2話 動機 ~Prologue~

<……スター……マ……! 起……さい……マスター!>


 誰かの呼び声で、私の意識はゆるやかに闇の底から昇ってきた。


<マスター! 起きてくださいですにゃ、マスター!>

「ジルか……状況はどうなっている?」

<よかったですにゃ!? マスター、意識が戻ったですにゃ!>

「なんだ、ずっと呼びかけていたのか」

<はいですにゃ! 不時着の衝撃でマスターの意識が途絶して、31時間43分59秒……一時も欠かさず呼びかけていましたにゃ!>

「不時着……」


 なるほど。だいたい状況は把握した。


「無事に大気圏内に突入できたのか」

<はいですにゃ>

「…………」

<にゃんですにゃ? マスター、体のどこかに異常がですにゃ!?>

「いや、そうではなく……ジル、お前のその語尾はなんだ。頭でも打ったか」


 私は相棒のしゃべり方に違和感を覚える。

 また相棒の冗談の類かと思ったが、どうやら違ったようだ。


<ああ、これは……ですにゃ。私にもわからにゃいですにゃ……ただどうやら、不時着時の衝撃によってデータの一部を破損したため、自己修復装置が変にゃ修復をしたらしいです……にゃ……>

「大丈夫なのか」


 私は真剣な面持ちでたずねた。


<あ、大丈夫ですにゃ! 少にゃくとも思考演算には支障はありませんにゃ>

「不時着と言ったな……艦内の機能はどうだ」


 決して広くはないこの巡洋艦のブリッジは半壊していた。

 現状私以外にパイロットはいないので各種専門職用のシートは封印してある。そのシート前に設置されたディスプレイは大半が割れてぷすぷすと煙を吐いていた。ブリッジの一部床材が隆起して破損し、中の配線が見えている箇所もある。そうした配線が破けて漏電し、火花を放っている部分すらあるような状況だ。

 私もハーネスと艦内の耐ショック装備のおかげで、一命をとりとめていたが、あちこち打ち身は避けられなかったようだ。少し体を動かすと痛みを感じる。

 この分だとハーネスによって圧迫された、脇腹などに痣が残っているかもしれない。


<艦の全機能の内81%が損壊しましたにゃ……>

「ずいぶんと酷い状況だ。やはり宙間専用機で突入行為はやりすぎか。ふふ……」

<にゃに、ワロてますにゃ……>


 相棒の呆れたような声がノイズ混じりのスピーカーから聞こえてくる。


「他に船員がいない中、よくやった」

<幸い配電設備にゃどは生きているので燃料電池で稼働させて、自動修復はしていますが……修復可能にゃ箇所は全体の31%ほどですにゃ>

「再脱出は可能か?」

<無理ですにゃ。たとえ艦の全機能が復旧したとしてもこの艦には、元々大気圏脱出用の装備がありませんにゃ。それにたとえあったとしても脱出のための反物質燃料を大気圏外で投棄しましたにゃ>

「反物質燃料を?」

<反物質が大気圏内の通常物質――たとえば酸素に触れた瞬間、ドカン……ですにゃ>

「はっはっは……」

<マスター、だからにゃんでそこで笑えるんですにゃ?>


 私は思わず低い笑い声で答えてしまった。

 長く無重力空間で生活していると忘れがちだが、反物質が通常物質と反応した際のエネルギー解放量は核融合反応をはるかに凌駕する。

 相棒め、『ドカン』とは可愛い表現だ。

 私はとりあえず燃料を投棄したことを褒めておいた。


「よくやった」

<当然ですにゃ。けど現状、致命的にゃのは生命維持装置が破損して、修復まで相当の時間がかかることですにゃ>

「なんだと、生命維持装置も壊れているのか?」


 思わず聞き返した。ではなぜ私はいま正常に息ができているのだろう。この艦内の酸素の供給はどこから。


「突入前にも言いいましたが、この星の大気組成は呼吸可能にゃほど標準惑星に近いものですにゃ。人体に有害にゃ物質も検出できませんにゃ」

「つまり、すでに艦内に外の大気を循環させているということか」

<循環というか……吹きさらしというほうが近いですにゃ。すでに不時着の損傷で艦内の気密は保たれてませんにゃ>

「外壁の損傷はそんなにひどいのか」

<81%ですからにゃ、外壁の装甲もほとんど惑星大地に削られて穴だらけですにゃ……轟沈しにゃかったのが奇跡ですにゃ>


 相棒のその言葉を聞いて、私はおよそもうこの艦は役に立たないということをようやく理解しかけていた。

 自動修復装置にしても一週間や二週間でどうにかなるものでもないだろう。


「ならば外に出よう。案内を頼む」

<わかりましたにゃ>


 私はところどころ千切れかけたハーネスを手動で外し、キャプテンシートから立ち上がってブリッジの後部扉から艦内通路へと出た。

 通路の各所には緊急時の赤色灯だけがぼんやりと灯っており、それ以外照明は途切れていたので非常に暗かった。


「通路が狭くて助かった」


 急な坂のようになった通路の左右の壁に両手をつき一歩一歩確実に進んでいった。

 そして外につながるハッチまでやってきた。ここが艦内通路の一番外周部だ。


「ジル、開けてくれ」

<わかりましたにゃ>


 通路に設置されたスピーカーから聞こえてくる相棒の声と、プシューという音と一緒に開く外部ハッチ。


「おお……」


 そしてそのハッチから頭一つ出して、私は珍しく感嘆の声を漏らした。

 そこには自然が息づいていた。

 木だ。木々があり、森があった。


「ジル、見ろ……自然だ……木だ、森がある……」


 私は緊張に張りつく喉でなんとか声を出して、相棒にそれだけ伝えた。


「歴代連盟盟主たちも、帝国の皇帝でさえもこんなリゾート地に足を踏み入れた覚えはないだろう」


そして私は静かにそうつぶやいてジルに聞いた。


「この惑星の情報は?」

<不明ですにゃ>

「不明?」

<連盟星図に記載されていませんにゃ……未登録惑星ですにゃ>

「…………」


 銀河の端から端まで網羅している連盟星図。それは民間にも無償提供されている。それを使って、人類の大半はこの広い銀河を旅しているというわけだ。

 しかし、そんな連盟の星図にも登録されてない惑星があるとは。


<三回ワープしたとき座標をランダムに設定したせいで、かにゃりの辺境に来てしまったようですにゃ>


 何の因果か。偶然迷いたどり着いた先が人類未踏惑星とは。


「ふふふ……ふっはっはっは!」

<まーた、笑ってますにゃ。不気味ですにゃ>

「これが笑わずにいられるか。人類の未開拓地域フロンティアが目の前にあるのだ」


 私は久しぶりに高揚していた。こんなにも気分が浮かれたのは、それこそこの世に生まれ落ちたとき以来かもしれん。

 私は艦の外に出ると、外壁に腰をついて外の光景を眺めた。

 深呼吸する。


「ジル、ここは、この星はいいな。死骸の匂いがする」

<にゃにをいい笑顔で物騒にゃことを。普通こういうときは生きた香りとか言うんじゃにゃいんですかにゃ?>

「いいや。死骸の匂いがする。それは逆に言えば、この惑星が生きているからだ」

<AIに道徳的哲学はやめてくださいにゃ>


 いい。この惑星はいいぞ。

 私の飢えを、乾きを癒してくれる。

 新鮮な驚きを提供してくれる。私には、そういう確信があった。

 この艦の外壁から望む山間の光景に、匂いに紛れてそういうイメージをひしひしと感じる。


「行くぞ」

<どこへですかにゃ?>


 私はその場に立ち上がって、叫んだ。


「この惑星を探索する。探検だよ、ジル」

<にゃ!? 登録されてにゃい未開惑星に許可にゃく踏み入るのは、連盟法の軽犯罪ですにゃ!>


 相棒が慌てたように言う。しかし私は落ち着いて、ゆっくりと言葉を返した。


「連盟法違反? これだけ大きなゴミを投棄しておいていまさらだ」


 私は宇宙船の外壁をこんこんと小突いて言った。


<いや、それは……>

「それに……忘れたのか?」

<え、にゃにをですかにゃ?>

「ジル。私たちはなんだ」

<また哲学的にゃ問いですかにゃ?>

「違う。我々はなにを生業にしているのか」

<それは民間シャトルや、輸送機にゃどを襲撃して……あっ>

「そう――我々は宇宙海賊だ」


 連盟法違反の、何を恐れる必要があるだろうか。

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