◆ 蝉の唄
仕事の合間に抜け出して、今日も私は蝉のところを訪ねていた。
蝉から聞ける話は意外と多い。地中に故郷があるのは私たちの王国と同じはずなのだが、彼女たち蝉の知る地中は少し違う趣だった。
しかしそれよりも興味深かったのは、大人になった彼女たちの知る空の世界のことだった。そして、恋の話もそう。彼女が抱く歌へのこだわりは、私の想像をはるかに超えたものであり、一生かかっても分からないことではあった。
けれど、それを語る彼女の横顔が何だか好きで、私は何度も聞いてしまったのだ。
「あ、ほら、また聞こえてきた」
彼女が空を指差すと、遠くからあの歌声が聞こえてきた。
騒々しいだけだと思っていたその声も、彼女の日々の解説があっての事だろう。確かに素晴らしい名曲のように感じられてならなかった。
しばらく聞いていると、かぶせるように別の歌声も聞こえてきた。歌声は徐々に増えていき、最後にはぶつかり合うように一つに溶けていく。
「なるほど、これが合唱なのですね。たしかに迫力があります」
感心してそう言った私の隣で、蝉はふと茫然とした。
「あ……」
ゆっくりと手を下ろしてしまった彼女が気になって、私はすかさず訊ねた。
「どうしたのです?」
すると、蝉は茫然としたまま呟いた。
「歌声が減っている」
ぽつりとしたその言葉に、私は改めて耳を澄ませてみた。
けれど、私にはよく分からなかった。
「どういうことですか?」
気になって訊ねてみると、蝉はしばらく茫然としていた。だが、私の表情に気づくと、すぐに笑みを浮かべ直して答えてくれた。
「そのままの意味よ。きっと夏も終わるのね」
「夏が終わる……?」
言われてみれば確かに、じりじりと照り付けるような暑さも和らいできたように思う。
「ねえ、働き蟻さんはさ」
と、急に蝉が私に訊ねてきた。
「夏が終わったらどう過ごすの?」
「えっと……」
突然の問いに惚けつつ、私はしばし考えた。
その先には秋という季節があり、恐ろしい冬が待っている。やる事と言えば何も変わらない。せっせと食べ物を運んで、我が王国が厳しい冬を越えられるように備えるだけ。
「そうですね。あまり変わりません。私はこの春、おとなになったばかりなので、夏が終わって秋が来て、秋が終わって冬が来て、また春が来ても同じように過ごしていると思います」
「……そう。夏の次は秋、秋の次は冬か」
蝉は何処か寂しそうにそう言うと、私をちらりと見つめてきた。
「じゃあさ、蟻さん。この先、わたしと会えなくなったら寂しい?」
これもまた突然の質問だった。
だが、この度は考えるまでもなく即答できた。
「寂しいですよ。もちろん、寂しいです。せっかくお友達になれたのですから。それも、他種族のお友達なんてそう簡単には出来ませんし」
「まあ、嬉しい。お友達だと思ってくれているの?」
「そうですよ。違いますか?」
「そうね。あなたがお友達だと思ってくれるのなら、お友達でいいわ。わたしも他種族のお友達なんて初めてだもの。あのね、わたし、実を言うとあなたとお話するのがこの夏の楽しみでもあるの。あなたとするお話は、他愛のないかもしれないし、意味のないことかもしれないけれどね、退屈しのぎってきっと妖精にとって大事ものなんでしょうね」
蝉の言葉に、私は思わず笑顔になってしまった。
こうして毎日会話を続けていても、分からないことはいっぱいある。蝉のうっとりする夏の唄の良さも、いくら聞いてみてもよく分からないというのが正直なところだ。蝉の語る恋の素晴らしさもよく分からない。
けれど、それらを語る蝉の姿が何だか好きで、ついでに私の事を知ろうとしてくれる彼女の姿が何だか好きで、だからこそ、彼女と毎日会って話すことは、私にとって楽しみだった。
「私は明日も蝉さんと会うのが楽しみなんです。もう語れることは語り切ってしまったかもしれないけれど、それでも、毎日会うこと自体に意味があると思うんです」
私がそう言うと蝉は微笑みを浮かべた。
「そうね。毎日会うってだけでも楽しいでしょうね。……ああ、でも、蟻さん。お忘れじゃないかしら。わたし達は妖精なのよ。今日を無事に終えられるなんて限らない。明日を無事に迎えられるかなんて分からない。そういう世界でしょう、ここって?」
「はい、確かにそうですね」
私はしゅんとしてしまった。働き蟻は必ずしも天命を全うできるわけではない。いつどこで命を奪われるかも分からないのが妖精の世界だ。その事を忘れてしまっているわけではない。それでも、忘れそうになるくらい、蝉との交流が楽しかったのだ。
しゅんとしたままの私に、蝉は言った。
「ねえ、蟻さん。今のうちに言っておくわ。あなたがわざわざ追いかけてきた時は、なんて面倒くさい蟻さんなんだろうって思ったの。でも、今は違うわ。あの時、わざわざ追いかけて来てくれたお陰で今がある。お陰で、とても楽しい夏を過ごせた。それがわたしは嬉しいの。女神様の贈り物なのかしらってくらい、良い思い出になったわ」
「私こそ、良い思い出です。だからもっとたくさん──」
「ねえ、蟻さん」
私の言葉を遮って、蝉は続けた。
「秋が来て、冬が来て、その先に春が来て、また夏が来た時に、あなたがまだ生きていたとして、わたしとの思い出を忘れないって約束してくれる?」
「……はい、それは勿論。勿論、忘れません」
しっかりとそう言うと、蝉は何故だか嬉しそうに笑った。目元に涙を浮かべて笑うその姿は、何だか妙に印象深いものがあった。
「嬉しい。なんだか幸せな気持ちだわ。本当に、この出会いは女神様の贈り物だったのかも。ありがとう、蟻さん。お陰でなんだかスッキリしちゃった」
蝉はそう言って、満面の笑みを浮かべた。その笑みに釣られて私も笑い、その後も時間の許す限り、私たちは談笑を続けたのだった。
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