第16話 常盤家の事情

 糸は自宅に帰ると、いつも家族と食卓を囲むダイニングテーブルに座り続けて父を待ち続けた。綾が塾から帰宅して、京と夕食を取っていても糸は箸を取らず父を待ち続ける。


 夜10時ごろようやく疲れ切った顔をした照が帰って来た。

「お父さん……いや常盤照。あんたに話がある」

 照を見据える糸の瞳の意味に気がついたのか、照はスーツを脱がず、そのまま席に座った。


「全部思い出したか——」

 京からビール缶を受け取り、プルトップを開けると気持ちのいい音が鳴った。

「俺の名前はカナリア『久遠の蟬』の一員だった。そして俺は匿われている」

 照はビールを飲みながら聞いていた。缶から口を離して口元に付いている泡を手で取る。


「その通りだよ、糸は俺と京の間に産まれた子どもじゃない」

 糸は九条と大垣の犠牲の上で生き残った。爆発の衝撃で記憶を失いその間、常盤家の長男として身元を保証されている。


「ネットニュースでは未成年の子供も犠牲になったと言っていた。だけどその人物の条件に当てはまるのは俺だけだ。だからあれは『久遠の蟬』の一員にカナリアは死んだと思わせるためにメディア操作でもしたんだろ」


 もし『久遠の蟬』にカナリアがまだ生きていると知られれば間違いなく命を狙いに来る。だから犠牲者を3人と報道して死んだと思わせている。


「ネットニュースも見たのか。だからスマートフォンは渡したくなかったんだ」

 照はため息をつくと、またビールを飲み始める。

「何故俺を匿うんだ」

 カナリアを死んだことにするのは警察の賢い策だとしても、常盤家に保護されているのかが納得がいかない。


 その理由を知っているのは糸を匿う常盤家にあるはずなのはもう明らかだ、それは妹の綾でさえ事情を知っているのかいつの間にかテーブルにいた。

「——死んだ九条と俺は警察学校の同期で同じ釜の飯を食った仲だ、九条は死ぬ前、お前に言ったんだろ『罪を償って新しい人生を送れと』だから俺は約束を果たしている」


 九条の想いを汲んで糸は生かされている。そう知った時頭の中が真っ白になった。

「——どうして」

 言葉が続かない。

 自分は犯罪者だ。今まで多くの人を傷つけて、殺すこともあった。それだけじゃなく偽の爆弾と信じ込んでいたために安易に人質を金庫に監禁して、爆弾の処理に失敗した挙句、人質に重傷を負わせ、優秀な刑事とスポーツマンを殺してしまった。

 こんなに愚かな人間がいるだろうか、自覚するまで愚かな人間であることも忘れていた。


 生き残った挙句、捕まることなく、償うことなく平穏に暮らしている自分が許せない。

「はやく殺してくれよ! もうたくさんだ!」

 糸は悲痛な声を上げた。

「糸兄ちゃん……」

 隣にいる綾が慰めようと、手を伸ばすが糸は拒絶する。

「俺はお前の妹でもなんでもない、父さんや母さんなんていないし、この世で俺が生きていていい場所なんてないんだ! 家族ごっこでもさせようとここに連れきたのかよ!」


 照や京には事故で記憶を失ったと説明されていたが、そんな過去も家族も嘘だった。

 この気持ちを静める方法は自分が死ぬことだけ。


 すると照は勢いよく立ち上がり、テーブル越しにいる糸の首袖にまで手を伸ばして掴んだ。

 照と糸が目を合わせる。

「俺だってそうしたいさ! 九条が『久遠の蟬』のせいで死んだと知った時は、生き残っていたカナリアを殺してやりたかったよ」


 照が怒る表情を糸は始めてみた。

「ちょっと——お父さん!?」

 父親が子供の死を願ってしまった。綾は怖がって台所で糸と照の口論を黙って見守っている京の元へ逃げだす。


「俺は全部思い出したんだ! 今すぐ逮捕して警察に連れてけよ! そこでなんでもしゃべってやる。それであんたの聞きたいこと済んだら殺せ。ここにいるよりずっといい」

「ああ……そうするよ」


 照は糸の細い腕を掴み上げて立たせる。そのままダイニングを出て玄関に向かおうとした。

 リビングの扉の前に先程まで台所にいた京が立ちふさがった。


「照君、さっきビール飲んだでしょ? 車は乗っちゃだめですよ」

 こんな時に、そんな忠告をするのかと2人は耳を疑った。

「まだ一口しか飲んでない。どいてくれ京」

「嫌です」

 京はつんと照に目を背ける。しかし、退いて2人を行かせる気はない。

「じゃあ、いいタクシーを拾う。こんな犯罪者を家に置いておけない」


 バチッ——

 照の左頬に京の平手打ちが飛んだ。その瞬間を目撃した糸と綾は目を丸くする。

 その音を最後にしんと部屋が静まっている中「お風呂が焚けました」という機械音が静寂を破る。


「照君、少し落ち着いて」

 京は諫める様に照に申した。

「はい——」

 母が首を傾げ、笑みを浮かべると照はしゅんと体が縮まっているように糸は感じた。


「いいですか? 誰が何と言おうと糸はもう私と照君の息子です。かってに家を出ることは許しません。糸は記憶をいきなり取り戻して混乱しているだけなんです」


「そうかもしれないけど」

「どうしても警察に行くというのなら明日糸が自分の部屋を掃除して、学校に挨拶してから行きなさい」

「息子の旅立ちとは訳が——」


 バチッ——

 照の反論は2度目のビンタでかき消される。

「照君は熱いお風呂に入って頭を冷やしてきなさい」

「はい? はい」

 照は糸の腕を放すと左頬を手で押さえながらお風呂場に向かった。


 糸は一体何が起きたのかが分からなかった。糸の目からはいつも照の事を献身的に支える妻として見ていたが、そんな立場が逆転していた。

 京は糸の前に立つ。

「今日は疲れたでしょ? 自分の部屋でゆっくりと休みなさい」

「必要ない——1人でも警察に——」

 途中で見上げるとそこには母の笑顔があった。


「警察に?」糸目で笑っているが、底知れぬ恐怖を感じた。

「なんでもないです」糸は諦める。

 京は糸の頭を撫でた。


「照君は不器用だけどいろいろ考えて糸君を保護しているの。だから責めないでね」

 その手のひらは温かい。糸は金庫内で起きた爆発から生き残り病院で眼を覚ました時にもこうして京に頭を撫でられたことを思い出した。

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パステルボーイとネオンガール 七味こう @kousichimi

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