第29話 3年間の埋め合わせ

 夕食後のことだ。


 この日にこなすことを予定していた勉強を終え、勉強道具を片付けると、石動がテレビの前でコントローラーを手にして待ち構えていた。


「やろ?」

「わかったよ」


 勉強が終わったらね、という約束を事前に交わしていたから、俺に断る理由はなかった。


「そういえば、この前ダンボール開けるの手伝ったもらったんだけどさ、別のダンボールを押入れに入れたままだったのに気づいて、片付けておいたんだよ」


 俺は押入れから、この前開けて分別しておいた中身を引っ張り出す。


「実家から持ってきたソフト、そこにあるヤツ以外にもあったんだ。遊びたいのあったら選んでいいよ」


 ソフトを詰めたケースを、石動の前に置いた。

 百均で買ってきたケースは、中がすぐにわかる透明で縦長のケースだった。


「へー、じゃあ遠慮なく」


 石動は、蓋を開けようとして、四つん這いの姿勢になるのだが。


「なんか懐かしいのがあるといいなー」


 無邪気な石動には悪いのだが、俺にとってこの日の格好は問題だった。


 今日は、4月の終わりにしては気温が高く、コートの下の石動の格好はかなり薄着だったのだ。


 薄手の白いトップスは、白い肌の鎖骨が平気で見えるくらい胸元がざっくり開いているデザインだったから、重力で垂れ下がると胸の麓部分がちらちら見えてしまいそうになっている。


 これはマズい、と、俺は慌てて視線をテレビに向ける。

 これで、石動は今日泊まるんだよな……。


 石動の母親とその彼氏が旅行に行っている間、とは聞いたけど、2人がいつ帰ってくるのか聞きそびれた。


 まさか、ゴールデンウィークの最終日まで、石動は俺の家に泊まることになるのでは?


 いや、石動だって、実家がここからそこまで離れていないのだから、連続で泊まることはないだろう。家事や洗濯をしないせいで部屋が荒れることを恐れているわけで、1日2日程度なら一人でもどうにかなるはず。


「そういえば石動、いつまでここに泊まる気なの?」

「なんで?」


 お気に入りの一本を見つけたらしい石動は、ゲームソフトを胸に抱えて首を傾げる。


「……私がいると、なんか都合悪いの?」


 その表情は、捨てられそうな子犬のごとく、とても寂しそうに見えた。


「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「文斗には訊いてなかったけど」


 石動が言った。


「いないって決めつけてたけど……そういえば文斗にも、彼女がいる可能性あったよね」

「いや、いないって」


 急に何を言い出すのか。


 この俺を見て少しでも女の気配を感じ取ってしまったのなら、そのセンサーは故障中だから修理するべきだ。


 ……自分で言って悲しくなってきた。

 いやでもまだ大学生活は始まったばかりだし、学校の人間関係も始まってすらいないような状態だし、俺に彼女ができる可能性もゼロではないはずだから気を強く持たないと。


「さっきの質問、やっぱナシで。別に石動を追い出そうとか考えてたわけじゃないんだよね。ちょっと気になったから訊いたってだけだから」

「そうだったんだ」


 石動は安堵の表情を浮かべた。


「私、思ったんだよね」


 コントローラーを手にして、テレビの前に座った石動は、こちらを見ることなく呟く。


「大学入って、文斗を見つけた時は、私が知ってるあの頃の文斗のままだーって思ったんだけど、よく考えたら私って高校の丸々3年間、文斗がどう過ごしてきたか全然知らないから」


 俺は、石動から受け取ったソフトをゲーム機にセットする。


「文斗にだって、私の知らない変わったところがあるんじゃないかなーって思ったんだ。だからちょっと確認だけしておきたくて」


 俺は不覚にも、その点を全く考慮していなかった。

 変わったのは、石動蒼生の方ばかりだと思っていた。


 けれど、石動からすれば、3年間もの間一切出会うことのなかった幼馴染が、何かしらの変化を遂げているのでは? と疑ったって全然おかしいことではない。


「……いや、心配しなくても、俺は見ての通り、何の変化もないよ」


 これは石動を安心させたいがための自虐だ。いつものような卑屈な気持ちはない。


「石動みたいに、女の子っぽく大化けしてたら面白いんだろうけどさ、残念ながら見たまんま」


 俺は笑う。


 石動と別れた中学時代から変わったことなんて、ちょっと自立心が強くなったことくらいかもしれない。


 未だに最新機器ではなく、馴染んだ昔のゲームで遊び続けてしまうくらい変化のない俺である。


 テレビ画面には、メーカーのロゴに次いで、ゲームのタイトル画面が映し出された。


「こうやってコントローラー握って隣同士で座っていれば、すぐ昔と同じ感じに戻れるんだし。ほら、このタイトル画面だって懐かしいだろ?」


 石動が選んだのは、小学校くらいの時によく対戦して遊んだレースゲームだった。未だにシリーズを重ねてファンを増やし続けている名作である。


「そうかも」


 石動が微笑む。


 俺に劇的な変化が訪れた、などという勘違いを撤回してくれたらしい。


「ほらほら、早く石動もキャラセレクトしろよ。どうせ重量級のゴリラを選ぶんだろ?」

「ふーん、文斗、わかってるじゃん」


 石動は俺に言われる前から、既に重量級ゴリラキャラにカーソルを合わせていた。

 石動は、この手のキャラを選ぶ時は、『可愛い』よりも『ゴツい』を優先させるところがあった。


「そして文斗は、軽量級のコーナリング系キャラなんでしょ?」

「当たりだ。俺の持ちキャラはいつだってこのキノコキッドだよ」


 俺は、初心者向けの使いやすいキャラを選ぶ傾向にあった。

 何をするのも無難な俺らしい。


 気を取り直したところで、昔懐かしいレースゲームを始める。


 複雑な操作が必要ないシンプルなゲームだから、ブランクがありそうな石動もすぐ調子を取り戻して、ゲームを楽しんでいた。


 だが、石動の「悪癖」は、昔と変わっていなかったらしい。


「おい石動、指でちゃんと操作すれば曲がれるんだぞ?」

「だってこっちの方がやりやすいんだもん」


 石動は、レース中のキャラがコーナリングをする時、自分の体まで傾いてしまうタイプの人間だった。


「キャラに私の気持ちが乗っかる気がするんだよね!」

「そんなこと言って物理で俺を妨害しようとしてない?」

「してないしてない」


 俺と石動は、隣同士に座っているのだが、腕同士が触れ合いかねないくらい近い位置にいるので、石動が体を傾けるだけでこちらに寄りかかるような姿勢になってしまうのだ。


 石動が操作するゴリラコングがコーナリングを開始するたびに俺は肩にショルダータックルを食らうハメになるので、手元が狂ってしまう。


「ていうか、そんな邪魔かなぁ?」


 石動が首を傾げる。


 そのせいで余計に俺との距離が近づくことになった。


「まあ、今に始まったことじゃないから、石動の好きにすればいいと思うけどさ」

「あ、そうだ。いいこと思いついた」


 そんな石動は、絶対ロクなこと考えてなさそうだ、という声の調子でこんな暴挙に出る。


「初めから文斗にくっついてれば、曲がる時にゴチンってぶつからないから文斗の邪魔にならないよね」


 なんとまあ、石動は本当に俺とぴったり密着したままゲームを続ける。


「いやそれおかしいでしょ。そうまでして勝ちたい?」


 実に冷静に指摘した俺だが、以降は操作ミスが目立つようになり、結局レースの結果は石動の後塵を拝すことになった。


 石動の密着により、俺は腕から伝わってくる異様に柔らかい感触や、甘さと爽やかさの入り混じった香りにばかり意識が向かってしまっていたのだ。


 すまん、石動。


 石動を安心させたくて、『俺は何も変わらねぇからよ!』だなんてかっこいいことを言ってしまったけれど。


 ……俺は、変わってしまったのかもしれない。

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