◆ 交流
翌日、私は姉妹たちには内緒でこっそりと蝉の女性のもとを訪れていた。
太陽が真上に上る時刻。約束通りの場所に彼女はいて、空を見上げながら耳を澄ましていた。聞こえてくるのはあの騒々しい歌声。私にはちっともその良さは分からなかったが、どうやら彼女にはその価値が分かるらしい。
「あの、蝉さん」
「おっと、もう約束の時間なのね」
そう言って、彼女はようやく私に目を向けてくれた。
約束は昨日交わされた。蝉という種族のことについて教えてくれると言ったものの、生憎、私の方にあまり時間がなかったのだ。
そろそろ王国に戻らなくてはいけなかった。
──心配されちゃうから?
蝉はそう訊ねてきたが、私は首を振った。そういうわけではない。姉妹たちのことは親しみを持っているものの、私たちが常に敬愛し、気を配るのは女王のことだけだ。同じ方角を向いて生きる一体感こそが、私たちの関心であり、そのための仲間は別に特定の誰かでなければならないというわけでもなかった。
少なくとも私の王国の姉妹たちはそうだった。
それが当たり前だった。
──それってなんだか寂しいわね。
昨日の蝉の言葉が頭を過ぎり、私はふるふると頭を振って気の迷いと吹き飛ばした。
そんな私に当の蝉は訊ねてくる。
「お仕事は良かったの? 忙しいんでしょ、蟻さんって」
「私の代わりはたくさんいますから。それに、ここのところ真面目に働いていたことは姉妹も見ております。時折こうして休憩したって誰も何も言いませんよ」
「ふうん。そうなんだ。でも変なの。代わりがいくらでもいるのなら、尚更働く理由って何かしら。わたしには分からないわね」
「蟻には蟻の幸せがあるのです。それに私、王国のお仕事は好きですよ」
「へえ、そうなんだ。それならいい事なのでしょうね」
そう言って軽く笑うと、蝉はこほんと咳払いをしてから私に向き直った。
「じゃ、さっそくお話しましょうか。って、何が知りたいのだっけ?」
「そうですね……とりあえず恋というものでしょうか」
「ああ、やっぱり興味があるのね。当然よ。妖精は恋をするために生まれてくるのですもの。妖精だけじゃないわ。獣たちだってそう。森を時々行き来するあの巨大な怪物──人間だってそうなのですって。生き物は恋をしてこそ幸せになるの」
「そうなのですか……それで、恋って具体的に言うと何なんですか?」
本当に分からなかった。生きる目的とまで言われているくらいなのだから、私たち働き蟻にも関係のあることなのだろうか。
疑問に思いながら答えを待つ私に、蝉は言った。
「恋っていうのはね、この血を世界に残す為の神聖な営みのことよ」
「血を残す……?」
「つまり、子供を残すってこと。子供、分かるでしょう? 卵でもいいし、花の妖精の子みたいな赤ちゃんでもいいわ」
「赤ちゃん……」
私はきょとんとしてしまった。
子供の世話なら何度もしたことがある。王国にはいつだって食べ盛りの弟妹がいるものだし、その御世話をすることも好きだった。いつだって子供は可愛いし、癒しである。だが、私は首を傾げてしまった。
赤ちゃんという存在はよく知っているのだが。
「もしかして、あなたは蝉の女王様なのでしょうか?」
「え、女王? わたしが?」
蝉は呆れたようにそう言った。何か間違っていただろうか。だが、しばらくすると蝉は得意げな笑みを浮かべて、呟いた。
「なるほど、女王と呼ばれるのも悪くはないわね。でも、残念、不正解よ。わたしは女王じゃありません。蝉に女王はいないの。王様もいないわ」
「女王ではない? では、なぜ卵を産めるのですか」
「なぜって、それが普通なのよ。蝉はね、長い間、暗くてじめっとした地下の世界で暮らして、大人になったらようやく念願の外に出てくるの。そして男たちは競っていい声で歌い、女たちはその歌で恋の相手を選ぶの。その後、卵を地下世界に産み落とすのよ」
「全員が?」
「逆に聞くけど、蟻さんは違うの?」
蝉にそう訊ねられ、私は戸惑いながら頷いた。
「私どもの王国では卵を産むのは女王陛下のお仕事ですので」
「じゃあ、あなたは産まないの?」
「はい、たぶんそうだと思います」
「えっそうなの?」
蝉は心底驚いたように声をあげると、私の顔を覗き込んできた。
「なおさら分からないわ。あなた達がどうして真面目に王国に尽くすのか。あなた達ってとっても不思議な妖精ね」
私からすれば、頭を抱える蝉の方が不思議な妖精だった。
「やっぱりわたし、蝉に生まれて良かった。自由に飛び回るのも、唄を聞くのも楽しいもの。せっかく掘り当てた樹液を横取りされるのは困るけれど」
「その節はすみません……」
「いいの。あなたに奪われたんじゃないもの。それに、蟻以外に奪われることだってあるもの。奪われたらまた見つければいいの。地上の世界ってとても解放的ね」
「それには同意です。私も王国の中よりも外の方が好きだったりしますので」
「まあ、そうなの。変なところで気が合うのね」
愛らしく笑う蝉を前に、私はふと心に温かなものが灯るのを感じた。
それは日々一緒に暮らしながら、王国の繁栄を共に願う姉妹たちとの強固な絆とは少し違うものだった。
私は何だか急いた気持ちを抱えながら訊ねた。
「あの……明日も会えますか?」
「ん? そうねぇ」
蝉はふと考え込み、何かを数えてからようやく答えてくれた。
「うん、大丈夫そう。明日も会えると思う。ここでお話しましょう」
にっこりと笑われて、私の顔にも笑みが浮かんだ。
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