第43話 情動

 石動が寝ている横で、俺だけいつまでも起きているわけにもいかないので、この日は日課の勉強はさっさと切り上げて眠ってしまうことにした。


 軽くシャワーを浴びて、いつものように、石動がいる側とは反対側の壁の側に座布団と毛布でつくった簡易布団のところで横になる。


 今日は、本当に色々あった。


 やたらと密度が濃い一日だったような気がして、俺もだいぶ疲労していたようだ。

 横になった途端に、まどろみがやってくる。

 布団で横になっている石動は、ぐっすり眠っているようで、寝返りすら打とうとしない。


「石動も、俺と同じように疲れてたのかな」


 俺にとっては大事な一日になってしまっただけに、石動にも何かしら深く感じるものがあれば、と思ってしまった。


 眠りに落ちれば、今日が終わる。

 明日から先は……どうなるかわからない。


 ひょっとしたら今まで通りでもいられるのかもしれないし、やっぱり俺の方がダメでこれまでのように石動とは付き合えなくなるかもしれない。


「やっぱり俺は……石動と一緒にいたいんだろうな」


 石動が寝ているのをいいことに、俺は暗闇に向かってぽつりと呟く。


「まだすっぱり割り切れられそうもないし……なんで俺はこんなに石動のこと好きになってるんだろ」


 誰からも返事が期待できない状況で、俺はまたも告白めいたことを口にしてしまう。


 けれど、一緒にいると楽しく気楽でいられる身近な『異性』を、女慣れしていない俺が意識するなという方が無理な話に思えた。


 そのまま眠りにつきそうになった時だ。

 突然、けたたましい振動音が鳴り響く。


「なんだ……? 石動の方から音がするぞ……?」


 半ば覚醒状態になった俺は、音の発生源を推測する。


「これ、石動のスマホからじゃないか?」


 石動は、もはや我が家感覚で俺の部屋にいるようで、毎晩寝ている間にうちのコンセントを使って充電する習慣があった。


 俺のスマホは、あいにく連絡相手がいないこともあって電池の残量はまだまだあり、充電器に接続していないから、これは確実に石動のスマホ発の物音だ。


 現に、石動の枕元にあるスマホが明滅しているし。


「NINEじゃないし……アラームか? でも、なんでこんな時間に?」


 当の石動は、まったく起きる気配がない。

 よほど疲労が濃いのだろう。


 ひょっとしたら、アラームを設定する時にあまりに眠気がひどすぎて、間違った時間帯にセットしてしまったのかもしれない。


 仕方ない。昔から、石動のフォローは俺の担当だった。

 今回も、そうしてやるとしよう。


 個人情報の宝庫である他人のスマホに勝手に触れることになるが、アラームを止めるくらいなら平気だろう。石動が使っているスマホのメーカーは俺のと同じヤツだし、操作は同じなのだから、余計なところは見ることなくできるはずだ。


 俺は毛布から出て、ディスプレイを明滅させているスマホへ向かって這っていく。


 背中を向けて横になっている石動の向こう側に、スマホがあった。まだ鳴っている。


 石動を起こさないように、スマホに向かって石動越しに腕を伸ばす。

 ちょうどその時だった。


 俺に後頭部を向けていた石動が寝返りをうち、スマホに腕を伸ばしていた俺の顔と石動の顔が向かい合うかたちになる。


 体勢の上では押し倒すようなかたちなので、すぐ真下に石動の寝顔がある。


 ちょうどカーテンの隙間から月明かりが差し込み、顔がよく見えた。

 小学生の時に、石動の実家で遊び疲れて昼寝をしていた時に目にした寝顔と、そう変わらない穏やかな表情をしている。


 ああ、思い出した。


 ゴールデンウィークになり、石動を泊めた翌日。


『でも文斗って、私の寝顔好きでしょ?』


 文斗が以前言っていた、という理由でそんなことを聞かれたことがあった。

 俺に心当たりはなく、それは加嶋の発言なのでは? ということで、気まずい空気になった覚えがある。


『――石動の寝顔って、なんか落ち着くよ。普段の石動と違うからかもしれないけど』


 だが、確かに昔、俺も言っていたのだ。


 アクティブで勇猛果敢な小学生時代の石動は、ともすれば恐れられることも多々あったのだが、彼女の寝顔には、目にする人の心を落ち着けるような無垢な印象があったから。


 しばらく俺は、石動の寝顔に子どものことを思い出して、見入ってしまっていた。


 すっかり油断していたところに、石動の目が、ゆっくりと開いた。


 アラームは鳴り続けたままだ。

 そのせいで起きてしまったのかもしれない。


 はたから見れば、この状況はとてもまずい。

 夜這いを仕掛けているようにしか思えないかもしれない。


 形式上、俺は石動に選ばれなかった側なわけで、実力行使に出た不埒者として扱われるかもしれない。状況は最悪だ。


 俺の脳裏に、瞬時に弁解の言葉がいくつも浮かぶ。

 石動のスマホが唸ってたから、止めようとしたんだ。

 そんな言葉を、口にしようとしたのだ。


 けれど、自らの行いの正当性を証明する機会はやってこなかった。


 石動は、俺の首に向かって両腕を伸ばしてくる。

 するとそのまま、俺は顔を引き寄せられ、自然と石動の唇とふんわり衝突するかたちになった。


 予想外の行動に、驚くしかなかった。


 もはや完全に可能性が絶たれたと思っていたから。


 理由を聞く気にはなれない。


 聞いた時点で、夢から覚めてしまう気がした。


 石動から、唇をついばまれているようなキスをされていると、戸惑うばかりだった俺の脳も次第に弛緩していき、石動の唇にただ唇を押し付けるようなぎこちないキスで応えてしまう。

 それでも石動は、俺のレベルに合わせてくれていた。


 石動の唇に触れ続けながら、未だアラームを鳴らし続けるスマホが視界に入る。


 ディスプレイを目にして、音の正体がアラームではないことに気づいた。


 ディスプレイは、電話の着信とともに、発信者の名前を知らせていた。

 夜中に恋人の声が聞きたくなって電話してきたというところだろう。

 この時点で、もうだいぶ長い間石動を呼び出そうとしていることになる。


 じきに、もう眠っているのかもしれない、と向こうは諦めるに違いない。


 放っておくつもりでスマホを見ていた俺の視界に。


 石動の左腕がそっと入り込んできて、上から下へ、宙を薙いだのが見えた。

 明滅を続けるスマホは、コンセントが届く限界まで遠く飛んでいき、暗闇の中に消えると同時、震える音もやがて止んだ。

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