第40話 告白 その2

 声音だけでは石動の感情はまったくわからないので、俺は今すぐこの場から逃げたいような気分になるのだが、必死に堪えてその場に留まる。


「私のこと、女の子だって思っててくれてたんだ……」


 震えた声が気になって隣を向くと、石動はポロポロと泣いていた。


 石動の涙を見たのは初めてじゃない。

 負けず嫌いの石動は、昔はよく悔し泣きをしていた。


 俺にゲームで負けた時の小さなものから、体育祭でチーム優勝できなかった時の大きなものまで。


 けれど、目の前の石動の涙は、悔しくて出たものではないようだ。

 石動は涙を零しながらも、その顔には微笑みが浮かんでいたからだ。


 夕焼けの光が窓から差し込んでいることもあって、まるで石動だけがスポットライトで照らされているようになっている。


「文斗の前だと、私はすごく自分らしくいられるんだけど、それって文斗からすれば、ぜんぜん女の子っぽくない男の子っぽい感じのばかりだろうから、文斗がそう見てくれてるなんて思ってなかった」


 石動からすれば、俺から『異性』として見られることに嫌な気持ちを覚えているわけではないらしい。


 少しだけホッとしてしまうのだが、今は石動からのハッキリとした言葉が聞きたかった。


 そうじゃないと、俺はこの先一生石動のことを引きずってしまう可能性がある。


「私も、中学の時にはもう文斗のこと、男の子として見てたから」


 石動の言葉に、俺は耳を疑った。


 言ってしまえば、拒絶されることを求めての告白だったのに、当の石動は正反対の、俺を受け入れるかのような発言をする。


 何より衝撃的だったのは、俺よりもずっと前に俺を異性扱いしていたことを、石動の口から初めて聞いたからだ。


 そんな素振りだってなかったはずなのに。


「初耳なんだけど……」

「だって、初めてだし。言うの」


 こちらから視線をそらして、石動が言う。


「私さ、中学の時にはもう男の子っぽい格好しないで、普通に女子っぽい感じで、制服だってスカートにしちゃえばいいかなって思ってたんだ。小学校の時はパンツばっかりで脚出した服着なかったけど、スカートにも興味あったから、いい機会だって思って」


 石動の発言は、俺からすれば衝撃的だった。


 以前石動が持っていた、中性的な感じは、石動自身のアイデンティティだと思っていたから。


「でも、中学生になった途端に、はい今日から女の子です、って感じになったら、文斗は絶対戸惑っちゃうでしょ?」

「まあ、それは……」


 否定できなかった。

 付き合いの長い石動のことを、別人のように思ってしまっていたかもしれない。


 ただでさえ俺は、中学生になった途端に恋愛に色気を出し始めた同性にすらついていけなくなりそうな時期があったのだから。


「……私は、『自分は女子じゃなくて男子でいたい』ってこだわりがあったわけじゃなくて、単に文斗と一緒にいたかっただけなんだよね。たまたま運動が得意だったり、文斗がやってるみたいなゲームも好きだったり、男の子っぽい趣味は好きだったけど、一番は、ずっと文斗と仲良くしてたかっただけなの」


 膝の上に置いていた手を、石動がぎゅっと握りしめる。


 今度は俺から視線をそらすことなく、こう言った。


「――文斗のこと、好きだったし」


 その言葉を聞いた瞬間、完全に終幕を想定していた俺は、正反対の考えを持つようになった。


 ひょっとしたら、石動は、彼氏である加嶋ではなく、俺の方をずっと大事に考えていてくれているのかもしれない。


 マウントを取るようなことは嫌いだけれど、この時だけは、加嶋に勝った、という高揚感で満たされてしまった。


 そんな、浅はかな考えが頭を過った直後だっただけに。


「――でも、今の私には、賢くんがいるから」


 石動の言葉は、抱きかけていた淡い期待を粉々にするものだった。


「賢くんに対する『好き』と、文斗に対する『好き』は、ちょっと違うんだ」


 俺は、しばらく返事ができなかった。


 石動からの言葉を反芻するだけで精一杯だったから。


 俺からすれば永遠に近いような時間が流れて、石動から心配そうに顔を覗き込まれた時になって、ようやく石動による『介錯』の言葉を消化することができた。


「そっか……」


 ようやく出た言葉が、それだった。


 元々こうなることを望んでいたのに、いざ実際に直面してショックを受けるあたり、俺は石動が、加嶋ではなく俺を選ぶという超展開に期待してしまっていたのだろう。


 恥ずかしい。

 色々な意味で石動と目を合わせられなくなる。


「……この際ちゃんと言っておかないとって思うから、言っておくけど」


 石動が言った。その声音はどこまでも優しく柔らかいはずなのだが、今の俺には体の内側へと入り込みやすい分衝撃も大きかった。


「高校で、文斗と別れてひとりぼっちになった時、私はどうすればいいかわからなかったの。……引っ越した先は、知り合いが誰もいないし、都会だし、今まで仲良くしてきた人たちとは違うのかもって思ってたから……中学の時みたいに、私のことは男子と同じように扱ってね、なんて感じではいられなくなってた」


 俺と石動が通っていた中学は、学区の関係上、卒業した小学校の8割の生徒がそこへ通うことになっていた。


 つまり、中学のクラスメイトの大半は、小学校時代からの知り合いなわけで、実質周りがみんな幼馴染のようなものだから、石動のキャラクターは何も言わずとも充分に理解されている環境にあった。石動は小学生時代から有名人で、他クラスにも顔と名前が知られていたから。

 中学生になっても小学生と同じキャラクターを続けていたって、前から石動のことを知っている同級生は揶揄するようなことはなかった。


 だが、高校生ともなれば、時には越境してまで各所から生徒が集まってくるわけだから、周りはほとんど初対面のような状況になる。


 そんなアウェイな状況では、いくら石動といえども本来の感じではいられなかったということだろう。


「高校の時の制服は、スカートしかなかったから、その辺に迷いはなかったんだけど、私って女子っぽい感じで過ごすことに全然慣れてなかったんだよね。クラスの中で話す人はいたけど、どうすれば自然と女の子っぽい感じになれるのかわからなかったから、結局気を遣う感じになって、女子グループの中では浮いてたと思う。学校行事でも目立つことなかったし。得意なはずの体育の時間なんて、ずっと隅っこにいたり、具合悪くないのに見学ばかりしてたり……私なのに、変でしょ?」


 石動は、自嘲的な笑いをする。


 今まで目にしたことのない、石動の卑屈な部分がそこにあった。


「それで私は、賢くんに頼ったの。賢くんは男子の中でも目立ってたんだけど、私にとって話しやすかったから、色々相談も出来たんだ」


 加嶋の名前が出てきて、俺は固まった。


 まるで、嫌な思い出があるヤツに町中でバッタリ会ったような気分だ。

 別に加嶋から何か悪さをされたわけではないというのに。


「賢くんは女子の事情にも明るかったから、どうすればみんなと溶け込めるか教えてもらったの。賢くんもサポートしてくれて、1年生の秋くらいには、クラスの誰が相手でも今までみたいに普通に話せるようになってた。気づいたら、クラスの目立つ側グループにいて、あの二人いつも一緒にいるね、みたいな周りの空気もあって、賢くんと付き合うことになって」


 俺の高校時代には存在しなかった、青春の風景だった。

 そんな話をする時の石動の表情は、それまでの暗さが消えていた。


「女の子っぽい私は、私の考えだけでそうしようと思ったんじゃなくて、賢くんが一緒に考えてつくってくれた『作品』なの。でもおかげで、そのあとの高校生活は楽しく過ごせた。私にはちょっと合わないかなぁ、って感じもあったんだけど、結局は賢くんと付き合って、これでいいんだって思えるようになった」


 それまで重かった石動の声音は、この時は少し軽やかになっていた。

 本当に、楽しい高校生活を送れたのだろう。


「だから、賢くんにはあの時に助けてくれた恩みたいなのがあって。賢くんがいなかったら、私はちゃんと毎日学校に行って卒業できたかどうかもわからないんだよね」

「そうだったのか……」


 返事をする俺だが、もはや心はここになかった。


 俺の方から何を話すべきなのかどうかもわからなくなっている。

 暗い沼の底に沈んでいるような感覚があった。


「あの時さぁ」


 まるで天井に向かって呟くように、石動が言った。


「あの学校に、文斗がいてくれたら、って思ったことは何度もあるんだ。そうだったら私は、中学の時みたいに自然にいられたまま、楽しく過ごせてたよ。他の人から、なんか浮いてるよね、とか、変だよね、とか言われても、文斗さえ理解してくれれば、それでよかったから」


 その時俺は、本能的に警戒していた。


「でも、文斗いないんだもん」


 それまで湿っぽかった石動の声音が、この一言だけは妙に乾いて聞こえ、強く響いた。


「会いにも来てくれなかったし、電話もメッセージもくれなかったよね?」


 何もしなかった俺を責めるような調子でありながら、その声は震えていて、悲しさとか寂しさの方が勝っているのだと感じた。


「なんでだよって思ったこともあるけど、私が高校生になって大変だったみたいに、文斗も文斗で大変だったのかもしれないし……もしかしたら私がいなくても楽しくやってるのかもって思ったら、私の方から文斗に連絡したり会いに行くのも無理で、文斗のせいにしちゃダメだなぁって思ったんだ」


 俺の高校時代は、楽しくなんてなかった。

 無難ではあるけれど、特に印象に残るような出来事なんてない。


 それもこれも、石動蒼生が欠けていたからのような気がした。


 石動の指摘通り、俺は怖気づいて石動に会いに行けなかった。


 俺にとって、石動はいつだって目立つ存在で人気者だった。

 当然、高校生になってもそれは同じだと思っていたのだ。


 おまけに、地方の高校生にすぎない俺と違って、石動は都会の高校生である。

 楽しいことがありすぎて、俺のことなんて忘れてしまっているだろう、という思い込みが強すぎたのだ。


「私の話は、これで終わり。……文斗も正直にいっぱい話してくれたから、私も話さないとって思ったんだ」


 石動が言った。

 視線がこちらに向かってくる。


「……ごめん、今日には、実家帰るから」


 気を遣うような、慎重な声音だった。

 そんな石動の態度で、俺は想像以上に自分が衝撃を受けているのだと悟った。


 ゴールデンウィーク中に旅行に行っている母親が帰ってくるまで、という期間限定の約束で、まだその期間は終わっていないのだが、もはや石動を引き止める気力はない。加嶋も、予定より早く帰ってくるという話だし。


「泊めてくれてありがと。こっちでまた会ってから、文斗にはお世話になりっぱなしだね」


 相変わらず俺は、返事をする気力すら戻ってこない。


「……私、先に帰ってるね」


 俺の姿を目にした石動は、そっとしておいた方がいいと判断したのだろう。ベンチから立ち上がった気配がした。


 その瞬間、俺は自然と腕を伸ばしていて、石動の手首を掴んでいた。

 傷つけようと思って伸ばした腕じゃない。


 逆だ。


「あの、泊まりのシメってことで、夕飯は盛大にやらない?」


 俺は、そんな提案をしていた。

 目は合わせられなかったけれど。


「まあ、正直さ、石動の話は俺からすればショックだったよ。石動が大変な時に、何も出来なかった自分への情けなさを含めて」


 俺はみっともなく怖気づいて石動の窮地に何も出来なかったヤツだけれど、だからといって、このままの状態で石動と別れたら、もはやこの先二度と会うことはない気がした。


 石動は俺の唯一の幼馴染にして、付き合いが長い友人だ。

 愛情を手に入れられなかろうが、友情まで一緒に潰してしまうことはない。


「俺からすれば、石動との思い出は楽しいことばかりだったから……このまま湿っぽく解散ってこともしたくないんだよ」


 石動と一緒で楽しかったのは、何があろうとも揺るがないし、本当のことだ。


「まあ湿っぽいのは俺のせいなんだけど」


 冗談めかして、そんなことを口にする俺。


「ゴールデンウィークは、石動のおかげで凄く楽しかったから、最後も楽しく終わりたいんだ」


 調子のいいことを言っていると思われないか不安だったけれど。


「いいよ」


 石動は、それまで重い話をしていたとは思えないような明るい顔で、返事をくれた。


「文斗のおごりならね」

「石動が嫌だと言ってもおごるつもりだったよ」


 共用スペースを出る頃には、少なくとも表面上だけは、いつもの俺たちに戻れたと思った。


 ただ……。

 高校生の時に、俺が何かしらの行動を起こせていたら。


 俺の隣を歩いている石動蒼生は、『異性の友達』以上の何かだったかもしれない、という手遅れの期待は、俺の胸の底に留まり続けるのだった。

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