第21話 幼馴染とボール遊び その1

 石動に夕食を振る舞ったのち、俺は駅まで石動を送ることになった。


 あいにく今日は平日で、明日も大学がある。


 流石に今回は、電車が終わる時間まで俺の部屋にいるようなことはなかった。


 終電までまだ時間があったので、のんびりぶらぶらと最寄り駅へと向かっている。


 その道すがら、団地と団地の間にある、小さな公園に出くわした。


 日中は地元の小中学生で賑わうスポットだが、今は誰もいない。


 ちょうどいいから近道しちゃえ、とばかりに公園を突っ切って行こうとするのだが。


「あっ、あれ」


 隣を歩いていた石動が、指を差す。

 その先には、バスケットボールのゴールがあった。


 つい最近、地元の子どものために設置されたとかなんとか。


 更にゴールの下を見ると、誰が忘れていったのか、ボールが転がっていた。


「よっと」


 石動は、サッカーのリフティングでもするみたいに足のつま先で器用にボールを浮かべると、手でキャッチして指先で地球儀みたいにくるくる回した。バスケ部が余興でよくやるやつ。


「文斗~、ちょっとやっていかない?」


 ちょうど外灯の真下で、スポットライトを浴びるようになっている石動のドヤ顔が宵闇に浮かび上がる。


「1on1で勝負しようよ」


 女の子っぽい顔つきが板についた今でも、こういう時は昔のような勝ち気な男子っぽさが表情に現れていた。


 昔は、石動とよくこの手の勝負をよくやったものだ。


 実家の近くにも、同じような公園があったから。


 俺は石動みたいに運動ができるわけじゃないから、昔からスポーツの類いを苦手にしていたのだが、あまり家で遊びすぎると母親から『たまには外で遊べ』という昭和世代らしい価値観で追い出されることがあったので、石動の相手をするハメになっていた。


 高校3年間で、男女の運動能力の差が現れたのなら俺にも勝機があるのかもしれないが、あいにく俺は高校時代は運動部ではなかったし、体育以外ではロクに運動したことがなかった。


 だから、敗北が決まっている勝負を提案されたというわけ。


「いいよ。まだ電車の時間には間に合うし」


 それにも関わらず、俺は石動の提案に乗った。


 勝ち負け云々よりも、懐かしい友達と少しでも一緒に過ごしたい気持ちが上回っていた。


 すると、ボールを両手に抱えた石動の表情は、暗闇で発光しているんじゃないの? というくらい明るくなる。


「やろやろ!」


 いそいそとコートを脱ぎ始めた石動は、荷物の類いを近くのベンチにまとめて置く。


 コートを脱ぐくらいガチモードでやる気なの?


 ていうか石動、今日は足元パンプスだけど動けるの? ヒールが低いタイプとはいえ、俺だったら歩くことすらままならないぞ。


 などという疑問はあるのだが、同意してしまった手前、相手せざるをえない。


 ゴールの下は、バスケのハーフコートくらいの広さがあって、ラインもちゃんと印字されていた。この公園の地面の大半は砂埃が上がりそうなのだが、ここだけゴム状の物質を敷き詰めたような柔らかい地面になっていて、ボールは難なく弾んだ。


「ちなみに石動、どれくらいぶりにボール触る?」

「すっごく久しぶりかなぁ」

「久しぶりねぇ……」


 石動は、ウォーミングアップとばかりにボールをダムダム弾ませるのだが、その鋭いボールさばきはとてもブランクがある素人のものとは思えなかった。


 ついでに言えば、ボールを弾ませるたびに、赤いニットで包まれた胸元も揺れるものだから目のやり場に困る。大きいボールと連動して小さな2つのボールが跳ね回るサマは俺からすればなんとも刺激的ではあった。


 思春期に突入しようが女子の石動と仲良くできたのは、当時の石動が、あからさまに異性とわかる身体的特徴が目立ちにくかったこともあるのだ。


 どうも石動は、俺の元から離れてからというもの、心身ともに劇的に女子っぽくなってしまったような気がする。


「ほらぁ、文斗、勝負勝負~!」


 石動は中腰状態で、股の間にボールを通すレッグスルーをしつつ、右脚と左脚の位置を交互に入れ替えつつリズミカルにドリブルを続けるという高度なことをやってのけていた。それだけでこの勝負に勝ち目はないとわかる。


「はいはい。じゃあどうせ石動の方が上手いんだから、俺が先行でいい?」


 ハーフコートだし、ゴールも1つしかないので、先攻と後攻を決めて交代交代でオフェンス側とディフェンス側をやるしかない。


「しょうがないなぁ」


 口をとがらせながら、石動がボールをこちらに放り投げてくる。

 ボールを受け取った俺は、試しにドリブルを開始する。


「…………」


 ドリブルにすらならない、何とも無様な手毬状態の俺がそこにいた。


「うん、わかった。文斗はドリブルなしのルールでいいよ。とにかくゴールに入れば勝ち」


 石動の憐れみの視線が俺に突き刺さってくる。


「そ、そんなハンデなんているか!」


 いくら実力差が圧倒的だろうが、俺だって男の端くれ。そんなナメたルールを受け入れるわけにはいかない。


「そっか。文斗がそう言うなら」


 困ったような顔のまま、石動は両腕を広げてディフェンスの姿勢に入る。


「泣かせちゃったらごめんね?」


 こいつはいったいどれだけガチモードで俺に勝負を仕掛けてくる気なのだろう?


 電車が来るまでのヒマつぶし感覚でいたのだが、俺の尊厳を潰されかねない過酷な勝負になってしまったようだ。


 いざゴールへ向かって攻めようとすると、ボールが俺の手から離れた瞬間に石動にかっさらわれてしまった。


「これで攻守交代ね」


 にっこりとした石動が、ボールを挟むように手に取っていた。


 俺のオフェンシブな時間はあっという間に終了である。シュートを打つ間もなかった。


「……おまえ、鮭を獲るクマみたいなスピードで腕振ってきたな」

「私の手が早いんじゃなくて、文斗が遅いだけだよぉ」


 おっとりとした間延びした声を出してくる。


「次、私の番」


 石動は、ボールをダムダムと弾ませながら、スリーポイントラインの外へ出ていく。

 一旦俺へとボールをパスし、それを石動へと返す。


 石動のオフェンスが始まる。


 正直、ゲーム対決と比べれば、石動相手に勝ちたいという気持ちは薄かった。

 ひょっとしたら今なら勝てるかも、という期待はあったものの、石動のドリブルを目にした時点で、体のキレが全然錆びついていないことがわかってしまったからだ。


 だが、俺にとって石動は、大事な友人であると同時にライバルでもある。

 こいつとの『勝負』に、中途半端は許されないのだ。


 せいぜい悪あがきくらいはさせてもらおう。


「来い、石動ぃ!」


 まるで宿敵との最終決戦に挑むがごとく叫んだ俺は、体育の時間にバスケ部の連中がやっていたディフェンスの姿勢を思い出しながら腰を落とす。

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