第3話 アメリカンコミックみたいな
渋谷センター街にある、とあるネットカフェに糸と咲良はとりあえず非難した。
糸は仕切りがなく、ただ並べられている机に座って漫画を読むだけの一番安いプランにして、適当に人気コーナーに置いてあった1冊を読んでいる。
一冊読み終えた所で、ちょうど待っている人がやってきた。
「お待たせ、常盤君」
糸が貸したジャージのファスナーを一番上まで挙げた咲良が糸の隣の席に座る。
咲良はアイスコーヒーをかけられたため、糸は冷えた彼女の体を気遣ってシャワーが浴びられる漫画喫茶に寄った。途中、格安ファッションブランドのお店でTシャツを購入してジャージの下にセーラー服の代わりとして身に着けている。
「さっぱりしたみたいだな……そういえば下着は買わなくて良かったのか?」
あれだけコーヒーがセーラー服に染みついているなら、下着にもついているはずであったが咲良が下着を買っていないことを気になっている。
「男の子の前でじっくり選べるわけないでしょ……」
視線を逸らしながら咲良が呟くと、そういうものなのかと糸は肩をすくめた。
咲良は染みついたセーラー服が入ったカバンを下ろすと、糸の隣に座る。
ポニーテールでまとめた髪はシャワーを浴びた後のため解かれており、ミディアムロングの濡れた髪の毛からふんわりといい匂いがした。
彼女が髪の毛をタオルで乾かしている間、糸は気になっていることを聞いてみた。
「どうして万引き犯に声を掛けようと思ったわけ?」
自分がそんな現場を見ても、見て見ぬふりをするだろうし、何よりクラスでいつも笑顔を振りまいている彼女が、血気立っている姿が意外だった。
「私は真面目に生きている人の味方でありたいの——」
屁理屈だけどコンビニに勤めている人が全員真面目とは限らない。それは隣でしおらしい顔を浮かべている彼女自身の価値観によるものである。
彼女自身の考えがなにより真面目なのだ。
結果、真面目な彼女は制服にコーヒーをかけられた。咲良のしたことは正しい行いでコンビニから感謝されることは間違いないが受けた代償が大きすぎる。
糸は立ち上がり、無料のドリンクコーナーから紙コップにホットココアを入れると咲良の机に置いた。
「真面目は損をするんだよ」
糸はそう発言したが、自分自身なんの経験から言っているのか分からない。
「ココアありがと、常盤君の言う通りかもしれない……だけど誰かが声を上げないと」
両手で紙コップを持ち上げて、一口飲むと咲良はやり切った顔をする。
「俺は最初、糀さんと男の口論を遠くから見ているだけだった。君は凄いと思うよ」
「女子高生の私じゃ舐められただけだけどね——どうして常盤君はそんな立場から話に割り込んできてくれたの?」
それは糸の頭の中に稲妻が走ったからだ。
糸は嫌な予感が起きると、頭の前から後ろにかけて稲妻が駆け巡る感覚に襲われる。最初その能力に気がついたのは糸が高校二年生の学年で鈴城高校に転校した日、クラスメイトの男子生徒に悪戯で足をかけられそうになった時に発現した。
最初は自分の頭の中で起きた事がなんのことか分からず無様に転んだが、だんだんと頭に稲妻が走る時の法則に気がついた。時には咲良から受けた平手打ちの時みたいに能力が発現せずに災難に遭う時もあるため、オカルトじみたこの力を糸は認めている訳ではない。
具体的に何が起こるのかまでは分からないため糸は稲妻が走った時に何が起こるかを予測する。話に割り込んだのはサラリーマンが咲良と口論した末、激高して彼女に手を挙げると考えたからだ。
「あのままクラスメイトを放っておくわけにもいかないからね。だけど俺が助けに行った時、まったく聞く耳を持ってくれなかったじゃん」
「それはごめん、クラスメイトが助け舟を出してくれていた事に気づいていればね——」
あの時の糸の話に乗っていれば、こうしてコーヒーをかけられることもなかったと、咲良は自嘲気味に笑う。
「いや、だけどそうしたら盗まれたチョコは救えなかった!」
「真面目かよ」
「そういえばあの時、男がコーヒーを振り払う前に常盤君は後ろに下がっていたよね? どうして避けられたの?」
能力のそれのお陰であるがこの体の事は誰にも相談してない。
「俺は弱虫なんだ。弱虫なりの虫のしらせだ」
糸は視線を逸らして頬を指先で掻く。
「ふ~ん、弱虫という割には、男の鞄を弾いて証拠を出させるという。ずいぶん思い切った行動をしていたけどね」
咲良の方が逸らした糸の視線に入り込むと、小悪魔みたいな笑みを見せた。
「——俺の行動が軽率だった、すまない」
糸が男の鞄を蹴り飛ばさなければ、激高してコーヒーをかけられることもなかったかもしれない。その点は反省している。
「染みついたセーラー服の借りを返したい?」
勝手に借りを作られてしまったと思ったが、素直に頷いた。
「まあ、クリーニング代くらいは」
「そういうのじゃなくていいから、私のお願いを一つ聞いて」
糸の反省の気持ちに咲良は漬け込んだ。
「なんだい?」
「私と高校の仲間で街を守るヒーロー活動みたいなのをやっていて、常盤君も仲間に入って」
咲良はこの話まで持っていくために自分に罪の意識を植え付けたのだと思ってしまう程の見事なやり口である。そのやり口に感心して肝心の内容は入ってこない。
「ヒーローって——え? これみたいなやつ?」
手に持っていた漫画を咲良に見せた。
糸の家には漫画が一冊もないが、漫画喫茶に来たのだからせっかくだからと読んでいたのは、架空の街を舞台にマスクを被ったヒーローが悪の組織に立ち向かう話の漫画である。
「まあ、今はこんな派手なカンジじゃないけどね。今は仲間と渋谷の街で起きている事件情報を集めたり、集めたものをこっちから発信して、一般の人たちが事件に巻き込まれないようにしている」
「つまり、災害時の被害を予測するハザードマップみたいな感じか」
近年、世界的に事件発生率は年々上昇して、反比例するかのように検挙率は下がっている傾向にあった。そのグラフの動きは日本も一緒であった。
日本においての原因は経済や内閣支持率の指標が右肩下がりになっているせいかもしれないし、単純に抑圧された社会に生きる中で刺激を求める人が増えたのかもしれない。少しずつ、暗雲が立ち込めているこの国の姿が東京渋谷区に住んでいる糸自身も実感している。
「そういうこと、でもそんな陰ながら支える今のやり方には限界がある。すぐに現場に駆けつけられる、戦えるヒーローが欲しい。というわけでその役目を常盤君にやってもらいたい」
咲良の願いは糸に戦闘員になって街を守って欲しい事だった。
「俺はそんなに強くない、お断り」
突然咲良が何を言い出すかと思えば、そんな危ないことを自分にさせようとしているとは。
「私は知っているよ。常盤君、転校した時に悪い奴に目をつけられたのに払い退けたでしょ」
糸を見透かしているかのような目で咲良は見つめる。
今年の4月『鈴城高校』2年生の学年に糸は転入してきた。
転校初日足をかけられて転んでから、糸はいわゆるヤンキーというやつらに目をつけられ、いじめというかパシリ候補に挙がってしまった。ヤンキーは糸に暴力の一つでもしておけば大人しく従おうと考えていたようだが、小柄ながら糸は俊敏な動きで相手を翻弄して、返り討ちにしてしまう。こんな力もあったのかと糸自身にも驚きであった。
「あれは……たまたまだよ。とっさに体が動いていた」
「君は超人転校生だと噂になっているよ。常盤君の才能を発揮できる機会がある。その力があれば少しだけこの街を平和に出来ると思わない?」
いつのまにそんな噂をされていたのかと思ったが、そういえば転校してから周りが話しかけてこないなと納得した。
彼女の説得に一瞬俯いて考えるも、あることを思い出すと大きく首を横に振った。
「親から大人しくしていろと言われているから、無理だ……ごめん。制服のクリーニング代くらいは俺が出すよ」
時折両親が自分に忠告する言葉を思い出した。
「親の言う事は聞くべきだけど、そんな事まで言ってくるの? そんな忠告を聞いちゃうの?」
咲良は煽るように言ったが、無表情を保ったまま「そうだ」と告げる。
糸もこれで引き下がると思ったが、咲良は諦めの顔を見せてない。
真面目は面倒だ——
「私はこの通り万引き犯を見逃せない性なの。仲間にもたまにやりすぎだと怒られてしまうんだけど聞く気はない。だから、私のそんな暴走する行動をする考えを止めて一緒に戦ってくれる人が必要なの。私のために少しだけ、お試し期間でもいいから入ってくれない? それで常盤君がやっぱり続けられないと言うなら諦める。だからほんの少し力を貸して」
咲良とは今日初めて話す。彼女はいつか自分を仲間にしようと思っていたのだろうか。こんな知り合い方じゃなかったら、断れたはずだ。
彼女に良いように利用されるのは癪だけど、付き合うことにした。
「分かったよ。今回のお詫びとして糀さんの手伝いをする。ただし一回だけだ。一回人を助けたら満足してくれ」
「やった!」咲良は静かな店内で喜びの声を響かせた。
「私の事は咲良って呼んで——常盤君の下の名前はなんていうの?」
「常盤糸(ときわいと)それが俺の名前だ……」
自分でもこんな珍しい名前を名乗るのは慣れていない。
「珍しい名前だね。でも優しそうで素敵な名前、糸君これからよろしく」
こうして糸は咲良の仲間となった。
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