第36話 夜風にあたりながら その1
「――文斗、大丈夫?」
石動が声を掛けてきたのは、銭湯を出て帰路についていた時だった。
春真っ只中の夜風は、風呂上がりの体を程よく冷ましてくれるのだが、俺のじんわりとした熱は収まりそうもなかった。
「さっきから、なんかフラついていない?」
心配そうにする石動。自分が原因だとは微塵も考えていない顔をしている。
「大丈夫だ。石動の気のせいだよ」
まさか、石動のせいだと言うわけにはいかない。
実際、石動が言うほど体調が悪い感じはしなかった。
風呂上がりには、当初の予定通りフルーツ牛乳をしっかり味わったくらいだし。
まあ、無事堪能し終えて、石動を外で待とうとした時、俺と同じく何かしらの飲み物を買ったのであろう石動を、『こらお嬢ちゃん、そんな格好で飲むんじゃないよ、服を着てからにしな』と注意する番台のお婆さんの声が聞こえて、妄想が余計加速するハメにはなったから、そのせいと言えなくもない。
「ほんと?」
よほど心配なのか、眉をハの字にして見つめてくる石動。
「肩貸そっか?」
「心配には及ばないよ。かたじけない」
「口調おかしくない?」
石動は笑う。
動揺するあまり、ついあり得ない語彙を使ってしまったのだが、冗談を言えるくらい元気と解釈してくれたようだ。
「そういえば!」
ようやく俺の体調から注意がそれたのを見て取って、この隙に完全に別の話題に持っていこうと画策する俺。
車道沿いながら、しんと静まり返った住宅街の夜道に俺の声がよく響く。
「やっぱり夕飯にした時間、ちょっと早かったんじゃないかな」
ファミレスでの夕食は、普段よりも早い時間だったので、今や満腹感は薄れてしまっていた。
「そうかも」
石動は同意してくれるのだが、あれだけ大きなハンバーグセットを口にしておいて、もう胃袋に余裕が出来ているらしい。
「せっかくだし、そこのコンビニで夜食買っていく?」
ちょうどコンビニが目に入ったので、そう提案してみる。
「行く~」
石動もニコニコとした様子で賛同してくれた。
なんというか、石動は俺が何かを提案しても、その答えの賛否はどうあれ、嫌そうにしないだろうという安心感を持てるところがよかった。
俺たちは、暗闇から逃れて、白く発光する店内に足を踏み入れる。
「俺が払うから」
カゴを持ち上げながら、俺は言った。
「いいよ、私が払う」
「俺に任せておくといいよ」
「さっきから思ってたんだけど」
石動の目が、ニヤついた三日月型になる。
嫌な予感がするぞ、これは……。
「文斗、もしかして女の子の分は自分が払うってことが、男らしいことって思ってない?」
ギクッ、という声をつい出してしまいそうになった。
「い、いやぁ、そんなことは?」
こういうのはさり気なくこなしてしまうべきだと思っていたので、指摘された時点で俺の不慣れなところが明確になっているから、もうどう取り繕おうともアウトだ。
何だか恥ずかしくなって、背中から変な汗が出そうだった。
すると石動は、俺が持っていたカゴをひったくる。
「さっきは結局奢ってもらっちゃったし、今回は私に払わせて」
「でもなぁ」
「私は文斗のところに泊めてもらってるんだし、奢られまくっちゃうわけにはいかないよ。それに」
石動は続ける。
「私と文斗って、そういう気遣いする必要ない関係でしょ?」
石動は微笑んで、自分の目当てであろうお菓子が並んだ棚へ向かってしまう。
そんな石動の背中を見つめながら、俺は胸の奥が重たくなっているような、すっきりとしない感覚があることを悟ってしまった。
石動の今の発言は、何の遠慮する必要もない気心知れた仲だから、という意味なのだと思う。もちろん、いい意味で言ったのだろう。
それはわかっているはずなのに、俺が沈んだ気分になってしまったのは、石動の側から『友達以外の何者でもない』というメッセージを受け取ってしまったからだ。
当たり前だし、わかっていたことだし、そもそも俺は……石動とは恋人同士になりたいとは考えていない。
それなのに、どうしてこうまで気持ちが落ちるというのだろう。
「文斗~、どうしたの?」
棚からひょいと顔を出す石動。
「値段とか、別に遠慮しなくていいんだよ? ほら、このおまけ付きでもいいんだから」
「……そんなの買う年齢じゃないよ」
石動が手に持って示してきた、おまけメインのラムネ菓子を棚に戻す。
くだらないことでうじうじするのは止そう。
石動が大事な友達だということに変わりはない。
だいたい俺は、彼氏持ちの相手に何を期待しているというのか。
俺だって、石動とは友達でいられるだけで充分だ。
だから俺がこうまで恥ずかしく感じているのは、『石動から異性として意識されていたい』という深層心理が自分自身でもわかるくらいはっきり浮上してしまったからだ。
よくない、こういうのはよくないぞ、俺……。
「ていうか、そんなに買うの?」
石動が手にするカゴには、お菓子がいっぱい詰まっていた。
「うん。宴用に」
「宴会でもする気?」
「そりゃするよね。ジュースも買うし。それに今日で全部食べちゃおうとか考えてなくて、明日とか明後日の分も買い溜めといてるだけだから」
すると石動はパチリと片目を閉じる。
「ゴールデンウィークは、まだまだこれからだよ!」
なんとも楽しそうな表情をするのだった。
まっすぐな眩しさに目をそむけた俺は、その勢いで奥のドリンク売り場へ向かう。
「そんなに楽しみにしてくれるなら、泊めた甲斐があったよ」
うんざりするような口調になっても、心のどこかが浮ついている感覚がした。
俺は単純なヤツである。
「そりゃ楽しいよ。文斗とまた一緒になれるって思わなかったんだもん」
後ろからくっついてきた石動は、腕を伸ばして俺より早く冷蔵庫からペットボトルを引っ張り出す。
「文斗の家行ってゲームしたり漫画読んだりなんて、もうできないと思ってたから」
「たいしたことしてないでしょ? 家の中ばかりだし。今日みたいに近所に出かけるだけでせいぜいだよ?」
大学生が楽しめるような場所に出かけたわけでもないのに、石動はやたらと楽しそうにしてくれる。
「場所はどうでもいいんだよねー、文斗と一緒っていうのが大事なんだ」
「そっか」
俺は、ぶっきらぼうを装った返事しかできなかった。
そういう態度が、俺に変な期待をさせるんだよ。
……石動に責任をおっ被せて、自分の情けなさを隠そうとするのはやめないと。
「私まだ買いたいのあるし、お会計はこっちで済ませちゃうから文斗は外で待ってて」
石動が言った。
「せっかくだし、付き合うけど?」
「いいからいいから」
石動は笑顔の割に妙に強情で、俺の背中をグイグイ押す。
俺が欲しいものはカゴに詰めたし、くっついていていも邪魔だろうから先に出ていた方がいいだろう。石動にだって、プライバシーはあるもんな。
「わかった。待ってる。奢らせちゃったし、袋は俺に持たせてくれ」
カゴに入った商品の量からして、それなりに重くなりそうだから。ペットボトルもあるし。
俺より石動の方が力がありそうだけれど、こればっかりは腕力の問題ではなく俺のささやかな男としてのプライドの問題である。
石動に会計を任せた俺は、先にコンビニの外へ出るのだった。
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