13 迫崎家で

*あと少しのところで足踏みしています



 

 転勤が決まってすぐ、両親と義兄には電話で伝えた。両親はとても驚いていたが、赴任地を聞いた母親は『遊びに行かなくちゃ』と言い出した。近いうちに遊びに来るだろうな。


 義兄は『何かやらかしたのか?』と聞いてきた。鋭いなー。まあ、当たってると伝えた。義兄は詳しいことは聞かず、何かあれば力になると言ってくれた。ありがたい。


 俺の転勤は、表向きは支社の急な欠員に対応する為だが、『大勢の社員の前で発した女性への性的暴言』に対しての懲罰異動なのだと理解している。うちの会社はここ数年、この手の異動がたまにあるのだ。


 驚いたことに、俺の辞令と同時にメス豚も来月から子会社へ異動するらしい。

 気の毒だな…子会社の人たちが。


 漏れてきた噂によると、彼女は取引先から『社員への逆セクハラ』を訴えられたとか。

 社外の人間にまで…クソだな。


 俺の発言は間違いなく暴言だが、俺に共感し支持する人が一定数いたからなのか、評価してくれる上司のおかげか。単に彼女の行動が問題ありと判断されただけなのか。

 俺の転勤は出向扱いで数年後に本社に戻ることになっている。が、彼女のそれは一方通行で、言うなれば厄介払いだ。

 メス豚は異動する前に辞めるんじゃないかと、賭けの対象にされている。


 辞令から正式な着任までわずか10日ほどしかなく、文字どおり目がまわるような慌ただしさだった。

 仕事の引き継ぎと挨拶まわり、夜は送別会。家では引っ越しの荷造りに追われ、あっという間に本社勤務最後の日となった。


 昼食のあと、挨拶まわりの最後の訪問先である迫崎家のマンションに向かった。俺の代わりに、山川先輩が後任を引き受けてくれた。


「あっという間だな。今夜はホテル泊まって、明日の…何時だっけ? 新幹線」


「9時です」


「昼前に支社に着けるな。佐竹が見送り行くってよ。何年くらいでこっち戻れんだっけ?」


「部長からは3年から5年って言われました」


「早く戻ってこいよ」





 俺が引っ越すことを、まだショウに伝えていない。知ったところで転勤がなくなるわけでもないし、落ち着いた頃に伝えようと思っている。


 駅のホームで別れたあと会っていないが、数日おきにLINEを送ってくる。

『元気?』

『待ってて』

『早く会いたい』


 いつまで待つんだろう。簡単ではないと思っているけど、意外とすぐだったりして。でも、東京にいなくてごめんな。

 あいつのことだから仙台まで来るかもな。でも、遠いよな。


 高校生にとって、いつでも会えるってのは付き合いを続ける上で大事なポイントだと思う。会えない時間が長くなると、気持ちが続かない。

 たとえビデオ通話で顔を見て話ができたとしても、時々存在を手で確かめることが必要だと思う。それができないとなると…。


 努力とか、そういう問題じゃないと思う。少しずつ疎遠になって自然消滅する予感がする。

 心構えだけはしておかないと。







「音成さん、新天地でのご活躍をお祈りいたします」


「ご丁寧に、ありがとうございます」


 迫崎家には奥さんしかいなかった。平日だしな。

 扱いづらい相手だったけど、やっぱり引き渡しまで担当したかったな。


 山川先輩を紹介して簡単な引き継ぎを終え、玄関を出ようとした。

 その時。

 ガチャッ、と突然玄関ドアが勢いよく開いた。

 開けた本人は人がいると思わなかったらしく、驚いた様子でピタリと足を止めた。


「ああ翔陽。おかえりなさい」


 見覚えのある黒いリュックを手にドアの前に立つ学ラン姿の高校生…わずかに幼さを残した顔は誰よりもよく知っている。


「ショウ…」


 驚きが声とともに溢れた。横で先輩がピクリと反応した。

 え? どういうこと? 今、翔陽って言った?

 迫崎翔陽? え? 

 お前、迫崎さんの息子なのか?


 俺は、目の前で仁王立ちするその姿を呆然と見つめた。

 俺に気づいたショウ…翔陽は、ハッと息を呑み込んだあと気まずそうに目を逸らした。

 隠していたことがまたひとつ俺にバレたようだ。


「音成さんね、仙台に転勤なさるんですって。後任の方を連れて来られたの。ほら、ご挨拶して」


「え? 転勤?」


 翔陽は母親の言葉に困惑の声を上げた。聞いてない、と問い詰めるように俺を見た。眉を寄せて睨みながら無言で非難した。

 黙ってそれを受け止めた。


 勘のいい先輩は、俺の様子と場の状況から全てを理解したようだ。翔陽に半歩近づき、にっこりと営業スマイルを浮かべた。


「こんにちは。後任の山川です。よろしくお願いします」


 その声は明るく弾むようで、間違いなく面白がっている。翔陽はチラリと視線を向けただけだった。


「翔陽。もうお帰りになるの。そこにいたら邪魔、通れないでしょ」


「あ、」


 翔陽はドアノブを握ったまま後ろに下がって場所を開けた。


 俺は最後の挨拶もそこそこに、翔陽の隣をすり抜けた。猛烈にこの場から逃げたくなって、エレベーターではなく階段に向かった。

 後ろで『ナルさん!』と呼ぶ声が聞こえたが、立ち止まらず階段を駆け降りた。






 マンションを離れ、ゆっくり歩くうちに思考がだんだんクリアになっていった。

 歩道に沿って植えられた常緑の街路樹の葉が風に揺れている。そよそよと吹く風に首筋を撫でられヒヤリとした。

 うっすら汗をかいていたらしい。


 俯いて歩いていた俺は、バスが発車する音に顔を上げた。目の前に小さなバス停と、もとの色がわからないくらい色褪せたベンチがポツンと置いてあった。 

 そこに腰を下ろして深く座り、背もたれに体を預けて目を閉じた。


 あいつ、転勤のこと知って憮然としてたな。聞いてないって顔してた。怒ってたな、当然かー。

 俺、なんで逃げたんだろう。逃げる理由なんかないのにな。

 あいつが迫崎さん家の息子で、何か困ることあるか? 少なくとも俺にはない、な。驚いたけど、不都合は何もない。

 迫崎家に息子がいるのは知っていた。顔は…覚えてない。

 遠目にメガネをかけた顔は見たことあるな。


『父がすみません…』


 迫崎さんに紅茶を投げつけられたことを思い出した。息慌ててタオル持ってきてくれたのは息子だった。着替えにシャツも貸してくれた。


 そっかー。あれ、ショウだったんだな。でも、やっぱり顔は思い出せない。

 そっかー。だから言えなかったのか。父親に反発してたし。


 『ORERA』経由で出会った時、あいつ初めから俺に気づいていたんだろうか。うーん…わからんな。

 まあでも。

 偶然でも偶然じゃなくても、今さらだ。

 次会ったら『隠してること残さず全部白状しろバカ』そう言って笑えばいい。


 




「ナルさん! ナルさん、待って…」


 翔陽は音成を追いかけようと慌てて階段に向かった。が、山川に行く手を阻まれた。


「お前がショウくん? ふーん、そっか。なあ、ちょっと付き合えよ。いろいろ話そうぜ」


「……」


 翔陽は『何だよお前、』と言わんばかりの鋭い目つきで山川を睨んだ。が、音成のことを聞けるかもしれない、そう思い直して黙ってその後をついて行った。







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