静寂な夏の終わり

◆ 出会い

 私が彼女を知ったのは、彼女が我が王国の姉妹たちとの樹液をめぐる喧嘩に巻き込まれていた時のことだった。

 喧嘩っ早い姉妹たちが他種族の妖精に突っかかっていくのはいつものことだったが、その度に私はハラハラしながら遠巻きに見守っていた。

 姉妹からすれば、こういう時こそ積極的に加勢してこそ立派な王国民であると言いたいところだろう。しかし、私としては、同じ森に暮らす他種族の妖精たちから、私たちの王国が──延いては女王ははが必要以上に嫌われてしまわないか心配だったのだ。

 もっとも、他種族に嫌われたところで女王は気にしないし、王国にさほど悪い影響も及ぼされないだろう。結局のところこれは単なる私の気持ちの問題に過ぎないわけだ。

 とはいえ、せっかく自ら樹液を堀当てたのに、私の姉妹に横取りされて腹を立てながら飛んでいってしまった多種族の彼女のことはかなり気になった。


 怒って……いないはずがない。そうなると仕事をする気も失せてしまい、邪魔者を追い払って浮かれながら樹液に群がる姉妹達からそっと離れ、私はあの飛んでいった多種族の妖精を追ったのだった。

 何のために?

 実はよく分からない。ただ、私は弁解をしたかった。言い訳なんて彼女は聞きたくないだろうけれど、一言だけでも謝っておきたかったのだ。

 だから、私は彼女を追いかけ、離れた場所で翅を休めているところに声をかけた。


「あの……少しいいですか?」


 すると、彼女は振り返り、私の姿を目にするなり思い切り顔をしかめた。


「なあに? もう樹液は探さないわ。せっかく堀当てたのに、あなた達って本当に乱暴ね」

「ご、ごめんなさい。みんな焦っていたんです。王国には女王だけでなく食べ盛りの子どもたちもいるものだから」

「わたしだってご飯は必要なの! でも、もういいわ。全く飲めなかったのではないし。腹八分がちょうどいいってことにしといてあげる」

「ありがとうございます。本当にごめんなさい」


 謝り倒す私を、彼女はちらりと見つめてきた。


「変わったひとね。あなたもあの蟻んこたちの姉妹でしょ? なんで謝るわけ?」

「それは……その……多種族の方々にも私たちの女王や王国を嫌いにならないでほしくて……その……」

「ふうん。やっぱり変なの。嫌いになるとかそんなのあんまり考えたことないわ。嫌いになったところで、そちらにもなんの影響もないのだし、あまり考えすぎないことね」


 微笑みを浮かべて彼女は言った。


「時間だって勿体無いじゃない」

「時間……?」


 私が首をかしげると、彼女は空を見上げた。途端に何処からともなく騒がしい旋律が聞こえてきた。ここのところいつも聞こえてくる音楽だ。前に聞いた話では夏の季節だけに響く多種族の歌らしい。

 その歌を聞いて、彼女は微笑みを浮かべた。


「良い声ね。素晴らしい旋律に魂の震えるような歌詞。最高の唄だわ」 


 うっとりとする彼女と共に、私もまた耳を澄ませた。

 聞こえてくる唄の良さは、残念ながら私にはちっとも分からない。

 素晴らしい旋律も、魂の震える歌詞も伝わってはこない。どちらかと言えば、五月蠅いという感想に近かった。

 困惑しながら私は彼女に言った。


「あれ、なんて歌っているんですか?」

「お嬢さん、僕と恋をしませんか? 分かりやすく言えばそんな感じよ」

「へえ、よく分かりますね?」

「ええ、だってあれ、わたしの仲間の歌だもの」 


 そう言って、彼女はどこか得意げになって私に語った。


「あの歌はね、わたし達に捧げられる恋の唄なのよ。歌っているのは同じ時期に生まれた紳士たち。その唄を審査するのがわたし達の役目なの」

「あなたは歌わないんですか?」

「その必要はないの。それに歌うより唄を聞く方が好きだもの」


 そう言って悦に浸る彼女に、私はおずおずと声をかけた。


「あの……それで、審査してどうするんですか?」

「別に、どうもしないわ。まあ、強いて言うならば、審査の結果、気に入った殿方に近づいていって、恋をすることもあるかもね」

「恋……」


 彼女の話は実に難しい。聞いていてもさっぱり理解できない。

 そもそもその「恋」という単語自体が私にはよく分からなかった。


「恋って何なんですか?」


 訊ねてみると、彼女は目を丸くして、穴が開くほど私を見つめてきた。


「あなた、本気で言っているの? 恋って何なのか知らないの?」

「え、えっと、ごめんなさい。勉強不足で」

「勉強不足とかじゃないわ。妖精なら皆知っているんだと思っていた。蟻って立派な王国に暮らしているのでしょう? 素敵な殿方くらいいるでしょうに」

「殿方……ですか。その、兄弟ならいるのですが。……それに、兄弟たちはいずれ王国から飛び立ってしまうのです。女王の資格があるものと結婚するために」

「なるほど? ちょっと分かったかも。それがわたしの言う、恋にあたるのかもしれないわね。で、恋をするのは女王だけ? あなたは? しないの? 何のために生きているの?」

「ええっと、何のためって言われましても……」


 私はうんうん悩みながら頭を抱え、ふと、どうしてこんなに質問攻めを受けているのだろうという疑問を抱いた。

 しかし、確かに何のためだっただろうか。

 常日頃気を付けているのは、王国の未来を担う女王陛下の健康と、まだよちよち歩きの弟妹たちの健康のことだった。

 なるほど。私たちはお国の未来のために働いているのかもしれない。

 それをそのまま伝えると、彼女は首を傾げてしまった。


「お国の未来? なんだか変ね。蟻ってとても生きづらそうだわ」


 そんな事を話している間に、遠くから聞こえる騒々しい歌がぴたりと止んでしまった。

 どうやら移動したらしい。次なる声はかなり遠くから聞こえてきた。

 彼女は空を見あげ、大きくため息を吐いた。


「お腹いっぱい食べて、良い歌を聞いて。わたし、蟻に生まれなくてよかった」


 率直に呟く彼女の様子に、私はいささかの不満を抱いてしまった。

 蟻としてのプライドが傷ついてしまったのだ。

 だが、ここで感情的に言い返したって、蟻としての品位を疑われてしまう。私は咳払いをした上で、他種族の彼女に問いかけたのだ。


「ほう。それは、さぞかし素晴らしい種族なのでしょうね。名前も存じ上げませんが」

「蝉よ」

「では、蝉さん。差し支えなければ、勉強不足の私にあなた方の素晴らしい日常をご教授いただけますか?」

「何でそんな事しなくちゃいけないわけ?」

「ちょっと興味がわいたのです」

「面倒くさい蟻さんね。時間が勿体ないじゃない……と言いたいところだけど、いいわ。わたしも最近は退屈していたの。あなたが満足するかは分からないけれど、興味があるなら教えてあげる」


 それが、私と彼女の関係の始まりだった。

 振り返ってみればあっという間の、けれどかけがえのない交流の始まりだった。

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