第47話 頼みの綱
その点、今回ばかりは幸運だった。
「越塚、どうした? イケメンなんか後ろに連れて」
部室に入ってすぐ、パイプ椅子に脚を組んでふんぞり返っていた九重先輩がいた。
「先輩、あの」
俺は言った。
「石動がどこにいるか、知りませんか?」
「石動がどうした?」
「実は――」
俺の後ろにいた加嶋がスマホを取り出し、九重先輩に石動からのメッセージを見せた。
「なるほど。そういうことか」
先輩は至って冷静だった。
「それで、君は?」
「蒼生の彼氏です」
「ほう。君が」
脚を組み直した先輩は、こんな時だというのに、やたらといじわるそうな表情をして。
「それならあたしとは相容れんな。あたしは、越塚派だから」
「越塚派……?」
戸惑う加嶋が俺を振り返る。
「石動と付き合うべきなのは、越塚だと考えている勢だ」
「九重先輩、今はふざけてる場合じゃないでしょ」
たまらず俺が間に入った。
先輩は以前からそんな風なことを言うのだが、いくらなんでも正真正銘の彼氏の前で言うようなことではなかったし、第一今は緊急事態だ。
「悪い悪い」
先輩が言った。
「だが、あたしに話を聞きに来たのは、本当に良い判断だったと思うぞ」
どういうことですか、と訊ねる前に、先輩が続ける。
「越塚は聞いているかどうか知らんが、あたしは石動とはよく話す仲でな。石動のことには、これでも相当詳しいんだ」
確かに石動は、俺がいないところでも九重先輩とよく話しているようだった。
いつの間にか名前呼びをするくらい親しくなっていたことには驚かされたくらいだし。ひょっとしたら、サークルとは関係ないところで会ったこともあるのかもしれない。
「だから、石動がどこへ行ったのかも知っている」
「「どこに行ったんですか!?」」
食い気味に先輩に迫ると同時、すぐ隣で加嶋も同じことをしていた。
「その前に。一旦落ち着け。そんなに慌てていると、お前ら揃ってどこかで事故りそうだ」
「落ち着いていられないですよ」
俺は結論を急いでいた。
「まず、あたしは今朝、石動と会っている。その時感じたのは、とりあえず石動が、そいつに書かれている通りに退学する可能性は限りなく低いこと。これはあたしが保証しておこう」
先輩は、胸の前で腕を組む。
「これでも、大学の3年ちょいで多くの学生を見てきている。中には退学で消えていく者もいたが、あたしの見たところ、石動にそんな雰囲気はなかった。まあ、ちょっとは迷っていたみたいだけどな」
先輩のそんな言葉で、俺の中の焦りが少しだけ消えた。
「あたしに相談したのは、良い判断だった。安心しろ、ちゃんと事情を聞いて、とりあえずこの学校を去るようなことだけはするな、と説得しておいたから」
「そうだったのか……先輩、ありがとうございます。こう、話すのは初めてですけど、蒼生が学校を辞めないって聞いて安心しました」
「もっと褒めていいんだぞ?」
加嶋の言葉に、九重先輩は気を良くしたようだ。
俺も加嶋と同様、九重先輩は本当にいい仕事をしてくれたと思う。
「だが、解決方法としては最悪な手段こそ回避できたものの、石動の悩み自体は消えていないようだ。あいつは今、とある場所で頭を冷やしている最中。悩みがあるのなら、そこで精一杯悩め、と伝えておいた」
先輩の口ぶりからは、石動が今いる場所を知っている感じがした。
「石動は、今どこにいるんですか?」
俺は訊ねる。
「『大事な人との思い出がある場所』だ」
それが、先輩の答えだった。
「そこに向かえば、おまえの悩みもなくなる。あたしはそう助言した。これ以上は教えないぞ」
「そんな……どこか教えてくれたって」
加嶋が不平を口にする。
俺も加嶋と同じ気持ちだったのだが……どういうわけか、俺の頭には、石動とのとある思い出が浮かんでいた。
石動は今、傷心中らしい。
傷つく石動を前にしたのは、何も今回が初めてじゃない。
俺は石動蒼生と、小学生から中学生までほとんどずっと一緒だったのだ。
楽しいことや嬉しいことばかりではなく、辛いことや傷ついたことにだって直面している。
石動が傷を癒やす場所となったら……あの場所だ。
もっとも、それは昔の話で、もし石動があの頃の記憶が薄れるくらい内面が変わってしまったのならどうしようもないけれど。
それでも。
石動が俺を、『大事な人』と捉えているかどうかはわからないけれど。
「わかりました。行ってきます」
気持ちより先に、足の方が動いていた。
「おい、越塚……おまえ、わかるのか? もう少しねばって、先輩から場所を聞いた方が」
ドアノブに手をかけた時、加嶋が背中に声を掛けてくる。
加嶋の気持ちもわかる。
九重先輩のやり方は何だかゲーム感覚で、ひょっとしたらまだふざけているんじゃないかと感じたっておかしくはない。
真面目に、ちゃんとした答えを教えてもらうまで粘った方が確実だ。なにせ九重先輩は、石動の居場所を知っているのだから。
その考えはわかる。
なにせ、相手は加嶋にとっても大事な人だ。
より確実に見つかる方を選ぶに決まっている。
「俺は、大丈夫だ。わかるから……たぶん」
最後は弱気になってしまったが、俺の中には確信があるのは確かだ。
「越塚……そうか、わかった」
加嶋が言った。
迷いは消えたような口ぶりだった。
「オレも、思い当たるところに行くことにする。だから、連絡先を交換しておこうぜ。見つかったら、すぐに連絡を取れるように」
「そうだね」
俺たちは手早く連絡先を交換し、部室を出る。
「あの、越塚。もしお前の方が先に見つけるようだったら……」
「加嶋、今はとりあえず石動を見つけよう。いくら心配する必要ないからって、一時は退学まで考えた人間を放っておくのはマズいから」
「そうだな……ああ、早く見つけてやろう」
俺と加嶋はほぼ同時にサークル棟を出て、最寄りの駅へと向かった。
俺と加嶋の行き先は、その時点で別れ、互いに別の電車に乗ることになったけれど、その時にはもう、加嶋と競争をしている、というような感覚はなく、ただひたすら石動がその場所にいるイメージばかりが湧き上がってくるのだった。
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