくて……」


 シルヴィの話から、同じく2年生で薬学を専攻しているモーリスから話を聞けば何か分かるかもと話しかけたはいいが、さて、何をどう聞いていこうか。


 素行の悪い生徒がいませんか?

 毒薬の生成が上手い方を知りませんか?

 学園で致死毒は学びますか?


 …どれも、失礼だし怪しさ抜群だ。


 レイラが言葉に戸惑っていると、

 心当たりがあったらしいモーリスが肩を落とした。


「もしかしてだけど、オサール伯爵令息……ニコラの事なんじゃないかな?」

「え……?」

「まさか彼の素行は、もうドートリシュ公爵の耳にも入っているの?」


 意味が分からなくて、目を泳がせたレイラのそれをどう解釈したのか、

「やっぱりそうなんだね……」と、頭を抱え出すモーリス。

 

( オサール伯爵令息って……誰?)


 モーリスは何か勘違いをしているようだけれど、この言い方でオサール伯爵令息の素行が良いとは思えない。

 つまり彼は、探し人である可能性大だ。

 上手く話を合わせれば、情報を聞き出すことが出来るかもしれない。


「あ、いえ。父は関係ないのです。ただ、よからぬ噂を聞いてしまって……事と次第では、父に報告することも考えてますが、今はまだ調査段階です。」

「よからぬ噂?」

「その……オサール伯爵令息様が、学園内で毒薬を売りさばいていると。実際に購入したと言っている1年生が居るようなんです。」

「!? そっか、既にそこまで行ってしまったんだね。」


 余程大切な人物だったのか、モーリスはガックリと肩を落としていた。


「あくまで噂です。まだ、一年生の方にも話が聞けてはいませんから。ただ、噂によれば、惚れ薬から致死毒まで、多岐にわたって扱っていらっしゃるという話で、そのような事が可能なのかをモーリス様にお伺いできたらと思いまして。私は薬学の事も、オサール伯爵令息の事も、よく存じ上げないので。」

「……誰でも出来る訳じゃない。けど、ニコラなら、出来ると思うよ。彼は、優秀だったから。」


 モーリスは、寂しそうに小さくつぶやいた。


 ゲームには登場しなかったキャラクター。

 ニコラ・オサール伯爵令息は、薬学の才に恵まれた、モーリスの友人だったそう。

 少し前までは、モーリスと共に真面目に薬学において切磋琢磨していたニコラは、ある時急に態度を急変させて、素行の悪い人間とつきあい始めたのだという。

 

「ニコラは努力家でね、幼少期から薬学を学んで来た僕にも直ぐに追いついて、学年の1位と2位を争うような間柄ライバルになった。凄く優秀で、彼から学ぶことも多くあった。真っ直ぐで気さくな良い奴だったんだけど……。今のニコラならば、薬の売人をしていても驚かない。それくらい、急に道を外れたんだ。人の為に薬学を極めたいって言ってたのに、毒薬の研究に精を出し始めてさ。」


 どこか遠くを見ながら、「どうしてこうなっちゃったんだろうね……」と、誰に言うでもない問いかけをつぶやくモーリスに、居たたまれなさを感じて、気づけばレイラは謝罪の言葉を口にしていた。


( もし、シナリオ通りに事が進んでいれば、ニコラがエマに関わることはなかったかもしれないのに……)


 そんな想いが、心の奥に突き刺さった。


「どうしてレイラが謝るの? そういう選択をしたのはニコラ自身だ。彼が道を外したのだとしたら、それはニコラの心が、悪の囁きに耐えきれなかっただけ。そして、僕はそんな彼の本質を見抜けなかっただけさ。」

「…………。」

「でも、ま、調査段階だと言っていたよね?」

「はい。あくまでも噂の調査を私個人でしています。杞憂で終わればいいなと思ったんですけど……」

「なら、その調査、僕も混ぜてくれないかな?」

「え?」

「ニコラがおかしくなったのには気づいていた。でも、僕は忙しさを理由に彼と向き合うのを諦めた。もしかしたら、何か理由があるのかもしれないのに、それを訊ねる事をしなかった。僕も知りたいんだ。ニコラ友人が道を外れた理由を。」

「モーリス様……分かりました。では、私は毒を購入したという噂の1年生に話を聞いてみますので、オサール伯爵令息様のことを、お願いしても良いでしょうか?」

「ありがとう。任せて。」


 調査というのは口車でしかなかったけれど、こうなったら調査自体を本当にしてしまうのもいいかもしれない。

 噂の一年生エマには明日会うのだし、それも調査の一環という事にすれば筋は通る。


「あ、それとこれは念のためにお聞きするんですけれど、モーリス様は、少量で即効性のある、体内に残りにくい毒は作れますか?」

「嫌な質問だね、レイラ。でも、良い質問だ。…作れるよ。流石に致死毒とは行かないだろうけど、嫌いな奴を家に返して二度と学園に来たく無くなるくらいの物は作れると思う。机上の空論だけなら、学園で何かあった場合、様々な利権が絡んで調査が入るのには時間がかかるから、体内から毒の証拠を消すのはそう難しくない。なんなら、薬も用意して、どさくさに紛れて使用して、相殺することも可能だよ。ま、相当うまくやらないとだから、現実的ではないけどね。」


 そういえば、ゲームでのアルレットも同じようなことを言っていた。


 人気の無い場所で毒を盛り、それを処分さえしてしまえば、そこに転がった人間の死因など誰も分かりはしないのだと。


 それは、アルレットが作り出す毒が高度すぎたのもあるけれど、学園の構造を知り尽くし、その穴をつけば、現状でも毒殺は不可能な事ではないらしい。


( ……まさか、本当に服毒なんてしないわよね……?)


 否、あのエマならする気がする。

 あの人は、イベントを起こすことに命を懸けている。


 強い信念を持って、何かを成し得ようとする人間を止める方法は、同等以上の信念を持ってぶつかる以外にない。


( そんな信念、私に持てるかしら?)


 そもそも、エマがトンでも人間なせいで、何の為に、頭を痛めているのか分からなくなる時がある。

 だけど、その度に父の姿や、アルレットの姿を思い起こし、

 賢明に運命に抗って来た2人の未来を、自分が奪ってはいけないのだと自分を奮い立たせてきたのだ。

 

 だけど、時々全てを投げ捨ててしまいたくなる。

 何で悪役令嬢なんかに生まれてしまったのか、運命を呪いたくなる。


「レイラ? 大丈夫かい?」

「あ、すみません。少し考え事を。」

「根詰めすぎたら駄目だよ。今日は調査、まだ続けるの?」

「そうですね…モーリス様がお手伝い下さるとの事ですから今日はもう帰ろうかと思います。」


 聞きたいことはもう聞けた。

 後は、レイラの決意しだい。


( 早く帰って、策に頭をひねりながら明日に備えましょう。きっと何の策も思い浮かばないだろうけれどね。)


 なんて考えて別れの挨拶をしようとすると、それを遮り、意外にもモーリスの方から誘いがかかった。


「なら、これから家に来ない?」

「モーリス様のお屋敷にですか?」

「そう。前は良く来てたでしょ。うちの使用人たちはレイラが大好きだからね。皆喜ぶよ。それに実はね、レイラの好きそうな菓子を見つけたんだよね。レイラ、最近異国の豆料理に興味があるんだろう?」

「な、なぜそれを・・・?」

「アルレット嬢から聞いたんだ。それでね、羊羹とかいう黒い塊なんだけど……その話をしたら、レイラはきっと気に入るって。」

「羊羹!?」

「今は、面倒なお守りもしなくていいからね。たまにはレイラとゆっくり話がしたい。先日は迷惑もかけてしまったし、お詫びの意味も込めて。駄目かな?」

「駄目ということは……。(羊羹たべたいですし。)」

「良かった。」


 レイラの答えに、モーリスが嬉しそうに微笑む。

 なんだか、久しくこんなモーリスの顔を見ていなかった。

 小さい頃は、「モーリスお兄ちゃん!」なんて追いかけ回していたモーリスも、今はすっかりエドモント側近になってしまったから、エドモントと徹底的に距離を置いてきたレイラは、自然とモーリスとも距離をとるようになってしまっていたのだ。


 そこから、モーリスが様々な手配を行ってくれ、あれよあれよという間に、レイラはモーリスの屋敷へ到着した。

 その手腕は一切の無駄がなく、「将来有望だなぁ」と改めてモーリスの凄さを目の当たりにしたレイラだった。


 正直、そんな気分ではまるでなかったけれど、久しぶりに訪れたモーリスの屋敷面々には見知った顔も多くいて、本当に皆が大歓迎でレイラを迎えてくれたので、とても穏やかな時を過ごすことができた。


 羊羹も美味しくいただいた。

 流石に抹茶はないから、紅茶のお供だったけど。

 肩の力が抜けて、良い息抜きとなる時間だった。


「少しは気分が晴れたかな? 大分思いつめた顔をしていたから。」

「モーリス様には何でもお見通しですね。」

「ずっと見ているからね。…レイラ、あまり一人で抱え込みすぎては駄目だよ。君は昔から頑張りすぎる節があるから。」

「はい。ありがとうございます。モーリス様。」


 わざわざ家まで送り届けてくれたモーリスは、昔と変わらず温かな言葉でレイラを包んでくれる。


 それが嬉しくて、自然とレイラの気持ちが固まっていく。


( イベントなんてくだらない物に、人の人生が崩されて良い訳ありませんわ!!)


 部屋に戻ったレイラは、一人静かに気合いを入れて、明日のエマとの対峙に備えるのであった。


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