第37話 夜風にあたりながら その2

 俺はレジ袋をぶら下げながら、帰路についていた。


 隣には石動がいる。


 ペットボトルの重量が結構あったので、結局2つのレジ袋を一つずつ持つことになってしまった。まあ、俺が持っている方が若干ながら重いのだが。


 もう少しでアパートが見えてくるという頃になって、石動のスマホが鳴った。


 石動が立ち止まったので、俺も立ち止まる。

 石動はスマホを見つめたまま、動かないでいる。


「出ないの?」


 電話を掛けてくるなんて、急用かもしれない。


「うーん。……そうだね、出ちゃおっかな」


 俺は、石動からレジ袋を預かる。

 重いが、もう少しでアパートだ。俺たちは、少しずつアパートへ向かって歩いて行く。


「――賢くん?」


 隣を歩く石動が、電話の主に応えた。

 電話の相手は、加嶋か。


 急用ではなさそうだ、と俺は思った。

 石動は、俺のアパートにいる時も、ラインで加嶋とはやりとりしていたみたいだから、今更新しい情報が飛び込んでくることもないだろう。


「今? 今は……ええと」


 石動が俺にちらりと視線を向ける。


「一人だよ。今日の夜は全然予定なくてー。ちょっと散歩してた」


 石動は片手を向けて、すまん、というサインをして頭を軽く下げてくる。

 まあ、俺が隣にいないことにしたのは賢明だと思う。


 俺のアパートに泊まっていることが知られたら、余計な誤解を招きかねないから。加嶋は話がわかりそうなヤツだったけれど、俺はまだ数えるほどしか会話をしていない。思っている以上に恋人に対する独占欲が強いヤツの可能性もある。面倒事に発展するようなことは、俺だって避けたい。


 石動は至極当然の行動を取ったのだ。


 そう理解しているはずなのに、再びモヤモヤした気持ちが湧き上がっているのは何故だ。


「うん、元気だけど。サークル行ってるし、友達と遊んでるし、楽しくやってるから寂しくないよ」


 心なしか、というレベルではなく、石動の声のトーンが高くなっているのがわかる。


 俺と再会した直後の、清楚系女子アナスタイル時代の声音そのままだ。

 俺の前だと、過去のボーイッシュ路線の名残なのか、声は低くなっているから。


「そっちはどうなの? ……そうなんだ。楽しそうだね。私も行けばよかったかなぁ。えー、うん、サークルとは関係ない人だけどさぁ、ゲストってことでほら」


 電話を続ける石動の横で、俺はひたすら前を見続けている。


 今の石動の横顔を見ることは、できそうになかった。


 俺に向けるものと違う声音はまだ許容できるものの、はっきりと恋人向けとわかる表情をしているのを目にすることを恐れてしまっていた。


「あー、そうなんだ。じゃあ予定より早く帰ってくるんだね。良かったよ」


 電話の内容から察するに、加嶋が行っているサークルの合宿は予定より早く終るということか。


 つまり、石動とのアパート生活は、ゴールデンウィークよりも早く終わってしまうということ。

 加嶋が近くにいる環境で、俺のアパートに泊まる生活を続けるわけにはいかないから。


 石動はしばらく聞き役に徹していたのだが。


「――うん、まだ散歩中だけど? え、ここで言うの?」


 突然周囲を気にするような仕草をする石動。


「そりゃ今一人だし、恥ずかしくないけど……」


 一瞬だけ真横に視線を向けるのだが、石動はスマホを握る指先に力が込もっているように見えた。


「……賢くんのこと、好き……だから、早く帰ってきて」


 懇願する中に切なさと甘みがあり、微かに従属が混じっているような、聞いているだけでこちらの心臓がバクバクするような声音で、石動が言った。


 まさか、幼馴染が愛の言葉を向ける姿を目の当たりにするとは。


『同性の友人』として、家で呑気にゲームをしたり漫画を呼んだり、男子同然に気楽に接していた中学生の頃の俺からすれば、信じがたい光景ではあった。


 歩きながらの電話で、普段より歩行速度が落ちている石動に合わせるように歩いている俺だったが、気づいた時には自然と石動より前を歩いていた。


 恋人同士の会話だ。

 自然と、お互いに好きであることを確認するような流れになることもあるだろう。


 他人ののろけ話なんぞ、聞いていられるか。

 まあ、こればっかりは俺に限った話でもないと思うから、苛立つ気分になろうとも自分自身を恥ずかしく思うことはなかったのだが。


「文斗、待ってよ」


 後ろから石動が呼び止めているというのに、速度を緩めることなくアパートへの階段を上っていく俺は、恋人同士のキラキラした世界を目の当たりにした直後ということもあって、自分があまりに狭量な人間に思えて、嫌になった。

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