第30話 起きない彼女の起こし方
翌朝。
俺はこの日を、ちょっとだけ寝坊しても良い日、と設定していて、毎朝6時起きだった高校時代からは考えられない、9時起きを敢行していた。
ゴールデンウィークに突入する前から計画していたことだ。
どうせ、サークルに顔を出す以外はこれといった予定もないし。
部屋の隅で、座布団と予備の枕でつくった寝床でゴロゴロしながらスマホをいじり、動画を観て、約1時間ほど経った時のことだ。
俺は、俺の寝床とは反対方向にある、ちゃんとした布団を敷いてある一帯まで這っていく。
「ところでこいつは未だ起きる気配はなく……」
布団では、石動が眠っていた。
「こいつは昔から寝相はやたらといいんだよなぁ」
石動は、仰向けの格好で、掛け布団をきっちり胸まで掛けつつも、両手だけは外に出ているという何だかちっちゃい子みたいな体勢ですぅすぅと穏やかな寝息を立てていた。
どうやら日頃はきっちりメイクをしているらしく、すっぴんだと普段より幼い顔立ちをしているように見えた。
……あまり直視しないでおこう。
最近の俺は、石動ごときに何かと心を惑わされがちだから。
「石動も今日は予定がないみたいだし、眠らせたままにしておいてもいいんだけど」
俺の腹は、さきほどからずっとエサを求めて悲しい声を上げている。
せっかく朝食をつくるのなら、二人で一緒の時間に食べてしまった方が、洗い物の手間が省けて快適だ。
「でも石動、寝相はいいくせに、たまにやたらと寝起き悪い時があるんだよなー」
石動のバイオリズムにそぐわない時間帯に起こしてしまうと、『私の眠りを妨げるのは誰だ……!』とばかりにガチギレして枕攻撃を食らったことが、中学時代にあった。
石動の運動能力を持ってすれば、たとえ枕だろうと、ぶつけられると結構痛い。
「こういう時こそ、石動母に教えてもらった技を使うべきか」
寝起き最悪の女こと石動は、毎朝母親に起こしてもらっていた。
実の母は、娘を安全に起こす方法を知っていたのだ。
一旦、石動を放り出してキッチンへ向かう。
我が家の安アパートは、居間の隅にキッチンがあるから、ここで朝食の準備をすれば、部屋が食欲をそそる香りで満たされることになる。
それこそ、俺の狙いだ。
石動を安心安全に起こすには、こうして石動の胃袋を目覚めさせるのが有効なのだ。
我が家の習慣で、俺の朝は味噌汁がないと始まらないから、簡単な具材を用意して調理を開始する。たとえ、朝食がご飯ではなくパンの日だろうが、越塚家の食卓には味噌汁が並ぶのである。俺も母親も、朝からしっかり飯を食わないと落ち着かないタイプだから、いくら時間が少ない朝だろうときっちり用意していた。
ネギを刻んでいる間から、俺の腹が鳴り出す。
「ふふふ、待ってろよぉ、俺の胃袋。すぐに満足させてやるからなぁ……!」
料理人モードになって悦に入っていると、腰に対して重く、それでいて柔らかな衝撃がとすんとぶつかってきた。
「なにひとりごと言っちゃってるの?」
「石動!?」
俺の左腕側から、石動の顔がにゅっと現れた。
俺の腰をホールドしながら、寝ぼけ眼で見上げてくる姿に、思わず視線をそらしてしまう。寝起き直後だから髪がボサついているというのに、それはそれでこういう髪型です、と言い張ることができそうだった。
「……起きたんなら、起きたって言ってくれ」
びっくりするから。あと、ドキドキするのはびっくりしたせいに決まっている。
俺は慌てて、包丁をまな板の上に置く。流石に俺が包丁を持っている側から顔を出すことはなかったか。
「だってぇ。なんかすっごくいい匂いするんだもん」
「まあ、それが狙いではあったんだけど」
寝起きの石動には、暴力性は皆無で気だるそうなダウナーな雰囲気が漂っている。
石動を安全に起こす作戦は成功したものの……俺は、朝食作りに気を取られていたせいで布団に隠れていた石動の格好をすっかり忘れていた。
石動のお泊りセットの中に、パジャマなどの寝間着の類いは用意されていなかった。
『だって、前みたいに文斗に借りればいっかー、って思ったんだもーん。そっちの方がラクだし』
などと、完全に泊まりの了承が取れること前提で準備を進めていた戯けた発言に呆れてしまったものの、だからといって『裸で寝ろ……!』と心無いことを言い放てば不利になるのは俺の方であることは明白。
だから、以前と同じく、パジャマ用に俺の服を貸していた。
大人になった今、石動と俺とでははっきりとした男女の体格差があるから、石動が着ている白いTシャツはかなりオーバーサイズ気味になっていた。
まあ、元々そういうデザインではあるんだけど。着古したのでもいい、と石動からの申し出があったから、首元は結構ゆるくなっていて、細身の石動だと肩から落ちそうになって見えた。
ただでさえ直視するのに困る格好をしていたのだが、石動はそれだけにとどまらない暴挙に及んでいた。
「そうだ、これ」
石動は、俺が貸した服の胸元を引っ張って示す。
「思ったよりサイズでかかったからさ、これ1枚で全然平気だったよね」
は? って返しそうになった。
俺は石動に、スウェットパンツも貸していた。もちろん、俺の手持ちで一番新しい綺麗なヤツを、だ。
俺は、台所へ意識を集中させることを止め、改めて石動と向かい合う。
Tシャツの下に伸びているのは、石動の真っ白な足だ。俺が貸したグレーのスウェットなんかではなかった。
「なに勝手に脱いでるんだよ……」
「でもほら、こっちの方がかわいいし」
石動は俺から離れると、こちらに見せるように両手を腰に当てる堂々たるポーズを取った。
あいにく、石動の背後には窓があって、今日は快晴だ。日光が白Tシャツを透かしていて、体のラインが若干透けて見えてしまっているのが、俺には煽情的過ぎた。
「その下……パンツじゃないの?」
恐る恐る、俺は確認する。
もちろん、頭の中では、石動が事前にショートパンツの類いを用意していて、それを穿いていてくれていることを想定していた。
「見えてないから平気だよー」
「そういう問題じゃないでしょ」
なんて恐ろしいヤツなんだ。
「石動、ヤバいでしょ。人の家の布団でほぼパンイチになるって変な癖でもあるんじゃないの……?」
俺は本気で石動が変態行為に及んだのではと心配してしまった。
こうなると、清楚系女子アナスタイルの記憶すら吹き飛んでしまいそうだ。
「なにもしてないよ。文斗ってば変なこと言うんだから」
石動は、人の布団の中で変態行為に及んだ可能性を打ち消すような爽やかな笑みを見せる。
爽やか変態な可能性も微妙に残ってはいるが、まあ、今回は目をつぶろう。この辺を追求すればドツボにハマるのは俺の方だ。
「ねぇね、文斗の頭の中の私ってどんな格好になってた?」
ほら来た。なんとも楽しそうな顔で、裸足の足の先で、俺のふくらはぎをつんつんしてくる。
「……わかった、石動の好きにするといいよ」
再会後、俺は石動にかなわない部分が一つ増えてしまっていた。
女子にモテる女子だった石動は、今や彼氏持ち女だ。ちょっとした下ネタすら俺からすれば動揺を誘う強攻撃になってしまうのである。
「ほらほら、文斗、どうでもいいことは放っておいて、早くご飯にしてよ」
俺をくるくる回して、台所へ向かい合わせようとしてくる石動。
「私、お腹すいちゃった」
ニコニコしながら、自らの腹部をなでる石動。それはいいのだが、ぽりぽり腹をかくんじゃないよ。いくら幼馴染が相手だからって気を緩ませすぎじゃない?
「さっきまでのんきな顔で寝てたのに。寝顔の写真取っておけばよかった」
「プリントしてもらって額縁で飾るために?」
「違う。ぶさいくな寝顔してたから石動を恥ずかしがらせるためだよ」
自己評価高いな。まあ口調から考えて冗談なんだろうけどさ。
「でも文斗って、私の寝顔好きでしょ?」
「どこ情報だよ?」
「なんか前、言ってなかった?」
「……石動にそういう褒め方をした覚えはないけど」
「あれ、そうだっけ? 恥ずかしいからって隠してない?」
鬱陶しい石動は俺の腕をツンツンつついて煽ってくる。
「普通に考えれば、それ加嶋の発言じゃないかなぁって思うんだよ」
「…………」
石動は黙ってしまった。
そういう惚気けを小出しにするのやめてもらっていいか? 俺には何の得もないから。他人の幸せは自分の幸せ、なんて考えられるほど、俺ってば人間が出来ているわけじゃないんだよね。
その後大人しくなった石動は、俺と一緒に朝食にし始めた時には遠慮なくもりもり飯を食い始めた。
石動は寝起きは悪いけれど、越塚家同様、朝食はしっかり取るタイプなのである。幾度となく越塚家に泊まったことがあるから、我が家の習慣の影響を受けて育っているのだろう。
この日の石動は、ゼミの友達と予定があるらしく、朝食後まもなく出かけていってしまった。
「せっかくだし、俺も今日は外出するかな」
大学図書館は、ゴールデンウィーク中も日中に限り開放されているから、たまには別の場所で勉強するのもいいだろう。ちょうど英語の勉強をしようと思っていたところだし。俺は休みの日だろうとスキルアップと自己研鑽を欠かさない男なのである。
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