第10話 甘い昼休み

 お昼休みに糸は校庭にあるハードルや球技用具がしまってある倉庫の中にいた。

 いつもは倉庫の外に背中を預けながら座り込んで昼食を食べているが、誰かが鍵を閉め忘れたりして中に入れる日はこうして狭くて暗い空間の中にいる。


 糸にとっては窓もない日も差さない倉庫の中が騒がしい学校にある唯一のオアシスだった。

 半開きになった倉庫の扉から差し込んでいる光を見つめていると夢を思い出す。

 その中で今日の夢は変であったと、ぽかんとしながら焼きそばパンを齧った。


「本当にあいつら強盗なんてしたのか——」

 夢の状況を考えれば車の中にいた男たちは銀行強盗をするグループの様で、まさに犯行直前といった感じだ。夢だと言うのに計画は具体的であるし、会話もキャラも濃かった。


 何より糸が一番気になったのはカナリアと呼ばれている少年の存在だった。あの少年はまだ小学生くらいの背格好なのに金髪で誰よりも異様な空気を放っている。

 気になっているが、彼がどんな顔をしているのか思い出せない。

「糸君いるの?」

 その時、半開きの扉から咲良が顔を覗かせていた。糸は驚いて腰をかけていたサッカーボール入れのかごから落ちそうになる。


「どしたの? こんなところで」

「それはこっちのセリフなんだけど——どうしてこんなところでご飯を食べているの?」

 倉庫の中はあまり清掃がされていないせいか、白線を引く時の石灰が混じった埃が空気中を漂っている。咲良は手でそれらを振り払いながら糸に近づいた。

「ここはなんか落ち着くんだよね」

 糸は埃まみれの空間の中でも構わずパンを頬張り続ける。

「でも、ここはご飯を食べる場所じゃないし、運動部の人たちにバレたら面倒だよ。糸君に用事があって来たの、一緒にご飯食べよう」

 咲良は運動部並みの活気を見せながら近づいてくる。

「一人にさせてく——」

 断ろうとした時、咲良はパンを持った糸の手を突如掴んで、外へと引っ張った。

 咲良の手を振り払う事も出来たが、抵抗の間にパンが落ちてしまいそうだったので糸は大人しく外に連行された。


 結局糸と咲良は倉庫を出て、中庭に置いてあるベンチで昼食を共にすることになった。

「糸君のお昼ご飯はそれだけ?」

「そうだけど」

 たいてい糸の昼ご飯は総菜パン一つだけである。それだけで十分であったし、余ったお金は学校の帰り道、小腹が空いたタイミングで買い食いするのが楽しみの一つだった。


「糸君、やせ型だもんね。仕方がない、私が作った栄養たっぷりのお弁当の中から一つあげましょう」

 一方咲良の膝の上に置かれたお弁当は、四角いアルミにたっぷりとごはんと彩色豊かなおかずが入っていた。咲良のその健康的で艶のある肌はこうした栄養管理の元完成されているのだと、思わずお弁当に興味をそそられたが、首を横に振る。


「つれないなあ」と咲良は落ち込んだ。

 糸が申し訳なさそうな顔をしている隙に咲良は箸を黄金色に輝く卵焼きに突き刺すと、ぽかんと開いた糸の口に押し込んだ。

「ンッ——」

 口に卵焼きを突っ込まれた糸は、もごもごとさせながら噛みしめる。

「美味しい——っていうか甘っ」

 糸は口元を手で押さえながら感激した。


 スイーツ専門店に出しても通用するかのような、こんな甘い卵焼きは生まれて初めてだ。だしの聞いた少し塩味のある常盤家の卵焼きとはまるで違うが、糸は今食べている方が圧倒的に好みの味である。


「お父さんはあんまりこの味が好きじゃないんだけど、喜んでもらえて良かった」

 糸の口の中に一度入った箸で咲良はひじきの煮つけを摘まんで食べ進める。

「そういえば用があるって俺の所にきたけど、どうしたの」

 お昼を食べ終え、思い出したように糸は聞いた。

「そうだった。昨日はありがとね。実は今日の放課後も私に付き合って欲しいんだけど空いているかな?」

 嫌な予感しか浮かばない。咲良はまた自分を渋谷の街にくりだしてヒーローごっこをするつもりだろうが、自分は一度だけど約束したはずだ。

「もうあんな変な衣装を着るつもりはないぞ」

 固い表情で糸は断った。


 すると咲良は、箸を持った手を小さく振る。

「本当は続けたいけど、糸君のその気持ちは分かってる。だからそんなお願いじゃないよ——今日はね、糸君と2人で映画館に行きたいと思って誘ったの」

「2人で?」

「そう——2人で——だめかな?」

 振る手はいつの間にか顔の赤くなった咲良自身を冷ますかのような方向になっている。

「映画か……それならまあいいか」

 緊張している咲良の誘いに、糸はあまりに素っ気なく答えた。


「——ホントに!? 昔のアクション映画がリバイバル上映されていて、それが見たいの。いいかな?」

「うん。昔の映画とかそれこそ見たことないから」

 記憶喪失である糸は昔見た映画も分からない。全部が新鮮であるし、昔見たことあるならそれとリンクして何かを思い出せるかもしれないと期待した。

「私は昔お父さんと観て好きになったんだけど、糸君も絶対気に入ると思うよ」


 それにクラスメイトの女の子と街を救うヒーローもどきになるよりも放課後に映画を観た方がはるかに健全である。

 これなら家族も何も言うまいと糸は安心した。

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