第19話 俺を踏み台にして その1

 引き続き俺の部屋にいる石動だが、どういうわけか先程からずっと部屋の隅を見ている。


 まさか石動、霊感があって見えてはいけないものが見えているんじゃないだろうな?


「ねー、文斗」


 とうとう石動は、ずっと見ていた方角を指さした。


「ずっと気になってたんだけど、そこに積んであるダンボールって何?」

「ダンボール?」


 石動が指差す居間の隅のゾーンには、ダンボール箱が5箱分、積み木のように積んであった。


 ああ、別に地縛霊が見えているわけじゃなかったのか。


「実家から持ってきた漫画が入ってるんだ。本棚があるだろ? そこに入れようと思ってたんだけど」

「ずっとこのままだったんだ?」

「入学してから忙しくて」


 引っ越しの際に運び込んでから、手つかずになっていた。


 不慣れな大学生活とあって、部屋の片付けよりも学業なり学校生活の細々とした手続きなりを優先させたせいだ。一度取り掛かれば時間や労力を食うことは目に見えていたため、面倒に思ってそのままにしてしまっていたのだ。


「そっか。じゃあせっかくだし、今やっちゃう? 片付けるの手伝うから」


 石動は早速ダンボールのもとへ向かっていく。


 悪いからいいよ、と言う間もなかったのだが、こういう機会でもない限り、ずっと放置したままになりそうだ。もはや積み上がったダンボール箱は、この部屋の風景として定着しつつあったから。


「そうしてくれるとありがたいかな」

「そうだ、手伝ったお礼になにかくれる?」


 ダンボール箱と向き合っていると思ったら、突如振り返った石動がちょっといたずらっぽそうに微笑む。


「じゃあ、牛丼?」

「文斗の中では、もう私って牛丼とイコールなんだ?」

「それもそうか……」


 失言だったかもしれない。


 どういう気まぐれか、ボーイッシュ路線に戻ってきたとはいえ、大学入学時は清楚系女子アナスタイルだった石動だ。内心ではもっと女の子扱いされたいのかもしれない。


「私のことは牛丼だって思ってくれていいんだけどさ」

「いいのか」


 石動が嬉しそうにするせいで、かえって本心がわかりにくくなる。


 牛丼扱いされて喜ぶ女子なんて俺のデータにはないぞ。まあサンプルがゼロではデータになりようもないのだが。


「前食べたばかりだから、別の食べ物の方がいいかなぁ」

「……一応二人分の食材はあるけど、俺の料理じゃ礼には――」

「それ! 文斗の手料理でいいよ!」


 石動は上機嫌に、パン! と両手を叩いて喜んだ。

 特に料理の腕前を自負しているわけではない俺だけに、そうまでして喜んでくれているのは純粋に嬉しかった。


「また、中華風男飯が出てくるかもしれないけど?」

「あれはあれでいいけど、文斗の他の料理もいいかなーって」


 石動の様子を見る限り、どうも俺には料理のレパートリーが数多くあると信じているようだ。


「……まあ、片付け終わる時までには考えておくよ」

「そうしてそうして」


 石動が、ダンボールを一箱手にとってきょろきょろし始めたので、俺は玄関から工具箱を持ってきて、カッターを手渡してやる。


 石動は丁寧にカッターでダンボールのガムテープを切っていくのだが、俺は普通にテープをビリっと剥がすだけで済ませていく。別にダンボールを再利用する気もないから。


 ダンボールには、特に考えもなく詰め込んだ漫画が入っている。並べる時も適当だ。最低限、巻数の順になっていればいい。


 一方の石動は、内容を吟味するように一冊ずつ丁寧にダンボールから取り出していたのだが……。


「石動、読んでもいいけど並べ終わってからにしてくれない?」

「読んでないよ」


 悪びれる様子もなく、石動が言う。


「文斗が持ってる漫画の中にえっちな漫画がないかなって探してたんだ」

「そんなところに楽しみを見出さないでくれ」


 ていうか俺、残念ながらエロ漫画は持っていないぞ。


「持ってるのなんて、せいぜいラブコメだ。わかったらとりあえず本棚に並べてくれ」

「なーんだ」


 諦めたのか、石動はてきぱきと本棚に並べるようになってくれた。


 どうも石動は、俺がエロコンテンツを所持していることを期待している節がある。

 けれど、思えば中学時代以前の石動は、男子とよくつるんでいるわりには下ネタ系は苦手にしていた記憶がある。なんだったら、エロ絡みの話になると、誰にも悟られないように隠しつつも恥ずかしそうにしていたような記憶さえある。


 つまり、俺のエロ事情に興味を持つあたり、今の石動には、エロ耐性がついているということ。


「…………」


 ついつい俺は、本を並べてくれている石動の背中に視線を向けてしまう。


 考えてみれば当たり前だ。

 今の石動は、彼氏持ちなのだから。


「? 文斗、どうしたの?」


 振り向いた石動は、今日は化粧を薄めにしているのか、あどけなさの残る表情をしていた。


「いや、なんでも」


 俺は再びダンボールとのにらめっこを再会する。

 ここに来て急に自分が恥ずかしくなった。


 胸の奥がモヤモヤする感覚を抑えることができなくて、情けないやらみっともないやら妙な気分になり、おまけに劣等感めいた感情まで湧き上がってしまう。


 俺って、こんなくだらないことにこだわるヤツだったんだ。


 そもそも、相手は石動蒼生だぞ?

 いくら見た目が綺麗だろうが、俺からすれば『同性』だ。


 ……そういう気持ちでいたからこそ、石動だって俺と仲良くしてくれたのだ。


 石動からの信頼を台無しにするような振る舞いは絶対に避けたい。


「ああ、石動。一番上は届かないでしょ?」


 至らない自分自身に対する苛立ちを、石動の手助けをすることで解消したかった。


 昔は長身だった石動も、今の俺からすれば小柄に見えた。


 中学の時の石動は、164センチとかそのくらいだったはず。並ぶと俺より若干目線が上だった覚えがあるけれど、今の石動は俺よりずっと目線が下だ。高校で成長期がやってきたおかげだろう。筋肉がつきそうにない細身の体型なのは相変わらずだけど。


「そっちは俺がやるから」

「でも届きそうだよ? ジャンプすれば」


 石動は屈伸運動をして、今にも飛び上がろうとする。


「ジャンプはやめろ。前も言ったけど、ここは安アパートだから音が響くんだよ」


 今のところ騒音でトラブルになったことはないけれど、その手のことは入居前に大家から散々、気をつけるように、と言い含められている。


「じゃ、文斗が台になってよ」


 とんでもない提案をしてくるものである。


「私、けっこうバランス感覚あるから。文斗の背中の上に立ってもコケたりしないよ?」

「そういうことじゃないんだ」


 石動の運動能力は俺だって知っている。


「石動は俺を踏み台にしても心が痛まないの?」


 あと、俺が代わりにやった方が楽だし早い。


「だって文斗なら、もし私がグラグラ揺れちゃっても、ちゃんと支えてくれる気がするし」


 踏み台俺への謎の信頼感。


「なんか誤魔化しにかかってない? 本当は単に踏んづけたいくらいイライラしてるだけなんじゃないの?」


 それほどの苛立ちをぶつけられるようなことは、何もしていないはずなのだが……。


「いいから、ちょっとだけやってみようよ。ちょっと四つん這いになるだけだから」


 石動は俺の腕をグイグイ引っ張り、手を床に付けさせようとする。無理矢理土下座をさせられそうになっている気分だ。


 そんな物騒な雰囲気を感じるわりに、石動の手はやたらと柔らかい。


「……わかったよ」


 何をそんなにこだわっているのか理由は不明なのだが、引き下がりそうにないので、俺が折れることにした。


 思えば、俺は何かと石動の要求を飲む役割だった覚えがある。活発で無茶をしがちだった石動のフォロー役だったというか。


 大学生になろうとも、その立ち位置は変わらないようだ。

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