第7話 ノックアウト
糸は怒りが込められた目でも、威嚇する目でもなくただ相手の出方を伺う様な涼しい目をする。それを挑発と受け取った金髪男は糸に一発お見舞いさせようと、拳を握りしめ右腕を振りかざした。
糸と男は至近距離で立っていたため、そのストレートの威力も速度も十分ではない。だから、糸は正面から彼の拳を自分の手のひらで簡単に受け止める。
「あ?」糸に拳を掴まれた男は阿呆な声を上げた。
「そんなもんか」
その隙を見逃さなかった糸は、掴んだ拳をそのまま力任せに引っ張った。男は体勢を前に崩し、糸は倒れてくる男の体を左に躱しながら、自分の右足を、体勢を崩している最中の男の左ひざにめがけて思い切り踏みつけた。
「ッ——」
膝に糸の鋭い蹴りが入ってしまい、男は悶絶する。
糸は完全に倒れ込んでしまった男を見下ろしていた。
「流石パステルボーイ、圧倒しているね」
後ろから咲良の歓喜の言葉が聞こえる。糸にとってはまだ褒められるほどの闘いをしてない。
嫌な予感もこない程の相手だ——
「大丈夫ですか?」
糸が心配して声をかけるが、両手で膝を抑えるのに必死みたいで、返答はない。
「お前、なかなかやるな」
そう糸に興味を持ったのは、金髪男の隣にいた髪の毛がつんつんと立っている黒髪の男。
長袖を捲りながら盛り上がった二の腕を見せる男は糸に近づくと、倒れている金髪に「どけ」と冷たい言葉を浴びせ退かせる。
その男の振る舞いを見て糸の頭に稲妻が走った。
「最初からあなたが出てきたら、あの男が痛い目にあうこともなかったかもしれないのに」
「知らねーよ」
2人で睨み合う展開は同じだが、お互い距離を取って相手の出方を伺っている。
「何故身構えない」
ボクサースタイルで両腕を構えている男はさっきから手を下ろしてやる気がないと思われても仕方ないような糸の姿勢に憤りを感じていた。
「必要ないから」
「そうかよ——」
男は言い終える前にジャブを出す。糸は右半身をサッと引いてジャブを受け流した。
今度は糸が一歩前に出ると、男の顔に軽いジャブを浴びせる。殆ど挑発的な意味しかもたない弱いジャブを出したことで男を燃え上がらせせていく。
歯をむき出しにして笑うと糸に問う。
「お前、何か格闘技をやっているのか?」
「さあ、憶えてないよ」
男は腕や足を使って次々に攻撃を仕掛ける。それに応じる糸は的から大きく外すように躱すのではなく、必要最低限に相手の体に掠る程度に紙一重で躱すことで男を余計ムキにさせていった。
父は昔、糸はやんちゃだったと言っていた。もしかしたら、こうして何度か喧嘩をした過去があったのかもしれないと避けながら思い出そうとする。
「なかなかいい度胸をしているな」
「貴方こそ初対面なのに容赦がないですよ」
一旦男の攻撃が止んだ所で糸はまた呼吸を整えたが、瞬間稲妻が走る。
糸が後ろに振り向くと、さっきまで倒れていたはずの金髪男が立ち上がり勢いよく殴りかかってきた。反応することは出来たが、躱しきれず男のストレートが糸の肩に当たった。
狭い路地で2対1の状況になるのは糸にとっても都合が悪い。
「ちょっと面倒になってきたな」
相手に聞かれないくらいの小さな声で呟く。
糸はこの状況をどうにかしようと、まず男が投げ捨てたクマのぬいぐるみを両手いっぱいに拾い上げて男2人の方へ自分の身代わりとして投げた。
ぬいぐるみが飛んできて男達が驚いているうちに糸は一旦戦線を離脱し、咲良と絡まれていた女子高生を連れて逃げるふりをした。
当然男たちが黙っているはずがなく、糸の態度は一層怒り買い後を追われた。
「何がしたいんだよ! いい加減にしろ!」
どっちかの男がそう言ったところで糸は立ち止まり振り返った。
「ここなら戦いやすそうだ」
路地から出たゲームセンターが立ち並ぶ明るくて視界が開ける大通りまでおびき寄せることに成功した糸は再び敵と相対する。大通りは街灯が眩しく照らされ、パステルピンクのパーカーが目立っていた。
「パステルボーイ、ここで戦うのはちょっとまずいよ」
咲良は女子高生を庇いながら糸に忠告した。
大通りには人が大勢の人が行き交っている。こんなところで騒ぎを起こせば、すぐに警察が来てしまうだろう。
「目立ってなんぼって、ネオンガールが言ったんじゃないか」
「そうだけど、警察が来たら私達まで捕まっちゃう」
それは確かに面倒だ——
父の耳には絶対に入れられたくはない。
「……じゃあすぐに終わらせて、逃げよう」
ナンパ男達にわざと聞こえる様に言うと、金髪男がまっすぐに飛び出した。
まずはこいつから倒してしまおうと、金髪男が攻撃する前に糸の方から仕掛けた。先ほど左膝に当てた場所に向かって、再び攻撃仕掛ける様に振舞う。
金髪男は前の痛みを思い出すかのような苦しい表情を浮かべ左膝を庇う。
思惑通りにいった糸は容赦なくガードが甘くなっていた右わき腹に蹴りを入れた。
金髪男が再び地面に倒れるのを見届けると、視界から消えていた黒髪男を探す。
「なあ、もう一人だけでいいから、俺と一緒に来いよ」
気がつくと黒髪の方は糸に目をくれず、咲良たちに言い寄っていた。糸と闘うのが馬鹿らしくなり目的を変えたのだろう。
「こっちこないで——」
咲良は女子高生より一歩前に出て庇いながら、サッカーボールを蹴るかのようなキックをして威嚇をしている。そんなもので男が恐れるはずがなく、むしろ怖がっているのは咲良の方だ。
先ほど咲良は自信満々に渡り合えると言っていたが、虚勢だったと分かり糸は急ぐ。
「おい——こっちに集中しろよ」
戦闘中で初めて怒りの感情を出した糸に対して、その挑発に反応した男は喜の表情で振り返った。
「いいねえ——その顔が見たかったんだ。じゃあ今度はお前から来いよ。今度は俺が全部受け流してやる」
「駆け引きだけは上手いな、お言葉に甘えてそうさせてもらう」
にらみ合いながら距離を詰める。大通りにいる人たちは喧嘩しているパステルピンクのパーカーを着た少年とナンパ男を見ようと立ち止まる人が増え始めた。
観客が取り囲んでいても糸は落ち着いているどころか、楽しみ始めている。
先ほど金髪男に攻撃を仕掛けた時に糸は確信した。自分から攻撃を仕掛けた方が遥かにはやく問題を解決できるし、何より楽しい。それが分かった今、少しずつ自分の体が熱くなる。
勢いよく男まで近づくとその途端、その男の視界から消えるかのように、糸は体を落とす。手を地面につけ獣のように相手に寄り、男の内腿のあたりを狙って蹴りを入れる。
「大事な所に当たらなくてよかったな」
「ぶっ殺す!」
糸には戦闘時のマナーなんてない、狙える所はどこだって狙う。男はそれに気がつき大事なところを庇いながら、足元でうろうろとしている糸に蹴りを入れながら警戒した。
丁度へそから下あたりを執拗に狙う糸の攻撃に男は徐々にストレスが溜まり、攻撃も雑になっていく。しかし糸の方にも決定打がなく時間だけが過ぎていった。
一種のショーであると勘違いして楽しんでいるのか、皆喧嘩を見るのが好きなのかは分からないが観衆が増えてきて、糸と男の戦闘スペースだけリングの様に開けていた。
中にはスマートフォンで戦闘を撮影している者までいて、大通りは混沌とし始めた。
「結構注目されちゃっているな」
そろそろ終わらせないと周りが集まっているせいで逃げ場がなくなってしまう。だから最後の攻撃を仕掛けることにした。
糸は体勢を低く保ったまま、素早く男の背後に回り込む。男はとっさに反応して消えた糸を追おうと目線を下に向けながら振り返った。
「なんだと!」
背後にいるはずの糸の姿は何故か見えなかった。
男が不思議に思った間もなく、理由が分かる。男が下の方に視線を向けながら振り向いた時には糸は地面を蹴りだして、宙に舞っていた。男の体に突然糸の小さな影が映りこみ、自分を目掛けて襲ってくる。
男が振り向いている瞬間を狙い、ほぼ助走無しで男の視線に捉えられない程のジャンプをした糸は、男の胸のあたりを目掛けて飛び蹴りをする。
「マジかよ——」
男は感嘆の声を漏らしながら、コンクリートに気持ちのいい音を立てて倒れる。
その瞬間、観衆からも糸を称賛するように歓声が上がった。しかし、同時に観衆群の向こうから「通して」と必死な声が聞こえてきた。
「警察が来る! 逃げよう」
咲良の焦る声が聞こえる。
「それはやばい、行こう」
一息入れる余裕もない、糸は体勢を整えると、咲良の元へ急いだ。
糸はこの場から逃げるためとっさに咲良の手を掴んで、囲んでいる観衆をかき分けて駅の方へ向かう。
「ありがとう!」
路地で絡まれていた女子高生は糸と咲良に感謝を告げていた。
すると咲良は糸に身を任せる前に皆にアピールするように叫んだ。
「パステルボーイとネオンガール。助けがいる時は私達の名を叫んで!」
「だから、それダサいって」
そう突っ込んだが、そこにいた観衆は拍手を糸たちに贈った。
恥ずかしくて隠れた顔を真っ赤に染めながら糸は咲良を連れて街中に消えていった。
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