第32話 ご近所付き合い その2

 河川敷の美化活動は、順調に進んでいた。


 以前この河川敷を通りかかった時は、美化活動なんてするほど汚れていないように見えた。

 そう思えたのは、こうした活動の成果なのだろう。


 休憩の時間になる。


 活動の主宰らしき人から、ペットボトルの差し入れがあった。


 俺は石段に腰掛けて休んでいた。


 日頃の運動不足のせいで、トングでゴミを拾うだけでも重労働だ。何度も屈んだせいで腰と腿に重みを感じる。ハーフスクワットを連発させられているようなものだから。


 若い俺よりも、お年寄りの方がずっと元気そうだ。

 そんな中でも一番元気だったのは、石動だった。


 この集まりには、年配の人間だけではなく、かつての俺たちと同じような子どもの参加者もいて、休憩中の今、石動の周りに集まっていた。


 親に連れられて参加させられているようで、当初は乗り気ではなさそうだったのだが、そんな少年少女たちの気持ちをガラリと変えたのが、石動だった。


 ゴミ拾いの最中、石動は退屈そうにトングをぷらぷらさせている子どもを見つけると、声を掛けて一緒にゴミ拾いを始めたのだ。


 俺は遠目に見ていただけだったけれど、石動が声を掛けて何やら会話を交わすと、子どもたちの表情からみるみるうちに「退屈」が消し飛んでいくのがわかった。


「石動は昔から、年下からもモテるからなぁ」


 川沿いの原っぱになっている一帯に視線を向ける。


 そこでは、元気な石動と子どもたちが鬼ごっこをしていた。


 いわゆる「手つなぎ鬼」に興じていて、追いかける石動の周りに男女問わず子どもがいっぱいくっついている。


 当初は普通の鬼ごっこをしていたらしいのだが、石動から逃げるよりも一緒にいたい気持ちが先行したようだ。子どもたちが次々と鬼役の石動へと突貫していく姿は、鬼ごっこの概念を覆すエポックメイキングな出来事だった。それで仕方なく手つなぎ鬼に切り替えたということだろう。


「……やっぱあいつ、すげぇわ」


 本人に聞こえないのをいいことに、ポロッと漏れたのは俺の本音に違いない。

 思えば俺と石動は、いつも一緒にいたけれど、「格差」がある二人だった。


 石動は人気者で、俺はその引き立て役の単なる地味である。

 家庭環境が似ていることがキッカケで仲良くなったけれど、他に共通点はなかった。


 どうして石動は、俺と一緒にいてくれたのだろう、と考えてしまう。

 俺は石動と一緒で楽しかったけれど、石動の方はどう思ってくれているのだろう。


「……まあ、そりゃ相手は加嶋だよな――」


 そう言いかけて、一気に恥ずかしくなった。


 そんな比較をするなんて、まるで俺が石動と恋人付き合いをしたいと思っているのにできないから加嶋を羨んでいるみたいじゃないか。


 俺にとって石動はあくまで『同性の友達』だ。それ以外の何者でもない。付き合おうとか、そんなことは考えていない。


 俺の目の前を駆ける子どもの足音で、我に返った。


 ちょうど石動がやってきて、その子どもも自らの軍勢に取り込んでしまう。

 捕まったというのに、子どもは嬉しそうな顔をしていた。


 けれど一番嬉しそうなのは、捕まえた子どもを小脇に抱える石動の方だ。

 完全に年齢差関係なく楽しんでいる顔である。


 わざわざこんな快晴の空の下で卑屈になることもないじゃないか。

 子どもよりずっと無邪気そうな石動を見ていると、そう思えた。


「文斗もやろうよ」


 子どもに群がられた石動が言ってくる。小学生くらい、ということはわかる以外は年齢バラバラな子どもに群がられて立っている姿を見ていると、離島の小学校教師、というイメージが浮かんでくる。


「俺は走れないよ……」


 卑屈な気持ちを引きずっているわけではなく、体力的な理由だ。もう少しのんびり水を飲ませてくれ。


「いいからいいから、ちょっとだけだから」


 石動は俺の手を掴んで、引っ張り上げようとする。


 その程度で立つ俺ではないのだが、石動の腰に後ろから張り付いて、引っ張るのを手伝おうとしている女の子の姿が目に入ると、このままじっとしていることに罪悪感めいたものを覚えるようになり、結局立ち上がってしまった。


「今度はコシヅカさんも一緒に逃げよ」


 子どもグループの中で、利発そうな女の子が言った。

 だが、越塚、という俺の名字を呼んだにも関わらず、視線は石動に向かっていた。


 そうだった。


 今の石動は、俺の高校時代のジャージを着ていて、胸にはネームが刺繍されている。


 だから、この女の子は、『越塚』が石動の名前だと思っているのだろう。


「コシヅカさん!」

「コシヅカのお姉ちゃん!」

「コシヅカぁ」


 大人気のコシヅカさんこと石動は、またも子どもに群がられる。

 妙なむず痒さを感じる。

 まるで、石動の名字が俺の名字に変わってしまったみたいだ。


 この程度で動揺するなんて、中学生か、俺は……。


「みんなー、私の名前は蒼生だよー」


 一方の石動は、俺のような恥ずかしいことにはならず、子どもに笑顔を振りまきながら訂正に入る。きっと石動は、俺みたいに、『同じ名字だと思われたらそれじゃまるで……!』なんて幼い動揺はしていないんだろうな。


「アオイちゃん!」

「アオイのお姉ちゃん!」

「コシヅカ・アオイ!」


 この日が初対面であろう石動は、『コシヅカ・アオイ』として、子どもたちに認識されてしまったに違いない。


「ほら、みんなも言ってるし、文斗も一緒にやろ?」

「わかったよ……」


 もう少しで休憩時間も終わりだし、体力の消耗は最小限で済ますことができるだろうし。


「アオイちゃんと、アヤトは一緒に住んでるんでしょ?」


 利発そうな女の子の発言に、俺は驚く。


「二人って結婚してたんだね」


 いくらなんでも夫婦に間違われる年齢じゃないだろ、と思うのだが、小学生から見れば18歳の俺たちは、結婚していてもおかしくないくらい大人に見えるのかもしれない。なんてったって成人しているわけだしな。


「……石動、俺が知らない間にどんな説明したの?」


 俺はこっそり耳打ちをする。


「え? 『あそこのお兄ちゃんのアパートで暮らしてるんだ』って言っただけだよ?」


 間違いではないのだが……もっと誤解を招かない言い方、できただろ。


 まあ、このボランティアに参加しているのは、特に年配勢は夫婦で参加している人間もちらほら見えるから、大人の男女セットというだけで、俺と石動も同じように見えてしまったのかもしれない。


「じゃあ次は、文斗が鬼だから、みんな逃げようね~」


 石動がパンパン両手を叩くと、子どもたちは歓声を上げながら散り散りになった。


「じゃ、鬼役よろしく。みんな捕まえられるまで終われないからね」

「よりによって一番疲れそうな役押し付けるんだから……」

「悔しかったら、私のこと捕まえてみてよ~」


 言うが早いか、石動はガチダッシュで俺から離れていく。


 両脚のストライドが完全に素人のものじゃないし、その綺麗なフォームはいわゆる女の子走りとは対極にあるアスリート顔負けと言っていいレベルだった。


 まさかこんなところで重労働が待っているとは。


 思わぬ落とし穴にハマってしまった俺だが、結局休憩時間いっぱい使って鬼ごっこに興じてしまったのは、やってみたら意外と楽しかったとかいうチョロい理由のせいじゃないぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る