1回だけのヒーロー活動
第2話 美少女と万引き犯
学校終わりの帰り道、男子高校生にしては少し華奢な常盤糸はコンビニを出ると入口の横で買ったばかりのソフトクリームを舌先で味わっていた。
季節は春を過ぎたばかりの5月初旬、だけど着実に春から夏へ向かっていると実感できる爽やかな暑さに包まれている。
糸にとっては大きな口を開けてアイスを飲み込むのは邪道であり、少しずつ削るようにアイスを食べるのが王道の食べ方で、舌で舐めると火照る体の体温が下がっていることを実感させてくれる。
そんな時コンビニのコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを持つスーツ姿のサラリーマンがお店から出てきた。淹れたてのコーヒー豆の香りが糸の鼻にも伝わる。
コーヒー味のアイスも食べたいな——
そんなことを呑気に考えていると、女子高生が足早でお店から出てきた。
「ちょっと待ってください!」
空にも届きそうな大きな声を上げていた少女に驚き、アイスを食べる手が止まった。
その少女はサラリーマンを追いかけている。
「あいつは確か——」
糸はその少女の顔をよく見ると知った顔であると気がついた。
糀咲良——
糸の通う高校のクラスメイトであった。
黒髪をポニーテールで束ねた、セーラー服の美少女。どの街にもどのセカイでもよく見かける普通の女子高生である。しかし、そんな他の女子高生と一線画す程の整った顔立ちをしている彼女は糸の通う『鈴城高校』でも評判であり、学校が宣伝用に作成した案内パンフレットの表紙を堂々と飾っている看板娘である。
糸は目を奪われると同時にどうしてそんな女子がサラリーマンに向かって激高しているのかと気になってその様子を見ることにした。
「まだ会計を済ませていない商品がありますよね?」
どうやらサラリーマンは万引きをしていたようだと糸は察した。
咲良はその現場を見てしまい、レジを通さずお店を出た彼に声を掛けたのだろう。
サラリーマンはその一言で彼女の方へ振り向くと、首を傾げた。
「酷い事言うなあお嬢ちゃん、俺はコーヒーを買いに立ち寄った。それ以外は何も買ってないし、当然盗んでいない」
ビジネススマイルを浮かべる男は咲良に買ったコーヒーを見せびらかす。
「いえ、貴方がチョコの小袋を盗んでいる所を私はちゃんと見ました。。今すぐお店に戻って店員に謝って下さい」
そのやりとりを糸は入口から一切動かず、クラスで学級委員長も務める咲良が小さなお菓子を盗んだサラリーマンを説得しているその光景をまるで劇を見ている風に見ていた。
「証拠はないだろ、あんまり大人を馬鹿にするな」
「ではまだ子供な私にそのかばんの中身を見せて納得させてください、さあ!」
「いい加減にしてくれよ——そんなの入ってない」
咲良は食い下がらなかった。そんな態度に男も不満の態度を募らせている。
その時、丁度アイスクリームを食べ終わった糸の頭に小さな稲妻が走るような衝撃が襲う。
アイスの冷たさ……じゃないよな——
頭痛を堪え深呼吸をすると、糸はようやく口論の場に踏み出した。
「糀さん、そろそろ電車が出る時間だから行こう」
糸なりに考えた咲良をこの場から引きはがす口実を片言で言う。
「え——?」咲良は糸に首を傾げた後、すぐにサラリーマンを睨みつける。
咲良は万引き犯に怒るあまり、糸の出た行動の意味を理解しようとしなかった。
「いい加減にして欲しいのはこっちです。万引きは犯罪です、どんな小さな商品でも一つ取られるだけでお店にとっては大変なんです」
「あんたはコンビニで働いているのか?」
「いえ、働いていません」
「じゃあ、どうでもいいだろう」
万引きは犯罪であるが、その現場を目撃したとしても追いかけて説得する程でもない。特にそういう商売に関わっていないのであればなおさらだろう。咲良が男を説得しているのは純粋な正義感であった。
糸は咲良糀という生徒はこんなにも真面目だったのかと感心半分呆れ半分だ。咲良に問い詰められている男の手に握られている鞄の中に盗んだものがあると、鞄の取っ手を強く握りしめる様子から見て間違いはなさそうだ。
咲良に話しかけてこの場を収めることは出来なかった。話しかけてしまった以上このまま無視をして帰るわけにもいかない糸は仕方なく別の案を考えた。
糸は視線を急に男から道路の方に向けると思い切り叫んだ。
「あ、警察だ!」
一番に動揺したのはサラリーマンだ。彼は警察がいないか道路の方を注意深く見ていると、その隙を突いて糸は左足を突き出して男の持っている鞄を弾いた。
男の手から離れ、落下した鞄は地面に衝突すると横に倒れる。鞄にはファスナーが閉じられていなかったため、中に入っていた新聞や手帳が地面に飛び散った。
「「あ」」
地面には未開封のチョコも地面に飛び散っていた。その証拠を目撃すると糸と咲良は思わず声を上げた。
咲良の言った通り、この男は万引き犯である。証拠も掴んだ所で糸は男を取り押さえようと踏み出したが——また糸の頭の中に稲妻が駆け巡る。さっきよりも強い衝撃であった。
なんか来る——
嫌な予感した途端、サラリーマンは持っていたアイスコーヒーのカップを横から糸と咲良に向かって打ち水をするかのように広範囲にまき散らした。
男を捕えようとしていた糸であったが、コーヒーが襲い掛かるタイミングで後ろに大きく二歩下がると、目の前で地面にコーヒーが打ち付けられる光景を見ることが出来た。
「チッ——」
男は糸にコーヒーをかけることは失敗したが、距離を取る事には成功した。手帳と鞄だけを急いで拾うと車道が通らない瞬間を見計らって道路の向こう側に走り去っていく。
男は見逃してしまったが落ちたお菓子をお店に戻せば一件落着だと、安堵を浮かべた糸は咲良を正面から見た。
「あ、やってしまった」
これは誰が悪いことになるのかと、糸は頭を抱える。
咲良の真っ白だったセーラー服が茶色に染まり、淹れたてコーヒーのいい香りがする。彼女自身、突然の出来事だったらしく呆然とした顔で突っ立っていた。
「よく避けられたね、私はこんなんだけど」
咲良は糸を睨みながら、鞄の中からピンク色のタオルを取り出してセーラー服についた大きなシミを取り始める。
「そんなんじゃ取れないよ」
「うるさい」
咲良は不機嫌な声を漏らした。
コーヒーは糸と咲良をめがけてかけられたため、糸が避けたために咲良にコーヒーがかかったという訳でもなく、糸が咲良に「コーヒーが飛んでくるぞ」と叫ぶ余裕もなかった。
咲良はただ自分だけこんな目に合ったという理不尽な現実にうんざりとして、近くにいる糸に怒りをぶつけている様子であった。
胸のあたりからスカートにまでまんべんなく染みついており、ハンドタオルでどうにかなる問題ではない。しかも咲良の体にはコーヒーの水分でべったりと肌に張り付いていて、セーラー服の下に着ているものが見えそうで、コンビニの前を行き交う人が注目している。
「移動しよう」
咲良に集まる視線を遮るため糸は至近距離で彼女の体の前に立ち、自分の鞄の中からジャージを取り出して彼女に着させようとする。
「ちょっと……なにすんの」
突然の対応に咲良は困惑した。
「その恰好じゃ目立つでしょ」
パチン——
無表情でジャージを着させようとする糸の左頬に平手打ちが飛ぶ。2人に身長差はほぼなく咲良は気持ちのいいビンタを飛ばすことができた。
「あ、ごめんね」
淡々とジャージを着させる糸が気に入らなかったのか、こんなことで顔を赤くしている自分を恥じているのかわらかないが。彼女自身もとっさにやったことであった。
「いいんだ、お菓子をコンビニに戻しに行ってくる」
不意に平手打ちをもらって糸は驚いたが、すぐに地面に落ちていたお菓子を拾い上げてコンビニへ戻った。
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