16話 ヴィジュルフ ~True nature~
私とライオライトは屋敷の応接間で、ティーテーブルを挟んで難しい顔をしていた。
「むむむ……ニグレド殿、本当にヴィジュルフははじめてですかな?」
「このヴィジュルフというボードゲームははじめてですが……故郷で似たようなゲームをしたことがあります」
「なるほど、どおりでルールの飲みこみが早いわけですな」
なにせ、このヴィジュルフというボードゲーム。
中身はまんまチェスだ。
<遊んでる場合ですかにゃ?>
そう言うな相棒。これも現地の情報を得るためだ。
「ほう、ならば……」
私はボード上のコマを一歩進めて、相手に手番を渡す。
「どうぞ?」
「むむむ……!」
私がボードの上で木彫りの精巧なコマを進めると、ライオライト伯は唸って熟考してしまった。
どうやらライオライト伯はこのヴィジュルフと呼ばれるボードゲームが好きなようで、私が興味があるように見えたのだろう。喜び勇んで私たちの間のティーテーブルに持ってきて、各コマの動かし方やルールを説明しはじめた。
「やりますなあ……しかし、これでどうです?」
ライオライト伯がほくそ笑む。
「むっ。そこにナイトを置かれると厄介ですね……」
見事会心の手である。
私はそのチャトランガ型ゲーム《チェス》の盤面を眺めて、先ほどの伯のように唸った。
ナイトを取りに行けばこちらの防御が薄くなり、ナイトを見逃せば数手で
しかもそのナイトの処理に手間取れば、こちらの攻撃が何ターンも遅くなる。
(しかしこのヴィジュルフというゲーム、面白いな……)
<そんなに面白いんですかにゃ? わたしにはただのチェスにしか見えませんにゃ>
(ああ、私もチェスに関しては宇宙で暇なときに、コンピュータの中級者レベルをクリアした程度だ……だが、そういうことではない。本質はコマの性質だ)
<コマのですにゃ?>
このナイトにしろ、ポーンにしろ、キングにしろ。
動きがチェスとほとんど同じである。
そう、銀河に古くから存在する古典的なボードゲームそのもののルールなのである。
これはこの惑星と銀河の人間が、ほとんど同じ思考体系を持っているということ。
(なにより翻訳機が、同じ単語……銀河のチャトランガ型ゲームと同じ兵種として翻訳している点が興味深い)
<にゃ……?>
人の思考体系はその知能が決めるものではない。生活様式や歴史が決める。
このボードゲームには、この惑星の人間たちが暮らしてきた歴史が色濃く反映されている。
(つまりだ、この惑星にも銀河で使われる戦術が応用でき、かつこれらの兵種は実際の戦場で用兵されているということだ)
<全然意味わかりませんにゃ……>
(ジル……お前は演算能力を組み立て工場に置いてきたんじゃないだろうな?)
<マスター、失礼だにゃー!?>
そして盤面を見て、私はふと思い出したことがあった。
チェスの特殊ルールだ。
この敵のナイトをわざとノーマークにして、こちらの懐で敵将を刺せるかもしれん。
「なら私はこうコマを進めさせていただきます……」
「なんと……!」
トラカイは盤面を見て、彼の主人に耳打ちする。
「それはわかっている。わかっているが……いや、では私はこちらに……」
お互い序盤から、手の読み合いが続く。
そして数巡後――。
「もう二手でチェックですぞ」
「むむ、これは一見、ライオライト様の勝ちのように見えますが……ニグレド様、降参でいいのでは?」
途中から盤面を覗いていたトラカイも私の顔を覗いてたずねてくる。
私たち三人はボードゲームを前に、ずっと唸っていた。
「いや、トラカイ待て。ニグレド殿?」
「む。なんですかな?」
私は余裕の表情で、ソファに深く腰かけなおした。
「この表情……これは、ニグレド殿なにか隠していますな……?」
「ええ」
私が静かに頷くと、ライオライト伯は感嘆の声を漏らした。
「おお……! ここからいったいどのような手が……長年ヴィジュルフを差してきましたが、見当もつきませんぞ」
「ならば……!」
私はずっと温存してきた手を使った。
盤面端のルークと中央に居座るキングの入れ替えである。
俗に言う
これで目の前に迫ってきていたナイトなどの攻撃からキングを安全な位置に逃がすと同時に、相手の切り札である攻撃コマを取ることも可能になった。
「おお? ニグレド殿、これは……?」
「見たことのない奇妙な手……というか、これは……」
首をかしげる主人と、ひたすら盤面をのぞき込んで悩むその執事。
私の起死回生の一手だったが、なにやらふたりの様子がおかしい。
私の特殊なコマの動きの意味を見出そうとしている。
「ニグレド殿……失礼ですが、ヴィジュルフではそのような動きはできませんぞ?」
ああ、しまったと私は内心あせった。
「失礼……故郷でのローカルルールをついつかってしまいました」
私は言い訳をしてコマを元に戻した。
その結果、結局――。
「はっはっは。はじめてにしては手ごわかったですな、ニグレド殿……」
「面目ない……やはり手慣れているご様子。また練習して、挑みたいところです」
今回の対局は負けてしまった。
<ズル《チート》して負けてますにゃ! にゃふふ!>
(AIが笑うんじゃない……)
まあ、仕方ない。ついつい熱が入って、ルールの確認を怠った私のミスだ。
「いやいや、それにしても楽しかったですな……」
「ええ……今日は屋敷にお招きいただきありがとうございます」
しかし屋敷の外はもう日が傾きはじめている。
おそらくもう数刻もしないうちに夜の帳が降りるだろう。
結局、目の前の男がどうして私をこの屋敷に招いたのかまではわからなかった。
「おっとこれは失礼。結局、遊んでいるだけで陽が傾いてしまいましたな。本当はニグレド殿に相談したいこともあったのですが……」
「相談したいこと?」
「いや、今日は時間がありません。今回は貴方に会えただけでよかった。またいらしてください、そのときにお話しますよ。ニグレド殿だったらいつでも歓迎ですので……」
ライオライトの真意はよくわからないが、今回は本当に面会以上の意味はなかったのだろう。
私は少し腑に落ちないものを感じつつ、その後、召使いたちに見送られ屋敷を後にした。
そして村へとまたあの乗り心地、最悪の馬車で、ひとり送られるのだった。
◇ ◆ ◇
「へえ、あれが?」
「え、ええ……領地の村落をひとつ救ったという出自不明の男です」
窓辺に立って、屋敷の二階――応接間の丁度真上の部屋――から馬車に乗り込むニグレドを覗く人物がいた。
少女だった。
ドレスを着て、着飾っていたが、不敵なその口元はとてもお淑やかさは感じさせなかった。
彼女は、近くに侍らせた若い召使――もしくはそれに準ずる男――にたずねた。
「あの男……強いの?」
「わかりかねます。救った経緯も、村に張り巡らせた罠だったとか……」
「ふうん……」
少女は窓辺で口端を歪ませて、男の召使に命じた。
「あの男が今度この屋敷に来ることがあれば、まずはあたしに教えなさい」
「はっ!」
「そのときは、このシャディ・ライオライトが直々に強さを確かめてあげる……あたしのこの得物でね!」
彼女は窓から一歩離れ、しゃんと、腰に差した細身の剣を引き抜いた。
そして笑いながら、ひと振り。窓に向かって、剣をしならせた。
◇ ◆ ◇
「ライオライト様、あのニグレドという男いかがでしたか?」
「……むぅ、恐ろしい男だな」
ふたり応接間に残ったライオライト伯と執事は、ニグレドが帰ったあとも話し合っていた。
「恐ろしい? どこがですか……失礼ながらわたくしの目には、凡庸な男としか映りませんでしたが?」
「トラカイよ、やつが差したヴィジュルフの手を覚えているか?」
「はっ。最後はライオライト様に敵わず、
「いいや、それは違うぞ。トラカイ」
「ズルではないと?」
「彼の言ったことのどこまでが正しいのかはわからんが、一部は正しいのだろう」
ライオライトは首を振った。
「だが、それは彼の本質ではない。あの一手は大したことではない」
「では、いったいライオライト様の言う手とは、どの手を指しておられるのです?」
「彼のあの特殊な手が通っていたとして、だ……」
「はい……」
「彼はあの場にいたるまでキングを動かしていなかった。わかるか?」
「はあ……」
トラカイは主人の問いかけの真意を掴みかねていた。
「わたくしには見当もつきません」
「ならば教えてやろう。あの男は……私のコマを前にキングを囮に使っていたのだ」
「馬鹿な……キングを取られたら、終わりのゲームなのですぞ。あの男はその
「違う。彼は絶対、わかっていて、あえてキングを囮にして私を誘っていたのだ。つまり、やつは……」
そこで立ち上がり、窓ガラスから庭の夕日に目を細めながらライオライト伯は語った。
「勝つためならば、自らの王さえも生贄に捧げる。そんな恐ろしい男なのだ」
「お、おお……なんと、それは悪魔のような……」
老執事は主人の推測に恐怖した。
一方、彼の主人は不敵な笑みを浮かべていた。
「なればこそ、面白いとは思わんか……」
「は……なにが、ですか?」
老執事は主の言った意味がわからず、一瞬の間をおいて、間抜けな顔で聞き返した。
「例のグラインダー山賊団の件……ニグレド殿に任せるというのは?」
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