第42話 最後の晩餐 その2

 アパートに戻ってきた俺たちは、早速夕飯の準備に取り掛かることにした。


 とはいえ、ただ焼けば成立する焼肉パーティなので、野菜は適当にカットすればいいだけだし、準備らしい準備はご飯を炊くことだけだ。頑張るのは俺ではなく、炊飯ジャーである。


 普段は折りたたんで部屋の端に置いてある食事用テーブルを部屋の真ん中に設置し、そこに大家から借りてきたばかりのホットプレートを置いた。


「ああ、そうだ。ホットプレートを借りる時に大家からこれも押し付けられたんだけど……」


 俺が石動の前に掲げたビニール袋の中には、キンキンに冷えたノンアルコールのビールが入っていた。


「石動、また気持ち悪くなりそうだから、ダメだろ?」

「うーん」


 腕組をして考えた石動は。


「せっかくだし、飲んじゃおう」

「大丈夫なの? また一人で帰れなくなっちゃうんじゃない?」


 石動は、夕食後に実家に帰る予定だった。

 石動の母親が帰ってくるのは明後日なのだが、そのくらいなら家事が苦手な石動でもどうにか持ちこたえることができるだろう。


「いいのいいの。あの時は慣れない飲み会だったから変なテンションになっちゃってノンアルなのに酔った気分になっちゃったけど、今は文斗がいる前だもん。無茶なんかしないよ。だからパーッとやろ?」

「石動がそう言うなら」


 石動と同じく、俺も盛大にやりたい気分になっていた。


 賑やかにしていれば、いつまでも胸に引っかかっている寂しさも薄まってくれると思ったからだ。


 俺と石動のサシでの焼肉パーティーは、楽しく進んだ。

 楽しい宴になったのは、大家が差し入れてくれたノンアルビールの貢献が大きかった。


 アルコール飲料の実態を知らない俺たちは、ビール、という名前だけでハイなテンションになってしまう。


 なんというか、子どもっぽいにもほどがあった。雰囲気だけで酔ったようになってしまえるのだから。

 特になんてことないのに、何か話すだけでゲラゲラ笑ってしまう。

 だが、存分に肉を食らい、雰囲気だけでノンアルでも酔い、野菜もそこそこ口にした宴は、楽しいだけで終わらなかった。


「あっ、なんかフラフラしてきたかも……」

「ほら見ろ」


 石動の目がとろんとしていた。


 新歓コンパの時と同じ状態に陥ったと思ったのだが、目つきから察するに、たんにはしゃぎ疲れて眠くなってしまっただけなのかもしれない。


 俺もそうだが、この日は石動だって本音を吐き出したのだ。

 精神的な疲労が蓄積されていたって、おかしくはない。


 この調子で一人で帰したら、最悪の場合事故に巻き込まれる可能性だってあった。


「……今日だけ、泊まっていったら?」


 俺はそんな提案をしていた。


 下心があるのでは? と誤解されないように気をつけ過ぎたせいか、機械音声みたいにぎこちなくなってしまった。


「今日は早く寝て、明日の朝に帰ればいいんじゃない?」

「文斗のとこに、もう一日……」


 石動は、目の前にあるビール缶のふちを、やたらと白く細い指でなぞっていたのだが。


「うん、そうしようかなぁ」


 にへら、と石動が、やたら無警戒な微笑みを見せる。

 石動は、思っていたよりだいぶ出来上がってしまっていたみたいだ。この状況じゃ、一人で帰すわけにはいかない。


「布団敷いておくから、シャワーだけでも浴びてきなよ」


 今の状況で、居間とほぼ地続きな場所でシャワーなんぞ浴びられた日には、俺の中の煩悩がまた大きくなりそうだけれど、石動だって自分の体が焼肉臭い状態で寝たくはないだろう。


「そうする~」


 ゆら~り、と立ち上がる石動。


「ふらふらしすぎて、風呂場で頭ぶつけるなんてことにならないでくれよ」

「大丈夫。ちゃんと平衡感覚は保ってるから~」


 石動は、その場でY字バランスのポーズをする。

 思わず見とれてしまいそうな、見事なバランス感覚だった。これなら問題はないだろう。

 泊まっている間は、普段着兼寝間着として使わせていた俺の服を手渡して、脱衣所へ送り出した。


 その間に俺は、宴の後始末をするべく、シンクの前で食器を洗っていたのだが。


「……ここ、何気に聞こえるんだよなぁ」


 なにぶん安アパートだ。壁は薄く、ちょうど台所の隣に風呂場があるので、うっかり耳を澄まそうものなら、シャワー中の物音が聞こえてしまう。


 ノンアルなのに酔っているせいか、石動はやたらとご機嫌らしく、鼻歌が聞こえてくるのだが、シャワーの水滴を肌が弾くような音はどうしても俺の耳に入り込んでしまう。


「違う、違う。そういう目的で泊まりの延長を提案したんじゃないぞ」


 俺は自戒の意味を込めてそう言い聞かせ、音が聞こえないように、より強く水が出るように蛇口をひねるのだった。

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