第14話 銀行強盗の日③

 糸と刑事以外の金庫にいる人間は全員糸が結束バンドで手首を前に縛った状態で金庫に連行して、金庫につくと勝手な事をされないように糸自身が足も縛り付けたためまともに動けない。


 人質は芋虫みたいに抵抗しながらどうにか脱出する手段を探っていた。


 糸は何度も銀行の見取り図や構造を見たから知っている。外から鍵を締められてしまったら中からは絶対に開かない。唯一の救いは金庫内に設置している監視カメラは故障中みたいで電源が灯っていなかった。時限爆弾にもカメラはついていないので奴らがここを監視する手段はない。コクバンが逃走完了まで金庫内を監視しているというのは不可能の様だ。そもそも爆発させる計画なら監視する必要なんてない。


「あんたのせいでこうなった」

「どうしてお前と一緒に死なないといけないんだ」

 金庫で人質として囚われていた人が騒ぎ始めた。

 怒りの矛先が銀行強盗の仲間だった糸に向かうことは当然である。


 だけどどうせこの中にいる連中は4分後に等しく死ぬだろう。強盗は去り、銀行内のラウンジにいる人質はここにいる奴らより自由であるが「変な動きをすれば金庫内にいる人は無事では済まない」と脅しているのだろうから、外からの助けは期待できない。


 この中では糸が一番若いが、女性や大学生など様々で10名以上はいる。

 コクバンに教えられたことを信じていたためアタッシュケースは偽の爆弾で警察が来るまでの時間稼ぎとしか思っていなかった。自分のミスで他人の命まで奪われようとしている。その罪の重さに胃の底から怒りが自分に対して湧いた。


 糸は騒いでいる人質の前で無抵抗に伏した。

「俺のせいでこうなった——突然事件に巻き込まれ、悔いはあるでしょう。俺を殺してからどうか死んでくれ、それなら少しは気が晴れるだろう」


 それが今思いつける糸にとっての罪滅ぼしで土下座をして頭を何度も床に叩きつける。床に糸の血痕がべたりとくっ付くと、彼を責める者はいなくなった。


「なあ、君は爆弾を解除できないのか?」

 そう糸に聞いたのはうつ伏せになっているが誰よりも力強い、生きる意志を持った目をした刑事だった。


 糸は這いつくばったままアタッシュケースまで目指すと、中身を観察してみる。

「いける……かもしれない。いままで見てきた」

 糸の考えが仲間にお見通しな様に、糸も仲間の事も分かっている。爆弾を作ったり、電子工作をするのはコクバンの仕事だ。そして何度か爆弾を制作している作業現場を見たこともあった。いつも標的の規模を綿密に計算して、標的を丁度殺せる量の火薬を用意する。今回も金庫内の大きさと人質の大体の数を計算して過不足ない容量の火薬を入れているみたいだ。コクバンは神経質で細かい。あらゆる制作物にこだわりがあるため、制作方法を変えたりはしない。


 それに、もしもの時の解除方法もちゃんと設定している。

 糸は刑事の方を振り向くと自信を持って頷いた。

「おい、待て! そいつにやらせていいのか? あんた刑事なんだろ。爆弾処理の方法は知らないのか」

 爆弾処理を仲間だった奴のしかも子供に触れされるのが納得いかない人質が駄々をこねる。


 すると刑事は撃たれた肩を手で押さえながら立ち上がった。

「俺は九条、刑事だけど爆弾は処理できない。どうせこのままだと死ぬんだ。だったらあいつにやらせるのが一番いい。もし少年が爆弾処理に失敗したら俺と少年が責任を持って爆弾の上に乗っかって肉の壁となる——」

 抑えていた手を下げて堂々と頭を下げる。糸は今会ったばかりの犯罪者の端くれにそこまで信頼するのかと耳を疑う。


 人質たちは九条の決断にここで争っていても仕方がないと糸に爆弾処理を託すことにして、万が一のために部屋の隅に寄った。

「おい、こっちに工具箱があるぞ」

 幸いなことに金庫には銀行が使っている工具箱が落ちていたようで人質の一人が気づいた。


 九条がそれを取りに行き糸の元へ急ぐ。箱の中身はペンチとドライバーが何本かあるだけであったが贅沢は言っていられない。

「やるしかない」

 糸は全神経を爆弾処理に集中させる。殴られた傷から血が出ているが、アドレナリンが出ているせいで痛みは感じない。むしろ高揚感で集中出来た。


 銅線をかき分けて緑色の電子制御盤が露わになる。迷路のようなその装置に狼狽えるが、糸はコクバンから教わったことを冷静に思い出して応用し始める。

「まずはセーフティーを解除してマニュアルにする……ここは直接のトリガーになっているから最後か……」


 ぶつぶつと呟きながら不要な銅線は躊躇なくぶった切り、ドライバーで部品を解除していく。どうしてもコテがないと制御盤は触れないが、それでも解除できそうだと丁寧に一つ一つのタスクを解除していった。


 早くも残り1分30秒を残して最後の解除作業に入った。

「どうしてこんなことをするんだ——」

 糸に待ち受けていた最後の試練は手では絶対に取り出せない。アタッシュケースの奥、火薬が収納されている部分に直接繋がっている赤と青の2つの銅線。


 火薬が厳重に収納されているケースの部分には『BB』と2文字が刻んであった。

「どうした?」

 作業の手が止まった糸が気になり九条が声を掛ける。

「最後に火薬庫と繋がる銅線を切ればいいはずだけど、何故か銅線が赤と青2本あるんだ……こんなの聞いてない! どっちを切ればいいんだ」


 解除作業は順調であったが、最後の最後で糸は焦り始めた。

「なんか昔見た映画みたいだ」

 糸の後ろで作業を見守っていた九条は呟いた。

「映画? なんだそれは」

「ここから出たら見てみろ。赤と青の銅線どちらかを切ればカウントダウンは止まる。しかし間違った方を選ぶと止まらないか、すぐに爆発する。まあ、映画だからたいていは——」


 どちらか正解を切ることが出来れば助かる。その情報だけを聞いた糸は再び集中する。

 コクバンは何かヒントを言っていなかったか——

 頭を抱えて思い出そうとするが、手掛かりがない。そうしているうちに時間は着実に減り残り1分となっていた。人質に意見を聞いている暇もない。これは自分で判断しなければともう一度2本の銅線に目を凝らす。


 そうか——

 何かを閃いた糸は赤い銅線の方にペンチを挟んだ。その時糸の頭に電撃が走る。

 これまでの経験上、電撃が駆け巡る時は嫌なことが起こる。これは物にもある程度は利用できた。能力は無事発動して赤を切れば失敗に終わる予感がした。

 頭に電流が巡ったままであったが、青い銅線にペンチを挟み込んだ。

 気持のいい、ペンチで銅線が切れる音が金庫に響く。


「これでどうだ——」


 ピッ——ピッ——ピッ——


「あれ——」

 カウントは止まらない。

 死神に心臓をわし掴みされたような不気味さが糸を襲った。

 体中から汗が吹き出し、自分の選択が間違いであったと痛感する。

「失敗した——」


 自分の選択のせいでみんなが死ぬことが決定した。糸は手を震わせペンチを落とした。

「映画じゃないよな、人生は。とりあえずはすぐに爆発するタイプじゃなくて良かった」

 糸が青い銅線を切った所を見ていた九条もやりきれない顔を隠せないが、ここまで頑張ってくれた糸を慰めようと背中を擦った。


「皆さんすいません。後50秒でこの爆弾は爆発します。皆さんできるだけこの爆弾から離れた所で体を寄せ合って祈りましょう。ペンがある人は今のうちに壁に最期のメッセージを残して下さい」

 九条は冷静にこの金庫で人質の人生が終わることを伝えると、皆はもう騒ぐことなく言う事を聞いた。


 糸はじっとカウントが進んでいる画面を見ていると、思い切り泣き出してしまった。疲労と痛みが急激に襲い、糸はうなだれる。

「よく頑張ったよお前は、人を救おうとする必死な気持ちが伝わった」

 そんな慰めは欲しくない。


「俺は誰も救えなかった。そもそも俺が組織から逃げようとしたせいでこうなったんだ」

「今まで大変だったみたいだな。名前はなんて言うんだ?」

「カナリア」

 泣きじゃくりながら名乗ると九条は笑った。

 どうして自分はこんな名前を付けられたのか。捨てられた自分が他の人に拾ってもらえれば間違いなく今よりもマシな人生を送れた。あのまま捨てられて死んだほうが少なくとも沢山の命を巻き添えにして死ぬことはなかったと悔やんでいた。


 俯いていた顔を上げて九条の顔を見ると覚悟を決めた顔をしていた。

「カナリア、お前はこの金庫から出て自由になりたいんだな! やり直したいんだな?」

 誰も殺さず生きる。それは糸が逃走計画を練っていた時にいつも頭の片隅にあった。しかしもうそれを願う資格はないと思っていた。

 糸はそう自覚していても九条のやさしさに負けて、頷いてしまう。


 九条は糸の体を抱えて、金庫の端で体を寄せ合う人質の所まで持っていくと、糸を放り投げた。

「もしカナリアが助かったら、罪を償って好きな人生を送れよ」

 投げつけられた糸が、九条を見た頃には既にアタッシュケースを包むように体を丸めていた。


「おい! ふざけるな!」

 自分が生きていていいはずがない。生き残れる確率はこの金庫にいる人間の中で一番低くていい。

 糸は自分の命を投げ出して他の命を守ろうとする姿に怒鳴った。

 いつだろうか、ドリルが「真面目は損をすることになる。くだらない」と呟いていた事を思い出した。その言葉に同意していたが、こんな損のさせ方があるだろうか。

 糸はなんとかアタッシュケースの所まで戻ろうとするが、体はとっくに限界を迎えていて這いつくばることも出来ない。


「カナリアだっけ? まだ子どもじゃねーか。こっちにいろよ」

 糸が動けないでいると抱き寄せ合っている人質の中から一人の男性が立ち上がる。九条よりもずっと体格のいい男は爆弾の元へ向かった。

「あんたまで、何をするんだ!」

「鍛えてきたから体には自信があるんだ。暴れているこいつをどうにか抑えていてくれ」


 男は九条の体に被さって、爆風が人質に及ばないための肉の防壁を強化した。

 その後の糸は自制が効かず、カウントダウンいっぱいまで泣き叫んでいた。人質たちは手首を拘束されながらも糸が爆弾に近づかないように必死で取り押さえている。


 人質に守られる感触を思い出しながら糸は意識を取り戻した。

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