やり残したことは、ありませんか。

水神鈴衣菜

未恋

 意外とこの世の中、何が起こるか分からないものだ。科学で証明できないものだってもちろんある。


 ある夏の日、俺は午前10時頃家に届いたが伝えた場所に向かった。久々に本業の時間だ。

 指定されたのは、ある廃屋──とは言っても最近まで人が住んでいたように綺麗なままである。今は誰も住んでいないのだ。その縁側に、女性の気配が座っていた。



「……で、結局お前の依頼はなんなんだ」

 俺は縁側に座り込んだまま、傍らにある気配に向かってそう言う。しばらく話しかけたりなんだりしたが、気配は俺と会ってからずっと無言だ。

「なあ、早く言ってもらわなきゃ。じゃないと帰るぞ、今すぐ」

『……わ、分かりましたよ。話しますって』

 気配の声は思ったより高かった。けれど耳にキンと来ない、心地よいヘルツだ。

『えと、〈悔恨屋〉さん。私の依頼はですね。できなかった恋とやらを経験したいんです』

「……ほう」


 この世にたくさんある生と死。死ぬ時、五体満足というか、何の後悔もなく死ねる者の方が圧倒的に多い。しかし一定数、あることが引っかかって現世うつしよに残っている魂がある。そういう者たちのいわば心残りをどうにか解決して回るのが、俺の〈悔恨屋〉の仕事だ。

 家は陰陽師おんみょうじの血筋。だから魂たちが見えるし、万が一があれば魂を無理やり天上に送り出すこともできる──まだそういう風になったのは2度ほどのみだが。

 しかし魂たちから金は取れないため、いつもは毎日ギチギチにバイトを入れてなんとか生計を立てているような危うい生活を送っている。


 今日の依頼者は20代半ばで病に倒れた女性の魂。なるほど恋ができなかったというのもなんとなく分かる。

「で、その依頼のために俺は何をすればいいんだ?」

『私と、擬似でいいので……付き合っていただけませんか』

「なるほど、レンタル彼氏みたいな」

『悪い言い方しないでください』

「すまんって。でもお前、魂になってから何も触れないの分かってるだろ? そこはどうするんだよ」

『デートスポットに行くだけでいいんです!』

 こいつからしたら俺がいるから独りではないのだろうが、俺からしたら周りには独りでデートスポットに来る寂しいやつだと思われそうで少々気が乗らない。まあ依頼のためだ、仕方がないと思うしかない。

「最終的に、どうなればミッションコンプリートなんだ」

『……私が満足したら?』

「んま、そうなるよな」

『お願いします!』

「……分かった、引き受ける。とりあえず独りでいても大丈夫な場所にしてくれ、頼むから」



 一旦家に帰り、そこそこフォーマルな洋服に着替えようとした。もちろん家には依頼者の魂もついてきている。

『あ、あの、見ない方がいいですよね』

「……? いや別になんでもいいけど」

 結局依頼が終われば、見られたという事実も相手が消えておさらばなのだから。

「どこに行きたいんだ? それによって服装も変わる」

『……ええとその』

 依頼者は少し顔を赤らめる。

『夕方くらいの水族館に行きたくて』

「……時間指定は確実に夕方なのか」

『はい』

「分かった、調べる」

 とその前に着替えだ。水族館に着ていくのに差し障りない服を選び着る。面倒で伸ばしたままの髪は、そのままではいけないのでなんとかして括った。

 スマホを取り出して『近くの水族館』と調べる。こういう依頼の時にしかこんな場所には行かないので、いかんせん知識が薄い。

「……電車などなどで15分か」

『行けそう、ですか?』

「今日中に行ける距離だな。さ、行くぞ」

『えっ今からですか?』

「今からでも出ないと、日が暮れる」

 こういう時、独り身は楽だ。



 とりあえず一番近い水族館に着き、依頼者と並んで大きな青い水槽を眺める。

『綺麗……』

「満足か?」

『とりあえず館内1周しませんか!』

 と言うやいなや、俺を置いてすーっと次の展示へ向かい始める。俺は不自然にならないように、大きな水槽に見飽きた風を装ってその姿を追う。もう少し見ていたかったが、そういえば彼女は俺がチケットを買っている間に既に中に入っていたんだったなと思った。

 彼女はどこまでを願っているのだろうか。水族館を1周して、それで満足してくれるならいいのだが。


 俺自身はあまり楽しめなかったが、依頼者は満足げな表情で俺の横で、水族館を出た先のベンチに座ってにこにことしていた。

 南国の魚たちやサメ、深海魚など様々な魚がいた。なんだか久々に癒された気がする。

『ありがとうございました、楽しかったです』

「そうか、そりゃよかったよ」

『〈悔恨屋〉さんも、楽しかったですか?』

「まあな。誰かさんのせいで満足するまで魚は見られなかったけどな」

『そ、それはごめんなさい』

 まあいい。依頼でこんな平和だったのは久しぶりだったので、自分の日々の癒しにもなったのだから。

『……あの、その』

「なんだ、まだ満足してないんだろ。何がしたいんだ」

『名前、呼んでください』

「……それだけか?」

『はい』

 不思議なことをしたがるものだ。やっぱり俺には恋愛というものが分からない。

「名前は」

『うみ』

「……漢字はなんて書くんだ」

『広い海に、未来の未です』

「海未ね」

 ──もしかしたら、名前のこともあったのかもしれない。彼女が、海未が水族館をデートしたい場所に選んだのは。

 彼氏に『名前、海未だし海好きだったりする? 水族館でも行く?』とか言われて、そうして水族館に行く──例え彼女が本当はめちゃくちゃアウトドア派で、2人で行くならキャンプ、みたいな人だったとしても。それが憧れだったのかもしれない。そんな風に思った。

「海未」

『はい』

「……彼氏っぽく『好きだよ』なんて言った方がいいか?」

『い、いや、別に……〈悔恨屋〉さんが嫌でなければ』

「そう」

 なんというか、雰囲気みたいなものをぶち壊した気がする。

「……海未」

『はい』

「ほんの少しの間だったけど、俺結構お前のこと好きかも」

『……本音、ですか?』

「……さあな」

 なんだか余計なことを口走った気がする。俺のこの〈悔恨屋〉では、依頼者に情を抱くことは許されないのに。俺にも今のが本音なのか、建前なのか、よく分からない。

『……あの、〈悔恨屋〉さん』

「ん?」

『あなたの名前も、教えてくれませんか』

「俺は幻斗まほと

『……ちょっとイメージと違いました。もう少し強そうな名前かと』

「いいだろ、別に」

『漢字は?』

「幻に、北斗七星の斗」

『幻斗さんかあ。綺麗な名前』

「……ありがとう」

『あの、幻斗さん』

「なんだ」

『……最後に、き、キス……してもいいですか』

 なるほど、最後にそう来るか。相手は魂であれ、女性であり同年代。少々緊張を覚える。

「……どうぞ」

『じゃあ、その、そのまま前向いたまま目を瞑ってくれますか』

 言われるがままに目を瞑る。そういえば彼女は魂だから俺に触れることもできないんじゃなかったかなとか思いながら、しばらくして──体感では1分ほどではあったが、本当はどのくらいだか分からない──目を開けると、目の前にはただ夕焼けが浮かんでいるだけだった。



 きっとあれで満足してくれたのだろう。いつの間にか消えてしまって唖然とはしたけれど、成仏してくれたのならばそれでいい。

 海未という名前の通り、彼女の瞳は海のように凪いでいて、綺麗だったなと思う。

 こんな風に心というか、精神に繋がる依頼は初めてだった。いつもは『子供の様子を見せてほしい』という地縛霊だとか(そういう場合は一度存在をに移して運ぶ)、『あいつを殺して欲しい』だとか。だいたい恨みで残っている魂は暴走し始めて無理やり天上に送ることになるのだが。だからこそ情を少々とはいえ抱いてしまった。これからもまた淡々と依頼を熟さなくてはと思いつつ、俺はベンチから立ち上がり夕焼けを見つめた。

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やり残したことは、ありませんか。 水神鈴衣菜 @riina

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