第50話 決着 その2
「なんで、学校を辞めるとか急に言いだしたり、いなくなったりしたの?」
俺は、本題に入ることにした。
「俺も、加嶋だって心配してたし、それに結果的に九重先輩だって巻き込んだことになるんだよ? 色んな人が心配したんだ」
「ごめん、ちゃんと話すね」
石動は、パンと一緒に買っていたらしいミネラルウォーターで喉を潤してから言った。
「私さ、この前、文斗が私のこと女の子として見てるって言ってくれた時に、『文斗より賢くんの方が好きだから』みたいなこと言ったでしょ?」
「うん、覚えてるけど……」
俺としても、石動との再会後に一番ショックを受けた言葉ではあった。
俺に対するのと、加嶋に対する『好き』は違うのだと言われてしまった。
はっきりと『好き』と伝える告白ではなかったけれど、俺からすれば彼女になってほしいと伝える告白以上の意味を持っていた。
なにせ、石動と会ってからずっと自分で認められなかったことを、初めて認めて口に出すことができたのだから。
「やっぱり賢くんは私の彼氏だし、高校の時に助けてくれた大事な人だし、賢くん以外の人を好きになったらダメだって自分に言い聞かせてたんだけど」
石動は、加嶋に恩義を感じているのだと言っていた。
「でも、文斗と過ごしててわかったんだよね。……私、賢くんの方が好きとか言ってても、本当は文斗の方が好きなんだって。……だって、文斗と再会してから、ずっと文斗のことばかり考えるようになってたから。賢くんと一緒の時でも、文斗だったらどうするかな、なんて考えてて、上の空になっちゃって」
加嶋からすれば、溜まったものではないだろう。
「髪も昔みたいに戻した時、賢くんはさぁ、『どうしちゃったの?』って顔してて。賢くんって黒髪ロング派だから。悪いなぁって思ったけど、あの時にはもう文斗の方に気持ち動いちゃってたんだよね。『文斗はこっちの方が好きだよね』って思いだけで美容院行っちゃって、その時は、賢くんのこと気にしてなかったから」
すると石動は、照れくさそうにしながらもジト目を向けてきて。
「……だから、文斗とえっちして情が移ったとか、そういうことじゃないから。体の相性がどうこうとか、そういうので文斗の方を好きって思ったんじゃないからね」
「あっ、おう、わかってる。石動はそんなことするヤツじゃないよな」
照れくささが俺に飛び火して、ついつい視線をそらしてしまう。
結局のところ、石動の失踪騒動には、俺の存在が強く関係しているのだと認めざるを得ない。
「結局さぁ、私は口じゃなくて、なんかもう体全体で文斗のこと好きだから、ああいうことになっちゃったわけで……もう文斗の方が好きってわかってるのに、助けてくれた人として賢くんも大事にしないといけないし、だったらこれからは文斗を好きなのに賢くんを好きなフリし続けないといけないのって思うと……自分で決められなくなって、全部投げ出して逃げたくなったの」
「それで、退学するなんて言い出したの?」
俺が訊ねると、石動はうなずいた。
「学校辞めるのだって、本当にそう考えてた。でも、大学にいる時に偶然一桜ちゃんに会って、この人ならって相談したの。誰かに相談する程度には私も大人だったから。それで……とりあえず、そういう理由で大学を辞めるのは止せ、って一桜ちゃんに怒られた」
いい加減に思えた九重先輩だけれど、そういうところは真面目らしい。
おかげで、石動が早まった真似をしなくて済んだわけだ。
「代わりにこうしたら? っていうアイディアをもらったの。それが、こうして『大事な人』が助けてくれた思い出の場所に逃げることだったわけ」
「つまり、九重先輩と組んで一芝居打ったってわけか……」
「そんな感じになるのかなぁ。私のせいで、一桜ちゃんも巻き込んじゃった」
「九重先輩は、気を悪くしちゃいなかったよ。……ノリノリだったから」
あの先輩だけは、未だに読めないところがある食わせ者だ。
たんにもう学生生活をやり尽くしていて、刺激に飢えているだけかもしれないけど。
「だから、『大学辞める』って言った時は、もう辞める気はなくしてたんだよね。賢くんと文斗にそういうメッセージ送った時には、もう」
「待て。俺は受け取ってないけど? 俺は、血相変えて石動を探してた加嶋に見せてもらって知ったんだし」
「えっ、メールの方に来てない? 文斗ってNINEやらなそうだし、だったらメールの方がいいかなって賢くんにメッセージ送るのと同時に送信したんだけど?」
「ちょっと今見て……あっ、本当だ」
石動を探して、スマホなんて見ている余裕のないうちに着信したのか、未読メールが一通あった。ついさっき着信した様子だ。
「そうだ、俺、スマホはいつも節約モードにしてるから、メールの着信が普通より遅れて来るんだよ。どうせ急を要するメールなんて来ないからって高をくくってたんだ」
「あー、そうだったんだ」
石動に微笑みが見えた。
「文斗のこと、まだまだ知らないことばかりだね」
「まあ、中学の時は、俺も石動もスマホ持ってなかったし、どんなスマホの使い方してるか知らなくたってしょうがないんじゃない?」
「3年もブランクあるもんね」
石動の微笑みには、寂しさが垣間見えた気がした。
10代の丸々3年間を、俺は石動ナシで過ごした。
高校生だったあの頃は、長年一緒にいた相手が欠けた空虚さを抱えて過ごしていた。
何かが足りないまま過ごしていたけれど、虚しさこそあれど、強烈な寂しさはなかった。
今は違う。
こうして石動と交流を再開した今となっては、もはやあの頃のような石動の欠けた生活に耐えられそうもなかった。
「あのさ……」
石動には、今、彼氏がいるのだ。
俺を好きと言ってくれるけど、別れてはいないのだから。
加嶋だって、未だ石動を好きに違いない。
加嶋も加嶋で、必死に石動を探そうとしていたし、大事にしているのは目の当たりにしてわかっている。
けれど、俺だって、もう引く訳にはいかない。
「もう一回言うけど、俺は……石動のことが好きだ」
まさか、初めて本格的な愛の告白をする相手が、彼氏持ちの女になるとは思ってもみなかった。
それでも俺は、石動としっかり視線を合わせる。
大事な話だとわかっているのか、石動もまた、俺から視線を外すことはなかった。
「石動の今の状況はわかってるけど……俺は、石動とずっと一緒にいたい」
俺の告白を受け入れるということは、加嶋と別れないといけないということ。
単なる告白よりも、経なければいけない過程があるから、受け入れてもらえるハードルが高い分、断られる不安は大きかった。
石動は、手にしていたペットボトルのキャップを、指先でぐりぐりしながら。
「周りを巻き込むめんどくさい子でも?」
「……石動は昔からめんどくさいよ。わざわざ俺のために男子の格好をしてくれたくらいだし。ちょっとめんどくさい方がいいんだよ。謎掛けみたいで、この人はどんなことを考えてるんだろう、って思えるから、もっと深く興味を持てるんだ」
「そ、そうなんだ」
どうやら石動ですら躊躇うくらい恥ずかしいことを言ってしまったみたい。
「えーと、じゃあそのさぁ」
もじもじしながら、石動はペットボトルのキャップに中身を注ぐという不思議なことをする。
「私も文斗のこと好きだし、ずっと一緒にいたいから」
待望の言葉がやってきた。
だというのに、石動の様子が妙だ。
「私のお水、飲んで?」
「待って。なんで盃を交わす儀式みたいなことしようとしてるの?」
「いやなんとなく……」
こちらから顔をそらして、キャップだけ寄越してくる。
「いいから、私の盃、飲めるの、飲めないの?」
「ありがたく飲むけどさ」
俺は、グイッと一気にキャップの水をあおった。
俺、告白の返事を受け入れてもらう時は、もっと甘酸っぱくなるような言葉とか行動を示してくれるものと思ってたんだけど。
「照れ隠しなら、もっと可愛くやって欲しかったよ」
「文斗の前で可愛いことするの難しいんだよ……!」
石動は、手にしていたペットボトルをグビグビとやる。
「昔のこと思い出しちゃったから、余計に! あの頃の私は、『イケメン女子』だったんだから!」
「うん、わかった。精一杯頑張ってくれてありがとうな」
そして石動もとうとうイケメン女子を自称するようになったか。
「文斗さぁ、私が今日をキッカケに『イケメン女子』に戻っちゃったら、ぜんぜん可愛くないよ?」
「いや、いいんじゃない?」
「……文斗?」
俺は、すぐ隣にいるのをいいことに、石動の肩を引き寄せる。
そして、ちょっとだけ躊躇いはあったけれど。
言葉以外でも俺の気持ちを示さなければ、という強い思いを持って、石動の唇に自分の唇をそっと押し付けた。
「石動は、石動だし。今はちゃんと可愛い女の子だよ」
俺はもはや、石動が清純派女子アナスタイルだろうが、ボーイッシュスタイルだろうが、どうでもよかった。
石動蒼生その人さえいれば、それでいいのだから。
石動は、薄暗い場所でもわかるくらい頬を染めて、唇を指先でなぞっている。
「あ、文斗……な、なんか妙に慣れてない? 一体どこで……」
「優秀な『先生』に実地訓練で教えてもらったのがよかったんでしょ……なんで忘れるの。ぷるぷるしなくでいいでしょ」
「あっ、そっか。文斗も私に染められちゃったってことだよね」
ニコニコしながら石動は、俺の肩にもたれかかってくる。
「……私、賢くんとちゃんと別れてくるよ」
湿っぽい声で、石動が言った。
「賢くんは本当にいい人だから、別れ話する時のこと考えると、ちょっとキツいけどね」
「石動にばかり負担掛けてごめん」
「これは私の問題だから。文斗は気にしないで」
石動なりに、決意をしたのだ。
あまり俺が口を出すのもよくない。
俺にできることは、石動が恩人との別れを終えたあと、石動を暖かく迎えることくらいだ。
「もう夜だし、今日はせっかくだからうちの実家に泊まってく?」
「いいね。私も久しぶりに文斗のママに会いたかったし」
「あんま変わってないけどね」
そして俺は、石動と手を繋いで一緒に洞穴から抜け出る。
公園を出た時、俺はもう一度、因縁の滑り台を振り返った。
「どうしたの?」
石動が言った。
「いや、なんでも」
この公園の思い出があるおかげで、俺は石動を見つけることができた。
「石動が、もう二度とこの公園に逃げ込まないようにしないとって思っただけ」
つまりは石動をもう悲しませたくなかったのだ。
「そっか。だったら安心してよ。私はもうあの洞穴の中でしくしくしたりしないから」
石動はそう言って、俺の腕をぐっと胸元に引き寄せた。
「私が悩んだり苦しんだりした時に行くのは、あそこじゃなくて、文斗の隣だから」
石動が見上げてくる。
嬉しすぎる言葉だけれど、その分、重圧もある。
それだけ俺を信じて頼ってくれる以上、俺が石動を傷つける存在になってはいけないのだから。
でも、とりあえずは、できないかもしれない、という可能性に怖気づきたくはない。
石動は、ようやく俺の隣にいてくれるようになった。
それだけで俺は、何でもできるような気になれる。
だからこそ、石動が悲しくなったり辛くなったりした時の拠り所に、何が何でもなってやろうと思うのだった。
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