第38話 顔を合わせられなくて
翌日。
この日俺は、午前中から大学へ向かい、『現代カルチャー研究会』の部室を訪れていた。
ゴールデンウィークで講義が休みだろうと、サークル棟に出入りする学生は多いから、休みの日でもキャンパスはそれなりに賑わっている。
講義がない分、時間の自由が効くせいか、俺がよく訪れる平日の昼間より多くの人が部室にいた。
新歓コンパで隣の席になったことをキッカケに仲良くしている太田先輩と雑談をしていると、
「太田ぁ、越塚こっちに寄越せよ」
「挨拶もなしにそれっスか……」
太田先輩は、デカい体をすくめる。
九重先輩は、太田先輩が譲ったパイプ椅子に腰を掛け、俺の肩に腕を回してくる。
「おっす越塚……って、温もってんな!」
直前まで太田先輩が座っていたパイプ椅子は、程よく温まっていたのだろう。それが気に入らないのか、九重先輩が立ち上がる。
「太田ぁ、椅子はちゃんと冷ましとかないとダメだろーが」
「無茶言わないでくださいよ。そんな嫌なら、そこにある別の使えばいいじゃないっスか」
どうも太田先輩は、何かと九重先輩からいじられるポジションらしい。
太田先輩は2年生で、九重先輩は4年生だから、太田先輩もあまり強くは出られまい。
「よしじゃあ越塚、あたしのと交換しよう」
「まあ、いいですけど……」
今座っている椅子に特にこだわりはないので、先輩のとさっさと交換してしまう。
「ちょうど今日は後輩ちゃんとお話したい気分だったんだ」
気高い猫みたいな顔つきの先輩は、パイプ椅子に座り直すと、さぁロクなことを一切するつもりはないぞ、という顔をした。
「おっとその前に。太田ぁ、これ、前に言ってた珍品発掘してきてやったんだけど、動くかどうか試してくれない?」
九重先輩は、手にしていた紙袋を太田先輩に押し付ける。
「えっ、マジっスか、見つかったんですか?」
「ああ。電気街のジャンク屋で引き上げてきた」
いったい何が入っているのか、太田先輩は目を輝かせながら、紙袋から箱を取り出す。
箱の中から出てきたのは……プラモデルだ。
ロボっぽい見た目をしている。
俺は某メジャーロボットアニメには詳しくないのだが、その系統のキャラクターだろうか?
箱の中からは、プラモデルと一緒にゲームソフトまで出てきた。
俺にはその関連性がわからない。
「うちのサークルにあるそいつ、初期型だったはずだよな?」
「確かそのはずですよ」
「じゃあ動くだろ。松山、テレビ借りるぞ」
「あっ、九重さん! まだ途中なのに~」
部屋の奥では、ドット絵の2D格闘ゲームで対戦している先輩たちの姿があったのだが、九重先輩はお構いなしにテレビの使用権を強奪した。
やりたい放題だ。これが卒業間近の4年生の力か……。
太田先輩は、部屋の隅から灰色の四角いゲーム機を持ち出してきて、セッティングを始める。九重先輩と違って、熱戦を遮ったことに申し訳無さそうな顔をしていた。
「越塚は、知ってる?」
九重先輩が、長テーブルに乗った手乗りサイズのロボットを示す。
「それ、もしかしてゲームで使うヤツなんですか?」
「そうそう」
九重先輩が、ロボットを手繰り寄せて、俺の側のテーブルの上に置く。その傍らには、アタッチメントのような細かいパーツがいっぱいあった。
「こいつをカスタマイズすれば、それがキャラクターのグラフィックとか、パラメーターの変化がゲームに反映されるんだよ。で、そうやってアレンジしたロボットで対戦するわけ。すごく昔に発売したゲームなんだけどさ」
「そんなの知りませんでした」
俺は、レトロゲーム愛好家を自称しながらも、ラインナップを片っ端からプレイし尽くしているタイプではない。
基本は父親が残したゲームソフトをプレイしていて、中古で買い足すことはあったけれど、俺のゲームの楽しみ方は、一人ではなく石動と一緒に遊ぶことだった。石動と対戦なり協力プレイなりすることを前提でゲームを堪能していたから、一本のソフトがあれば長く楽しめたのだ。
「でもこれ、めちゃくちゃ画期的ですね」
俺も、プラモのロボットを触らせてもらう。
自分の手でパーツを付け替えることで、ロボットの能力を変えていくなんて、より直感的でフィジカルな感覚と密着しているようでワクワクする。こういうところは、俺も男子なんだな、と感じた。
「そういう期待感がピークなんだけどさ。残念ながら世間的な評価は低いし、実際クオリティもあんまりだ。でも発想力を、あたしは評価してる」
「話には聞いたことあったから、実際におれもやってみたくて先輩に頼んでたんだ」
九重先輩に次いで、ゲーム機とテレビの配線をしていた太田先輩が言う。
どうやら、サークル内の先輩たちも、この意欲作を知らない人の方が多かったようで、セッティングが終わったテレビ画面に興味を惹かれているのがわかった。
そんな後輩たちの姿に満足そうにしながら、九重先輩がパイプ椅子に座り直す。
俺もレトロゲーム好きの端くれとして、九重先輩が持ち込んだゲームには強い関心があったのだが。
「おまえ、ゴールデンウィークはどう?」
九重先輩が訊ねてくる。
「えっと、まあ、思ってたよりは楽しく過ごせてますよ」
俺は、曖昧に答えることしかできなかった。
単にイベントだけ列挙すれば、俺としては上出来なゴールデンウィークを過ごしていると思う。
休みとはいえ勉強はしているし、こうしてサークルに顔を出してちゃんと他人と交流しているし、それに……再会した幼馴染と同じアパートで過ごしている。
「そのわりには浮かない顔してない?」
先輩にあっさり見抜かれてしまう。
「いやぁ、そんなことは……」
俺は、ちょっとお節介が過ぎるこの先輩のことを頼もしいと思っているところもあるけれど、石動とのことを明かすわけにはいかなかった。
特に、昨日の夜にあんなことがあったあとでは。
だから俺は、この日はさっさと起きて、午前中から部室に逃げ込むも同然にやってきたわけで――
「――文斗ぉ!」
扉が勢いよく開くと共に、俺を呼ぶ声がした。
出入り口に仁王立ちしていたのは、石動だ。
「なんで起こしてくれなかったの!?」
頭から湯気が吹き出しそうなくらいカンカンな石動は、慌ててここまでやってきたらしく、髪がところどころ跳ねていた。
「私が寝てる間に先に行っちゃうなんてヒドいじゃん~」
石動は半泣き状態で俺のところへ突進してくる。
「わ、悪かったよ……」
俺の方が悪いことに心当たりがありすぎるので、素直に謝るしかない。
「悪かったじゃないよぉ。明日の朝も文斗がつくるご飯の匂いで起きられるんだろうなぁ、って幸せな眠りについたのに、いざ起きたら家に誰もいないし、お昼になっちゃってるし、朝ご飯はコンビニで買ってきた冷たいおにぎりと野菜ジュースしか置いてなかった時の私の寂しさわかるぅ!?」
半狂乱の石動に肩を掴まれて、グラグラ頭を揺すられてしまう。
「そんな楽しみにしてくれてたのか……悪いなぁ」
昨日、銭湯を利用したあとに何事もなく家にたどり着いていたのなら、石動が望んだような朝を迎えていたことだろう。
石動を置いてさっさと出ていくようなことになったのは、昨日の夜、加嶋から石動へと来た電話のせいだった。
結局俺は、石動と加嶋が恋人同士であることを、改めて気にしてしまい、あのあとは石動との会話も上の空のまま、早いうちに寝てしまったのだった。
翌朝になって、多少はクールダウンした頭で石動の寝顔を見ていると、いかに俺が幼馴染に対して心の狭いことをしてしまったか思い出してしまった。
いたたまれなくなった俺は、石動から離れて一人になりたい気分に襲われ、こうして部室へ逃げ込んできたわけだ。
逃げた事情を石動に告げれば、ある程度は納得してくれるかもしれない。それを俺が言える言えないかは別の問題として。
俺は今、石動を怒らせるよりもっとマズい上に事態に巻き込まれていた。
ちょっと前まで、斬新なレトロゲームに興味津々だった先輩たちの視線が、今は俺のところへ集中してしまっている。
先輩たちの、こんなヒソヒソ声が聞こえる。
「今の、聞いた?」
「起こしてくれなかった、だって」
「一緒に住んでるってこと?」
「えー、あの後輩くんそんなリア充だったの?」
「1年生のくせに彼女と同棲生活なんて、そりゃ充実したゴールデンウィークだろうなぁ」
疑念、憤怒、妬み……心地よく思っていたはずの部室が、負の感情で満たされつつあるのを感じた。
盛大に誤解だ。
みんなが思っているような、甘い生活を送ることができていたら、どれだけ気楽で幸福だったことか。
違うんだ。石動は俺の肩に手を置いたままだけど、これは愛情を確認するスキンシップなんぞではないんだ。
俺の大事な居場所を、勘違いで失ってしまいかねない状況に陥った時だ。
ほぼ唯一、毛色の違う反応をしている先輩がいた。
「面白そうなことになってるな」
九重先輩だ。
先輩は、サークルの面々がいる方を振り向き。
「おまえら、こっちはいいからゲームやってろ。せっかく先輩が持ってきてやったんだぞ。他人のプライベートに変な邪推するな。みっともないって思わないのか?」
先輩の鶴の一声で、サークル内から負の感情が消えていった。
どうやら九重先輩は、俺と石動の関係性を勘違いしてはいないらしい。
「ちょっと外出ようや」
有無を言わさない九重先輩は、俺と石動の腕を掴んで部室を出ていく。
とりあえずは助かった、石動に対する弁解の機会になるかもしれない。
そう考えた俺が甘かった。
俺と石動の手を引く九重先輩は、ゲームよりずっと面白いものを見つけたぞ、とばかりにニヤニヤしていたのだから。
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