第48話 思い出の場所

 まさか、こんなにも早く地元に戻ってくるとは思わなかった。

 本来の予定では、夏休みくらいにお盆も兼ねて母親に顔を見せに帰るつもりだったのだが……仕方がない。


「ぜんぜん懐かしくない風景だ」


 育った町の最寄り駅に立った俺は、僅か2ヶ月ほど前に見たばかりの光景を前にし

ている。


 すっかり東京の感覚に慣れてしまったみたいで、こんなにも地元の町は寂れていただろうか? と疑問に思ってしまう。


 夕焼け空に照らされているせいか、いっそう寂しく映ってしまっていた。

 実際、駅前の商店街は、隣町に大型ショッピングモールが建設されたこともあって、多くの店でシャッターが降りている。

 営業している店も、いったいどんな人が買いに来ているのかわからないような服屋だったり、常連さんだけで持っているような理髪店や中華料理屋だったり、歩いているとあまり活気を感じられない。


 それでも……ここが俺が育ち、石動が中学生までいた町だ。


 しばらく商店街の通りを歩いていると、寂しいという感覚は次第に薄れ、肌感覚に染みた懐かしさに溢れていき、居心地の良さを感じるようになってきた。やはり腐っても地元の町である。


 そして俺は、とある公園の前にたどり着く。


 その時には、もう夜になっていた。


 俺の実家であるマンションから、さほど離れていない場所にある公園なのだが、地元の子どもは小学校の近くにある、より広くて綺麗な公園の方へ行ってしまうので、ここで遊ぶ子どもはあまり見かけなかった。そのせいか、整備不良気味で、遊具も老朽化が目立つ。


「石動は……」


 パッと見たところ、石動の姿はない。

 あてが外れたか、と一瞬心配になる。


「違うだろ。あの時……石動は隠れていたはずだ」


 この公園は、遊具なんてほとんどなかったけれど、一箇所だけ目立つ場所があった。

 公園の中央に位置する、滑り台である。

 滑り台の土台は、半球型の穴蔵になっていて、ところどころ穴が開いている構造だったから、中に入ることができる。


 滑り台へ向かう俺は、鼓動と連動するように早足になった。

 緊張で足がもつれそうだ。

 もし、ここにいなかったら……もちろん他の場所だって探すつもりだったけれど、俺にとって傷心の石動がいるのはここである、と強く認識していた。


 それに、この場所にいるのであれば、それは俺と石動の間で意思の疎通が取れている証明になる気がした。

 だから、なんとしてもこの公園にいて欲しかったのだが。


「石動!」


 俺は、穴の一つに首を突っ込む。

 大人でも用意に体を入り込ませられそうな大きさの穴の向こうには。


 誰の姿も、なかった。


 光が届きにくい薄暗い穴蔵の中は、吹き抜ける風の音が聞こえるくらいがらんとしていた。


 俺の脳裏に描かれていた、背中を丸めて寂しそうに座っている小学生の石動の姿が掻き消える。


「ここじゃ……なかったのか……?」


 穴蔵の中に、身を屈めながら入り込んだ俺は、膝から崩れ落ちそうになっていた。

 

『「大事な人との思い出がある場所」だ』

 

 九重先輩はそう言った。


 つまり、石動が向かったのは、俺との思い出があるこの公園ではなく、加嶋との思い出があるどこか別の場所だったということか。


 石動を見つけたら連絡をしよう。

 そう言って別れた加嶋からの電話は、まだない。


 見つかっていないのなら、俺にもまだ石動を見つけるチャンスはあるし、他の場所の心当たりがないではないのだが、俺にとっては、ここが揺るぎない第一候補だっただけに、心が折れそうだ。


 挫けそうな俺は、石動と交わした、こんな言葉を思い出す。


 銭湯からの帰り道で、俺が石動を『異性』として意識していると告白した時のことだ。

  

『でも、文斗いないんだもん』

  

 そんな、石動の嘆きの言葉がフラッシュバックする。


 東京の高校へ行き、育った町の環境とまったく違う高校生活では、石動はそれまでのようなイケメン女子な生き方をすることができなかった。


 石動は、心の中で、俺が会いに来てくれることを期待していたのに。

  

『会いにも来てくれなかったし、電話もメッセージもくれなかったよね?』

  

 何も動けなかった俺を、石動は悲しげに見つめていた。


 俺は、東京の高校で楽しくやっているのだろうと思い込むことで、別れたあとの石動の眩しい姿を目にして落ち込んでしまわないよう、身を守ることに精一杯だった。


 今度こそ、という気持ちがあった。

 あの時の繰り返しにならないように、俺は石動のために動こうとした。

 だが、俺は結局、同じことを繰り返してしまったのかもしれない。


 動いたところで、石動を救えていないのなら、何もしなかったも同然だ。


 顎先にパンチを食らってしまったみたいに、俺は崩れ落ちるように座り込んでしまう。


 加嶋から連絡がない以上、まだ石動を探さないといけないっていうのに。

 立ち上がらないといけないのに、足が言うことを聞かない。


「……石動」


 とうとう、情けない声すら漏れてしまった。


「いや、まだだ、まだ……」


 声は情けないままだけれど、俺はどうにかして立ち上がろうとする。


「俺は、石動のことが好きなんだ」


『同性の友達』としても、『異性』としても、ずっと好きだったことに変わりはない。


 大事な人だ。

 これから先どんな結果になろうとも、諦めることだけはしてはいけない。


 俺は今まで、彼女になってほしいと告白したこともなければ、異性に対して、冗談か本気問わず『好き』と言ったこともなかった。


 だからこそ、面と向かって、『好き』を伝えた相手のことは、いい加減な扱いをしたくなかったのだ。


 そう思うと、だんだん体が動くようになってきた。

 恋愛感情をあらわにするのが苦手な陰キャだからこそ、俺は自分が吐き出した気持ちを大事にしたかった。


 石動の期待だけではなく、自分の気持ちを裏切ることのないように、俺は足に力を込める。


 ゆっくりと、けれど確実に、俺の腰は上がっていく。


「まだ、立ち止まっていられない……!」


 最後まで足掻かなければいけない。

 立ち上がった勢いで、穴蔵から外へと出ようとした時だ。


 俺の目の前の穴が、突如として黒い影により塞がった。

  

「――えっ、文斗?」

  

 戸惑うようでいて、何だかとても懐かしい響きがする声が、穴蔵の中を反響する。

 一瞬、幻聴かと思った。


「ど、どうしたの、こんなところで……」


 けれど、薄暗い穴蔵の中を、身を屈めて覗き込んでいるのは。


 間違いなく石動蒼生その人だった。


「石動……?」


 まさか、俺が見つけるはずの予定が、逆に見つけられてしまうとは。


 俺は本当に情けないヤツである。

 何一つ上手くできないし、かっこよくスマートに決めることすらできない。

 けれど今は、目の前に石動がいることが嬉しかった。


「石動、お前、探したんだぞ」


 ゴールデンウィーク中に散々見た顔だというのに、まるで初めて目にしたような新鮮な驚きがあった。


「お前、急に黙っていなくなるなよ」


 そして、石動の短めの髪も、凛としているけれどどちらかというと丸っこい顔も、昔よりずっと柔らかい印象になった雰囲気も。


 初対面のようで、おまけに好きになってしまうような、興味のすべてがそいつに向かってしまうような感動を覚えた。

 まるで、初恋を2度もしてしまったような感覚だ。


「ごめん……」


 石動は言った。

 目の端に、涙が浮かんで見える。


「いや、謝らなくていいよ。とにかく、無事でいてくれてよかった」


 俺はそれだけの気持ちしかないのだが、石動はすんすんと鼻を鳴らしてしまう。


「文斗さぁ、今度は、来てくれたんだね」


 石動は涙声だった。


「試すようなことして、ごめんね」


 俺は石動の手を取り、そっと引き寄せ、そのまま抱きしめてしまった。

 石動も、俺に腕を回してくる。

 たった一夜のこととはいえ、裸のままで抱き合ったこともあるというのに、こちらの方がずっと感動的で、満たされた気分になってしまうのだった。

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