◆ 夏の終わり

 その日は、昨日までよりも少しだけ涼しさを感じる日でもあった。

 聞こえてくる物音も、これまでとは少し違う音が混じっている。あの騒音が蝉たちの唄なのだということを私はすでに知っていたけれど、唄の様子はまるで違った。あれもまた、友人の蝉の心をくすぐるものなのだろうか。私はその事を訊ねてみようと心に決めていた。

 けれど、その日に限ってなかなか仕事は終わらなかった。次から次に運ばれてくる食料。どうやら季節の巡りが他種族の妖精たちの命を奪い、朽ちていくだけの亡骸が、貴重な食糧となって発見されているらしい。つまりこれは稼ぎ時でもある。食べ物はいくらあっても困らない。王国民が飢えないためだ。


 しかし、働き蟻らしくない事を述べるならば、忙しいということは今の私にとって不幸なことでもあった。

 次から次に発見される食べ物を運んでいるうちに、私はついつい蝉のもとに向かいたくなってしまったのだ。話したいことがあるのに。仕事をしている間にも、次から次に浮かんでくるのに。早く会って話したい。他愛のない話をして、あの無邪気な笑みをみたい。彼女の声を聞きたかった。

 それでも、今日は本当に忙しい日だった。


「おーい、手伝ってくれ。向こうでまた亡骸が見つかった」


 姉妹の一人に呼びかけられ、無視することも出来ないまま、私は近くにいた姉妹たちと一緒にそちらへ向かった。

 場所は、奇しくも私がいつも蝉と話をするあの場所だった。向かっている途中で気づくと、私の心は早くも浮ついてしまった。途中で彼女を見かけたら、抜け駆けしてしまおうか。そんな事を考えているうちに、現場に到着した。


「ほら、ここ。亡くなったばかりなんだろう。まだ綺麗だ」


 姉妹の一人の言葉に、私は軽い気持ちでそちらを見た。

 そして、絶句してしまった。


 ──え。


 そこで倒れていた姿に、見覚えがあったのだ。

 蝉だ。

 気づくなり私は慌てて姉妹をかき分け、蝉の身体を揺さぶっていた。


「ねえ、どうしたの? 何があったの?」


 返答はない。ぴくりとも動かなかった。絶望的なその様子に、それでも私は僅かな希望を捨てきれなくて、彼女に話しかけ続けた。


「ねえ、どうしたらいい? どうして欲しい?」


 蝉は返事をしない。そうこうしているうちに、呆気にとられていた姉妹の一人が我に返って私に話しかけてきた。


「知り合いだったの?」


 気遣うようなその言葉に、私もまたようやく我に返った。


「友達……なんです。毎日、ここで話して──」


 震えながらどうにか答えた私を前に、姉妹たちは顔を見合わせた。それぞれが何かを言おうとして、口籠ってしまう。同じ王国民として、姉妹として、私に対して言いたいことがあるはずなのに、誰も彼もが言葉を見つけきれずにいるようだった。

 そんな姉妹の様子をただ見つめていると、ふと私の手元に震えが伝わってきた。慌てて抱いている蝉へ視線をやると、薄っすらと目が開いていた。


 ──生きている。


「ねえ、聞こえる?」


 すぐに蝉に声をかけると、姉妹たちは顔を見合わせ、そっとその場を離れていった。完全に立ち去ってしまったのではない。遠巻きに、私たちの様子を見守っていた。


「来て……くれたんだ」


 微かな声が聞こえ、私は何度も頷いた。


「勿論。今日もお話がしたくて。聞いて欲しい話も、聞きたい話もいっぱい」


 すると、蝉は微笑みを浮かべた。


「そっか。わたしも同じ。蟻さんとお話がしたくてここに来たの。……でも、どうやら駄目みたい。夏も終わっちゃうから、わたしもこれまでのようね」

「どういうこと? どうことなんですか?」


 問いかけ続ける私の頬に、蝉はそっと触れてきた。


「ごめんね。でも、これがわたし達の宿命なの。だから、許して」

「蝉さん」


 声をかけたその時、蝉の手からは力がふっと抜けてしまった。空を見つめる目は焦点が合っていない。覗き込む私の姿も恐らくその目には見えていないのだろう。

 それでも彼女は、私に向かって呟いた。


「でも、あなたと出会えて……楽しかった」


 それが最期だった。

 何度呼びかけても、何度触れてみても、蝉はもう動かなかった。物言わぬ亡骸として、たくさん運ばれてきた多くの亡骸と変わらぬものとして、地面の上に横たわっている。途方に暮れて泣いていると、遠巻きに見守っていた姉妹たちが恐る恐る近づいてきた。やがて、年長の姉の一人が私の傍まで近づくと、そっと肩に触れてきた。


「寂しいわね。これからのお仕事はあなたには酷かもしれないわ。耐え切れないなら、この場から離れてもいいのよ」


 けれど、私は首を振った。

 亡骸となった蝉がどうなるのか、その先の事が私にも分かっていたからだ。


「確かに私には酷です。手伝えないかもしれません。でも、せめて近くで見届けたいです」


 そんな私のわがままを、年長の姉は静かに受け止めてくれた。


「いいわ。そうしたいのならそうしなさい」


 そして、私からそっと離れると、他の姉妹たちと共に蝉の亡骸を取り囲んだ。私は心を無にしながらその先の作業を見守った。

 他の妖精たちと同じだ。もうそこに魂はない。滅びゆく亡骸となった蝉の肉体は、これからを生きる全ての者たちのための糧となる。

 私は、それを口に出来るだろうか。その事については、今はまだ考えたくなかった。


 代わりに私は耳を澄ませた。

 涼しくなったせいだろうか。季節が移ろいゆくせいだろうか。聞こえてくる音はいつもの蝉の歌と違うように感じられた。その声の数自体も少なくて、声が止むと一気に静寂が生まれる。

 静かだ。昨日まであれほど賑やかだったのが嘘のようだ。そう思うのはきっと、聞こえてくる歌声が減ったからではない。もう二度と、私が楽しみにしていた声を聞けないのだと思うと、あまりにも心細かった。

 私はその静けさを感じながら、蝉の遺した言葉を思い出していた。


 夏が終わろうとしている。

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小さな庭園の物語 ねこじゃ じぇねこ @zenyatta031

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